リンリンが
女遊びをしに
メキシコへ?

天下の一大事! 事態を知ったぱんだ城では、翌日ただちに上野山へ兵力をさしむけました。
徳川将軍家が二条城も大坂城も持っていたように、ぱんだ城もこのお方が元首なんだけど…。

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緊急釈明独占インタビュー

熊田ぱんだ城城主代行熊田であります。本日は御多忙のところ御時間を頂戴し、恐悦至極に存じ居ります。現在、上野動物園の唯一のパンダであらせられ、日本に最も長くいらっしゃるパンダであらせられる陛下の御尊顔を拝し奉ることは、およそパンダを名乗る者におきまして、これに過ぎる喜びはございません。僭越ながら、インターネット上のパンダならびにパンダファンを代表して質問の儀これあり、恐れながら直に御言葉を賜りますことをお許し願い上げます。

陵陵:苦しゅうない。

熊田感謝いたします。では早速ですが、此の度の御訪問は、後添を御探しになる旅と聞き及んでおりますが、相違ございませんか?

陵陵:左様。メキシコへマン遊漫遊じゃ。1月下旬から4月まで、メキシコシティのチャプルテペック動物園。中国以外で最初にパンダの出産に成功した、繁殖には実績のある動物園での。3人の姫がチン朕を待っていてくださる。

 シンシン姫

 シュアンシュアン姫

 シーファ姫

熊田去る2000年7月8日御隠れになられた女帝トントン陛下は、日本で御生まれになられ、日本で御育ちになられました。ぱんだ城も、もともとトントン陛下に従属させて頂いておりましたので、ささやかながら期間限定ページを製作、葬儀告別式を執り行わせて頂きました。
一方、リンリン陛下は、恐れながら1992年中華人民共和国から帰化、上野動物園へ御養子に入られ、トントン陛下亡き後はその帝位を御継承。
しかるに、トントン陛下御崩御から半年、喪も明けきらぬうちに異国の御室との房事とは如何なる御所存か、事と次第によってはこの熊田、パンダの名を打ち捨てる覚悟で推参仕奉りました。御返答は如何に?

陵陵:朕は日本のパンダの統合の象徴である故、すべての権能は動物園にある。園長が行けと言うなら従うまでじゃ。それに、今回のことはアメリカ・サンディエゴ動物学協会も乗り気での。

熊田これは陛下の御言葉とも思えませぬ。

陵陵:そなたも知ってのとおり、パンダは絶対数が少なく、もちろん近親結婚するわけにもいかぬ。選り好みが激しく、嫌いな相手はとことん嫌う。発情期も短い。朕思うに、この世に生を受けたからには、親の恩に報いるという一点だけでも、やはり子を残さねばならんのじゃ。これは私の色事ではなく、種としての、創造主への義務である。

熊田では、トントン陛下の御霊前に対して、お心に異変なしと?

陵陵:天地神明に誓って、奥への気持ちは変わらん!

 断言するリンリン帝

熊田安心致しました。御無礼の段、如何様にもお詫び申し上げます。

陵陵:苦しゅうない。そろそろ寝たいが、よいか?

熊田ありがとうございました。最後に、臣下に一言賜れれば幸甚。

陵陵:上野動物園は、月曜定休じゃ。夕方4時には入口が閉まる。出口が閉まるのは5時じゃが、パンダ舎は4時半には閉まるでな。一人600円申し受ける。記帳は歓迎する。さらばとは言わぬ。性交成功を祈っておれよ。

 

時代劇用語が苦手な方のために、副音声で同時通訳をお送りしています。

く:やっちゅう。寝てるところ悪いね。ちょっと話を聞かせてね。

り:いつも寝てるからいいよん。

く:ありがとね。外国に行くってホント?

り:交尾だよコービ。ラテンの血が燃えちゃうよ。

く:てめーいいかげんにしろよ。マン遊とかチンとか、だまって聞いてりゃ。

り:なんだとー。おまえ、なまいきだぞ。動物園が決めたことだから、しょうがないじゃんかー。

く:死んだトントンが、かわいそすぎ!(号泣)

り:ううう。ボクだって悲しいんだい…(涙) 見のがしてくれよう。おまえも男だろ?

く:泣くなよ−。

り:地球の裏側まで行くんだぞ。ササが生えてるかどうかもわかんないし。だいたい、こんなに注目あびて、どんな顔して行けばいいんだ? はずかしい…。

く:ホントは不安だらけなんだな…。わかったよ。もう何も言わん。

り:ところで、寄せ書き、書いてくれた? 説明パネルの前に机が出てて、布と油性ペンが置いてあったと思うけど…。

く:それがさー、書こうと思ったけど、なんて書けばいいんだよ!? 無事に帰ってこいっていうとなんだかメキシコを信用してないみたいだし、オスだから、元気な子を産めってこともないよな。がんばれってのも何をがんばるのやら、行ってらっしゃいっていうのも何をイクのやら。赤面したぜ俺は。

り:書かなかったのかよー。

く:書いたよ。でも、修学旅行の女の子が後ろで順番待ちの行列作っちゃってさ、急いでたもんだから…

り:なんて書いた?

く:「気合だ」

り:それ、オチのつもり?

く:帰ってきたら、またこういうページ作ってやる。元気でな! あうー。

り:泣くなよ−(笑)

 

で、このときは繁殖失敗だったわけです。
ジムをかまえてて浅草では結構有名だった浜口さんが、この数年後に「気合だ!」を流行らせたので、俺も案外、時代を先取りしてたことが判明したりしたのですが。

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