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 00年7月8日
トントンが七夕の「織姫」になる。14歳1か月という若死に。腫瘍性の腹膜炎。遺体は科博へ。
このへんから、上野の行く末に危機感が濃くなってくる。第四次ブームは、上野以外でおきたのだった。

 

 00年4月
パンダ館が完成。

 00年7月16日
神戸市立王子動物園にコウコウとタンタンが来日、1年100万ドルで10年間レンタル。名前は公募、4634通の中から決定。コウは神戸、港、六甲、タンは21世紀の幕開けの旦、後ろ足が短いことから短に通じるのだという。

 00年7月28日
13時から一般公開。暑い日射しの下で300メートルもの行列。フラッシュ禁止だというのに誰も守らなかったという。
このあと王子動物園の年間入場者数は、パンダがいなかった頃にくらべて平均1.4倍になり、「元はとれている」と広報担当者はコメントしている。

 

 00年5月
成都で、哈藍とメイメイが人工授精。

 00年7月7日
メイメイが哈藍の子をみごもったまま来日、エイメイの後妻に入る。5年間のレンタル…と報道されたが、10年単位のはず、あるいは契約更新?

 00年9月1日
成都で、冰冰が「娘の元カレを寝取った母親」になる。メイメイの前夫の哈藍との間に、双子のオス「冰星」「冰点」を出産。

 00年9月6日
メイメイ、哈藍の子を出産。白浜町長によってラウヒン(良浜)と命名。女の子。ここから白浜の出産ラッシュが始まる。

 

 01年1月15日
メキシコと共同繁殖契約が成立。5か年計画。

 01年1月29日
ンリンがメキシコへ嫁探しに出発。メスばかり3頭もいるチャプルテペック動物園へ。わが城では本丸に報道部を編成。コレ

 01年3月9〜10日
自然交配を断念、シンシンおよびシュアンシュアンに人工授精。

 01年3月15〜16日
シーファに人工授精。

 01年4月25日
リンリン帰国。28日から公開再開。

 01年夏
繁殖失敗が確定。

 01年11月12日
ふたたびリンリンがメキシコへ。

 

 01年5月2日
タンタンが発情ピーク。コウコウには全く「その気」がないので、『繁殖は来年以降に期待』ということになった。
それもそのはず、交尾しないのはそれなりの理由があったのだが、この時は、まだ誰も知らない。

 01年7月19日
ジャイアントパンダ日中共同研究発足一周年記念式。

 01年12月17日
メイメイ、エイメイとの間に嫡出の実子を出産。自然交配。9月なんて季節外れの発情は世界的にも例がないという。中国動物園協会によってユウヒン(雄浜)と命名。男の子。

 

 02年2月13日
留守中のパンダ舎には、例の小ざかしい茶色のバカが住んだりするのだが、この日、英国ハウレッツ動物園からタテガミオオカミ様オス3歳というお方がいらして、パンダ舎でお過ごしいただくことになる。日本では上野だけ、しかも17年ぶりという、はなはだ高貴なお方。

 02年3月2日?3日?
シーファ発情。リンリンから精液採取するも少量すぎて、人工授精用に凍結保存。

 02年3月13日
精液採取、凍結保存。

 02年3月25日
シンシン発情、同衾させるも行為に至らず。精液採取、冷凍保存、人工授精。

 02年4月24日
リンリン帰国。シュアンシュアンの発情が遅れ気味のため(結局、なかった)、当初の発表より帰国を1か月ほど延期した格好。

 

 02年4月17日
コウコウにイチモツがないことが判明。全身麻酔で確認したが、なかった。

 02年5月14日
コウコウ、オナベ疑惑で新聞をにぎわす。メスではないと動物園側が説明。

 02年7月27日
日中合同検査で、オスであることと性器形成不全が確定。オナベではなくオカマ「未成熟なオス」との結論。

 02年7月31日
繁殖研究が目的なので、他のオスと交換するとの発表。

 02年8月23日
ロンロンが選定されたとの発表。

 02年11月30日
コウコウお別れ会。

 02年12月5日
コウコウを中国へ追放(涙)

 02年12月9日
ロンロン来日。なぜか襲名、2代目コウコウとなる。こんなの許さんぞ俺は! コウコウがかわいそう。第一まぎらわしいので、うちのサイトではロンロンで統一させてもらう。

 

 02年
この年、中国では、メイメイの双子の姉「蜀蘭」が、人工授精により「蘭宝」という男児を出産したが、父親はエイメイだという。冷凍精子のストックでもあったのだろうか。
蜀蘭は甘粛省蘭州市にいて、その後、女児も出産している様子。

 

 03年1月27日
みたびリンリンがメキシコへ。レッサーパンダのつがいを手土産に持っていった。奴隷、生口なのである。

 03年3月25日
シュアンシュアン発情、人工授精。

 03年4月6日
シンシン発情、人工授精。8日まで毎日1回ずつ計3回の人工授精。

 03年4月26日
リンリン帰国。29日から公開再開。メキシコの人々はリンリンの輸送箱の塗装を綺麗になおして返してくれた。また、30日にメキシコウサギ6つがいを頂いた。今回シーファは発情らしきものはあったが排卵が確認できず人工授精なし。

