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92年4月6日
来日した江沢民総書記と、宮沢首相の会談で、別のオスとユウユウの交換が決定。
92年4月15日
凍結精液でホァンホァンに人工授精。妊娠に至らず。
92年6月2日
トントン発情。
92年11月5日
日中国交正常化20周年、リンリン来日。トントンのムコ。第三次ブーム始まる。これのせいで、天安門事件以来の中国批判が下火になったという。
92年11月12日
リンリン一般公開。
92年11月13日
ユウユウが北京へ。他国から中国に入った最初のパンダとなる。
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92年9月4日
成都ジャイアントパンダ繁育研究基地で、ヨウヒン(蓉浜)誕生。中国では浜をビンと読んでいる(以下同)。
92年9月14日
北京動物園でエイメイ(永明)誕生。中国では永明をヨンミンと読んでいる。
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93年5月15日
トントン発情。
93年6月25日
凍結精液でホァンホァンに人工授精。妊娠に至らず。
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93年
神戸にパンダを呼ぶ計画の、協議だけはスタート。
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94年
ホァンホァンとリンリンが同居したが発情なし。
恐ろしいことに、ホァンホァンは倫理を知っていて、娘の婿には体を許さないのである。
94年3月23日
トントン発情。
94年3月31日
リンリンの精液でトントンに人工授精。
以後99年まで毎年、トントン発情のたびに人工授精したが失敗。
94年12月14日
フェイフェイ死亡。推定27歳。老衰? 遺体は科博へ研究用に寄贈。
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94年8月31日
成都で冰冰が出産。メイメイ(梅梅)誕生。ほかにも何度も出産してるらしいが、白浜に関係ない話は略させていただく。
94年9月6日
アドベンチャーワールドが、エイメイとヨウヒンをレンタル。10年契約でレンタル料1千万ドル。
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95年
リンリンの精液でホァンホァンに人工授精。妊娠に至らず。
ホァンホァンはどこまでも拒否し、倫理を守った。淫乱のアバズレでも子孫を残したほうが良かったのかもしれないが。
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95年1月17日
阪神淡路大震災。パンダ借り受けはひとまず計画中断。
95年9月14日
臥龍でロンロン(龍龍)誕生。
95年9月16日
臥龍で爽爽が誕生。のちのタンタン(旦旦)。
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96年8月12日
臥龍で錦竹が誕生。のちのコウコウ(興興)。
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96年
哈藍が成都へ。
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97年
北京動物園に行ったユウユウは、この年から約2年間、河北省石家庄の動物園で飼育される。繁殖目的らしい。
97年7月
ホァンホァンが体調を崩す。
97年9月21日
ホァンホァン死亡。推定25歳。腎不全。遺体は科博へ。
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97年7月17日
ヨウヒンが病死。
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98年1月
計画再開を、中国国家林業局へ打診。
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99年5月
中国野生動物保護協会と、「ジャイアントパンダの繁殖に関する日中共同研究意向書」。
99年8月11日
中国野生動物保護協会と、「ジャイアントパンダ日中共同飼育繁殖に関する意向書」。
99年9月
パンダ館の建設開始。
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99年9月4日
成都でメイメイが初産。メスの双子。体毛のない新生児の姿に動揺して、長女の胸を引き裂く。手術で7針縫ったので、「7針」と発音が同じ奇珍(チ−ジェン)と名付けられる。妹は奇縁(チ−ユアン)。この姉妹はのちに名前のとおり珍奇なことをやってのける。
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第四次ブームへと続く→
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