人々 

「あがり」「あがりちゃん」
引退すること。
結構長くやってきて準指導員くらいではあるが、もうこれ以上は難しすぎて私には無理、今後は旅行や陶芸など別の趣味をやりたいなどと言い出し、つきあいがなくなる。
主に女性に対して言うので、更年期という意味を含んで、恩知らずというニュアンス。
世間一般的には、バンギャ(ビジュアル系バンドの熱烈ファンをやっているギャルの意)を卒業することを「あがる」と表現されている。

「秋葉系」
これ
です。

「秋元」
指導者と教え子が結婚すること、また、その指導者。
おニャン子クラブが、結果的に秋元康さん一人のための御見合いだった、と評されたことが語源。
もともとは中学バレー部の隠語だという。
人を好きになってしまうのはしょうがないことで、幸せなら誰にも文句をつけられる筋合ではないが、どんなに優秀な指導をしても、結局そっちが主目的だったか、常にそういう目で見ていたのか、と言われる。
私見だが、画家、写真家、演出家、プロデューサーなどは、商品には手をつけず、一線を引いたほうが良い仕事ができる。
いつも一緒にいれば好きになって当然だが、いつも一緒にいるのが武術仲間ばかりという狭い環境はそもそもよくない。

「あだち君」
御指導お願いしますとか、私にもひとつくださいとか、自分からは決して言わず、もの欲しそうに、こっちを見て突っ立っていて、声をかけてもらえるのを待っている人。
20代くらいの、色白で目のぱっちりした初心者に多い。
あだち充というマンガ家の作品に出てくる人物が、おちょぼ口でキョトンとしていることが語源。

「梓弓」
あづさゆみ。年齢のわりに老けて見える女性のこと、特に名前がゆみちゃんだった場合。
「あづ」は、崩れやすいという意味の言葉。

「いい人」
温厚で、人徳があり、技に癖がなく、ガツガツしておらず、あまり成績は上げないが、なにごともほどほどに安定していて、大きく失敗しない人。武術以前に人間がよくできているとか、これは武術では身に付かない貫禄だ、などという。

「イモ」
柔道初心者のこと。
ゆでた新じゃがは鍋を振ればお互いぶつかりあって自然に皮がむけるから、いちいち皮むきがいらないという、合同練習の切磋琢磨を説く、本来はいい意味。
いつまでイモやってんだ、というような言い方もする。

「植芝先生!」(たとえば)
その世界の有名人と同じ名前の初心者を、わざと先生づけで呼ぶ悪ふざけ。
道着に前の持ち主の名前が刺繍されていると、その名で呼ぶという冗談もある。

「エース」
強剛選手。主力投手。
フランス軍が、5機撃墜した者にはエース(トランプのA、フランス語ではアス)の称号を許したのが始まりだという。
第二次世界大戦の時には、フランスは弱小だったので、勝てっこない者にやる気を出させるための制度になっていたから、うちの父なんかは、この言い方をひどく嫌っている。
日本海軍では、パイロットだけが偉いわけではないとか、個人の手柄よりも任務が優先とか、殺人の数を自慢はしないなどの理由で、エースという概念がない。
アメリカでは、アスは、尻や肛門をさす一般的な言葉。

「演歌系」
演歌歌手のような印象を受ける選手。男性だと、眉が垂れ下がっている、目が小さく細い、物静か。女性だと坂本冬美さんのような感じの人。たいてい強剛である。

「大師匠」
自分の直接の指導者の、そのまた指導者。逝去なさっていれば先代様などと言う。祖父という扱い。
一説には、一門のトップだけが大師匠だともいうが、これはどちらかといえば演芸の世界での言い方だと思う。
武道界では、一門のトップ(自分の3つ上の師にあたることが多い)は、宗家とか代表とか総帥とか館長などと呼んでいる。
開祖だけが大師匠だとする考え方もあるらしいが、用例を見かけない。開祖は普通に開祖とか流祖とか言う。

「岡本綾子型」
口をあまり開けずに話す女性。一流選手に育つとして、指導者の間で取り合いになる。
田村亮子さん、宮里藍さん、佐藤有香さん、上村愛子さん、宇津木監督、田中真紀子さんなどがこのタイプだというが、そうでもないのではないか?
声で体調や性格を見抜く占いはジェロスコピーといい、武術にも似たノウハウはあるが、あまり絶対的なものではない。