 03年夏
繁殖失敗が確定。

 03年12月3日
シュアンシュアン来日。3姫の中では一番相性がいいのだとか。リンリンの気の弱さに原因の一端があると見たため、縄張に入るよりも迎えるほうが、リンリンが主導権を取れると期待される。

 

 03年5月2日
タンタンが発情、ロンロンと「自然交配試行」3回。つまり同室させたということ。

 03年5月3日
同4回。

 03年5月4日
行為が確認できないため、人工授精1回。

 03年5月5日
同。
この年の人工授精は3月22日だったとする説もあり、王子動物園の公式サイトでもまちまちに書かれているが、3月22日に人工授精したのは2004年。

 03年9月中旬
この年の交配は失敗が確定。

 03年12月
臥龍に雅安碧峰峡基地が設立。ふたたび錦竹と呼ばれることになったコウコウは、ここに住む。やっぱりオカマではなくオナベの可能性が高く、ここではメスとして扱われる。

 

 03年9月8日
メイメイがオスの双子を出産。パンダの双子は日本初。兄はリュウヒン(隆浜)、弟はシュウヒン(秋浜)。
パンダは1頭しか保育しないため、普通は飼育員がこっそり持ち出して人工授乳してはすり替えるが、メイメイは自力でやりとげ、「双子を自然保育した世界初のパンダ」になる。のちに日本動物園水族館協会が繁殖賞を贈る。
ますます白浜が日本のパンダの中心地になっていく。

 

 04年2月23日
自然交配を断念。発情ピークと見たこの日、人工授精。

 04年2月27日
シュアンシュアンの発情が止まらず、再度人工授精。

 04年3月4日
北京動物園で、ユウユウが中国の土に還る。15歳9か月。子孫を残さなかった。

 04年3月29日
シュアンシュアン食事量増加、妊娠の兆候かもしれないとの報道。

 04年7月7日
妊娠はなかったとの発表。出産予定が6月17日で、とっくに絶望と見られてはいたが、ねんのため様子を見たので発表が遅れたという。なにも七夕にやることないだろ。トントンがかわいそう。

 04年7月9日
シュアンシュアン、春でもないのに発情。なんてケナゲな…。

 04年7月14日
再度、人工授精(21日だったという説もあり)。

 04年11月
シュアンシュアンまたもや発情。季節外れすぎるため人工授精はナシ。

 04年12月10日
妊娠はなかったとの発表。

 

 04年
コウコウ発情。メスの可能性が高まる。

 04年3月22日
ロンロンとタンタンが人工授精。
これまた3月14日とする説があるが、3月14日に人工授精したのは2005年。

 04年8月3日
人工授精失敗が確定。

 

 04年6月21日
ユウヒンが成都へ。中国名は彬彬(ビンビン)。中尾彬さんのように良い名前だ。しかし、ユウヒンと名付けたのが中国側の偉い人だったために、その後も中国でも雄浜と呼ばれている様子。

 04年10月22日
成都で奇縁が「思縁」オスを出産。メイメイの初孫。

 

 05年春
シュアンシュアンの発情がほとんど皆無(2月に少しあっただけ)、人工授精はおこなわれなかった。
わが報道部は3月20日に参内、滅亡まで想定した御前会議。

 05年7月3日
臥龍でシィエンニュ(仙女)が誕生。

 05年8月16日
臥龍でビーリー(比力)が誕生。

 05年9月25日
シュアンシュアンの公開終了、お別れ会。

 05年9月26日(休園日)
シュアンシュアン帰国。神経質なリンリンは、自分より体の大きいシュアンシュアンにおびえてしまい、寝室も別、家庭内別居になっていたのだった。この年、すでにリンリンに老化現象。

 

 05年
コウコウがメスであることが確定! オナベから普通の女に戻るための治療を受ける。なんでも、性器の位置が正常でないために、両性具有のような状態だったらしく、これを手術で矯正したという。
臥龍
の保護研究センターは90年代なかばになっても乳児死亡率100%などと言われていたが、アメリカなどが金と技術をだいぶ提供したので、メキメキ優秀になった。

 05年3月14日
ロンロンとタンタンが人工授精。

 05年7月
人工授精失敗が確定。
尿中ホルモン上昇など、妊娠っぽい兆候はあるのだが、いつも偽妊娠でくやしい。

 

 05年8月23日
メイメイがまた出産、5頭め。オス。のち公募でコウヒン(幸浜)と名付けられる。ハマコーみたいでかっこいい!
間近で見せてくれる予約制プレミアムツアー1日5組7千円とか、檻に入れてくれてエサをやれるバックヤードツアー1人2千円とか、商魂たくましい企画いろいろ。日本と中国の景気も、パンダが支えているのだった。

 05年8月24日
4時9分、じつはコウヒンの双子の弟が誕生していたが…。

 05年8月25日
2時27分、コウヒンの弟は死亡。66グラムしかなく、未熟児だったようだ。この子の存在は、あんまり報道されていない様子。

 

 上野滅亡へと続く→ 
 続くもなにも、この時点ですでに滅亡は確定してるけどな

 

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