←
〜あさば あさや〜 あべ〜 〜いせ いそ〜 いっとうしょ〜 いな〜 う
え 〜おが おぎ〜 おの〜 〜かしましんで かしましんと〜 かとうだ〜 かよ〜
〜きむ きゅ〜 く け 〜こうし こうち〜 〜さつ さと〜
〜しく じけ〜 しぶ〜 しんかげ〜 新陰〜 しんかん〜 しんじん〜 しんどうむね〜 しんとく〜
す 〜ぜきょく せき〜そ 〜だいにっぽんす だいにっぽんて〜 たいへ〜 たけのぶ〜
ち つ 〜てんしんい てんしんし〜 てんしんで〜 〜とだい とだは〜
〜ながと なかに〜 に ぬ〜 はひ ふ へ ほ ま み
〜むそうげ むそうじ〜 めも 〜やまだ やまと〜ゆ よ ら〜 わ〜他
あ (あさや〜)
淺山一傅流(重晨系。江戸伝、仙台伝、土佐伝、水戸伝、吉田伝)
淺山一傅流(重晨系)今治伝(?→四国一伝流) 南葉一甫流との関係が不明。
淺山一傅流(重晨系)津田系(→津田一傅流)
淺山一傅流(一存系)
淺山一傅流(一存系)伊藤系(→不伝流)
淺山一傅流(不明)
末流は、重晨系か一存系かハッキリしないものや、両方まちまちや、同一人物説や、
重晨系と公称していても技は一存系なんてことがあるので、後日分類しなおします。
浅山一伝流(不明)飯塚系(→気楽流)
浅山一伝流(不明)武石系(→兼相流)
浅山一伝流(不明)三浦系(→無眼流(三浦系))
浅山一伝流技法(→警視庁流(剣)) 居合も。
淺山一傅流(縄。高木系か)
浅山一傅流の捕縄術は、高木流や南葉一甫流との関係がわかるまでは別にさせてください。
淺山一傅流(縄)
淺山一刀流(?→淺山一傅流)
浅山流(→淺山一傅流)
浅山流江畑系(→為我流) 森山長政先生は水戸藩の浅山一伝新流? 確認中。
浅山流宮崎系(→澁川一流)
朝山流(→淺山一傅流三五郎系) 三五郎系は年記がわからないので削除しました。
あ (あさり〜)
浅利派一刀流(→浅利流)
浅利流 ただし俗称。
浅利流山岡系(→一刀正傅無刀流)
苦心して工夫して、ついにライバルを倒したら、相手は恐れ入って秘技を譲った、
というのが通説です。
勝先生の口ぶりだと、山岡先生に素質があるのを浅利先生が気に入って、
教えたくて教えた、育てたくて育てたということのようですが。
足利家(足利将軍家)
足利家今川系(→今川流(騎))
足利家吉良系(→吉良流)
足利家最上系(→最上家)
阿字観法東郷系(→示現流)
阿字観法林崎系(→神夢想林崎流)
阿字の一刀(→阿字観法)
芦名家
蛙水流
飛鳥川流 これは流派名ではなくて、例の、行く川の流れは絶えずして…のことです。新陰流伝書に出てくる。
阿多棒庵伝
流派名不詳なので、仮に、こう呼ばせてもらいます。
棒庵流などとおっしゃっていたのか、新當流なのか穴沢流なのか。
伝書には「浄見より伝受の趣」云々とありますが、
柳生家に伝わったのは、薙刀なのか棒なのか槍なのか全部なのか、
そもそも、この人の経歴が謎という以前に、穴沢先生自体も謎だらけで。
吾妻杖
東流(縄)
当てっこ(→竹刀剣道)
これは普通、居合や古流から現代剣道をバカにした言い方ですが、
現代剣道内でも系統を区別するためによく言います。
刃筋、止め、大きく、わかっているしできているが試合となると別、特に、ある種の片手打ち、
応じ技や返し技に対する考え方、振りかぶらず正眼から手元で打つ胴などが、
学生的ではあるが勝つためにやむをえないとして自虐的に言うだけでなく、
居着かない軽快な抜けと冴えという意味で、あえて当てっこで正しいとも言える。
一説には、竹刀を取り入れた後の一刀流諸派をさすという。
また、昭和天覧試合で剣道は滅亡して、新たにスポーツとしての別のものが誕生したと見て、
これ以前を現代剣道、以後を当てっこと呼びわけるともいう。
上田馬之助先生(レスラーのほう。大変に生真面目な人)が、サブミッションスパーリングを
極めっこと呼び、べつに幼稚なニュアンスはなかった様子。
穴沢流(秀俊系)
もし同一人物でも時期か立場が違うでしょうから、分けておきます。
穴沢流(秀俊系)棒庵系(→阿多棒庵伝)
穴沢流(秀俊系?)宝蔵院系(?→宝蔵院流)
大西木春見先生が、どの系統かわかりません。
穴沢流(盛秀系ほか)
よくわからない穴沢流もおおむね、ここにまとめます。
穴沢流という表記になっている伝書は江戸後期のものが多く、
本来は新當流と名乗っておられたのではないかとも思うのですが、
新當流という表題になっている伝書も、穴沢先生の系統は穴沢流にまとめておきます。
穴沢流(盛秀系)樫原系(→樫原流)
穴沢流(盛秀系?)宝蔵院系(?→宝蔵院流)
穴沢流(盛秀系)和田系(→和田流)
穴沢流(信之系?)
竅沢流(?→穴沢流) 誤字か。
穴太流(→古式穴太流) あのう。
|