「織姫・彦星」「サンタクロース」その他
年一度しか道場に来ない人。本当に実在する。

「お姉さん」
師の奥様や先輩の奥様は、名前や既婚未婚がわからないような呼び方をしなければならないという慣例が一部のボクシング道場にあり、個人情報保護が叫ばれる前から、昭和50年代からすでにおこなわれていた。

 

「怪獣」「怪物」
容姿の劣った女性。しかし、試合は強いというニュアンス。
かつて女子プロゴルフにはブスが多いとされ、選手名鑑が「怪獣図鑑」と言われていたことから来ている。
一般に、剣道や打撃系には美人が多く、柔道や弓道には少ないという偏見が根強い。浅利与一夫人のような例もある。

「皆中」
知ったかぶりをする指導者。現代落語が語源。
才能のない小説家がいて、作品を書いても書いても当たらないので、「小説家を目指す人のための文章講座」というのを始めたところ、生徒が、弓道を題材にした小説を書いてきて、添削することになった。
指導者は以前、弓道場で、皆中、皆中とみんなが言っているのを聞きかじっていたので、『弓道をやっている者が、こんなセリフを使うわけがない。私の記憶が確かならば、弓道では的の中央の点のことを皆中と呼ぶはずだ。そういう基本的な事をもっと勉強してからにしなさい』と批評する。
後日、皆中の本当の意味を知り、『見事に外れていた、やっぱり私は当たらない』というオチ。

「ガキ」
質問する初心者。あの道場はガキがからんできてやりにくい、などと言う。
その質問内容も、今やっている練習についてではなく、手を触れずに敵をふっとばす技はどうやるのかというような、あまり相手にしたくない話題が多い。
そもそも武術では質問が許されないことが多く、特に稽古中は厳禁であり、あとで風呂場や帰り道でおたずねするが、具体的に教えて頂けないことが多い。
子どもさんを餓鬼と呼ぶのは、ものを欲しがってねだるからだという。
ネット上では、中坊(中学生の意)、転じて厨房、厨、という表現をよく見かける。

 

 

 

「学者先生」
学者という言葉は蔑称だという説がある。武術史などの学者さんは、専門家とか研究家と呼ばなければならないとかなんとか。
ましてや学者先生という言い方は、「実生活の役にも立たぬことを理屈ばかりこねまわしている青白い軟弱者、変人」という意味がこもっており、ほめ殺しのニュアンスだという。この用例は明治時代ごろからあったらしい。
頭の中にカレンダーが入っていて、何年何月何日が何曜日とか即答できる人がいるが、これはイディオ・サヴァン(白痴学者)といって、学者ではなく障害であり、精神の発達障害、自閉症、知能指数が低すぎて社会生活すら成り立たない人々の中に、ごく限定された計算や暗記の能力が飛び抜けた人がいるという現象。
ところが、イディオ(白痴)が差別用語であるとして言葉狩りされたために削られ、現在はサヴァン症候群(学者病?)という奇妙な病名になっている。

「楽長」
昇級が遅い人。海軍用語。
軍楽隊は、直接は戦闘しない軟弱な分野とみなされて、出世が難しく、楽長でもせいぜい大尉どまりだったことから。

「金森」「北の金森」
試合傾向がわからない選手や、経歴詐称が疑われる選手。
「どーこーからー、流ーれてー、きたーの、かーメーモーリ」という、歌詞と曲が合ってない歌があり、カネモリと聞こえたことが語源。
作詞の世界では、詞が曲にうまく乗っていないことを「光トカゲ」「泣きは彼」などと言っている。

「鎌倉派」「新宿派」
下品でまがまがしい武器を好み、練習ではなく武器の利で強くなろうとする人たち。中国武術初心者に多い。

「枯れている」
武道では、目上に対して、そうですかという言い方はあっても、そうですねという返事はない。わかったような口をきく奴、無礼なので。
「そうかもしれませんね」「そうですかねえ」なども、相手の言葉を尊重していないとみなされる。
しかし最近は、9倍も年上の相手に向かって「やはり武道は礼が大切ですな」というような言い方をする子どもさんが多く、こういうのを指導者の間では、あの子は枯れていますな(老成しているの意)などと言い、言われたほうの指導者は、ですな、と受け答える。

「ガングロ」
空手を好む男性のうち、親が偉大で、よく陽に焼けていて、彫りが深く細面、まつ毛が長くて歯が白いというような人は、手癖が悪く、借金を踏み倒し、女癖も悪いとされている。某流派では創立以来、逮捕された人が全員コレなのだという。
特に置き引きに対する注意として言われている。

「がんばるマン」
すすんで役職をかって出る女性。女性なのにManなのは、別の意味のマンらしい。

「聞か猿」
聞く耳を持たない人。超古代の秘密文献に、神代文字でアメリカと書いてあり、日本人が全世界にちらばって各民族の粗になったのでありニューヨークという日本人の子孫が都市の名前をニューヨークと名付けたそうですよ、って、普通の常識人なら、アメリゴという探検家にちなんでアメリカ大陸と名付けられたのだし、先にヨークという地名があったからニューヨークなのであり、そもそも奈良時代以前の日本語は50音ではないのに漢字以前と称する文字が明治以降と同じ読み方かよ、と反論するが、「それもまた、すでに予知されていたのである」とか、自分に都合いいように信じ込んでしまうので、キチガ◯に何を言っても無駄である。
この手の人間が、古流や中武には、ものすごく多い。

「巨人軍」
背の高い選手団。何のジャンルでも有利なこととされる。
そもそも、なぜ野球チームごときが「軍」かというのは、読売のエリート意識であるとか、広島だって赤ヘル軍団と言っているとか、中日だって設立時は名古屋軍という名前だったとか、千葉だって海兵隊だとか言うが、軍事学から見れば、かつてプロイセン軍に、体の大きな人ばかりを集めた巨人連隊というのがあった。

「削り役」「もみ役」「お客あしらい」
いわゆる、荒ごなし。
道場破り(現代でいうと出稽古に来た部外者や、同門でも若手の中堅)を疲労させる役目。指導者の有望株が担当する名誉の役。
ひとりで何十人にも稽古をつけるのは、達人でもバテる。そこで、偉い先生と手合わせしたい者は、事前にクタクタにされる。名誉を守るためもあるが(先生にコテンパンにされた者も、疲れていたのでと言い訳できる)、青年が老人に体力で勝てるのは当たり前であり、互角の身体能力にしてから心・技の微妙なところを学ばせていただかないと稽古にならない。

「外道」
基本から外れた人を邪道と呼ぶが、外道という言葉は、別の方法論、我々はしないが、そういうのがあってもかまわないという意味で使われることがある。仏教用語。

「コウ」
究極の幽霊会員。名簿に名はあるが誰も会ったことがない。OBなどという、よくわからない肩書になっていたりする。正しくは郷(ゴウ)だと思うが、濁らない。

「黄門様」
初心者だが、他ジャンルではベテランな人。あらゆる理由で扱いにくい。

「ゴキブリ忍者」
動き忍者の意。よけて、かわして、くぐって、死角にもぐりこもうとする芸風のこと。
日本の武術の場合、体が小さかろうと武器が短かろうと、堂々と大きくまっすぐに行くのが筋で、自分からチマチマ動いてよけるのではなく、相手を動かして追い回すような具合にやることになっており、「百万石の殿様のような剣道」「たけくらべ」などという極意になっている。
舞の海さんの八艘飛びのようなことは、たまにやるから意外だから効くのであり、こればっかりでは、コセコセした小人物になってしまう。
ゴキブリは御器カブリ(食器に噛み付く虫)の意であり、要するに、器がない者がある者の周囲をチョロチョロするのである。

「誤植さん」
写植機で印画紙などに打った版下用の文字を写真植字(写植)といい、その誤字を誤植という。
ところが、誤字脱字や誤変換を何でもかんでも誤植と呼ぶ人がよくいる。しかもそれが他人の誤字に厳しい人だった場合、その人の存在自体が誤植であるとして、誤植さんと呼ばれる。しかも今どきはDTPでページ丸ごと出力なので、写植はあまり使われていない。
もともと雑誌の誤字を指摘する投稿をしつこく送ってくる読者をさす。
転じて、学究肌かつロマンチストな女性をさす隠語になっている。歴史や神話や芸術を好み、本から得た知識が豊富で、詩を作るのが趣味、プライドが高く、流行に乗らない、というようなことを誤植さんという。

「コブ付き」「二人掛かり」
妊婦。本人は平気で練習に出るが、周囲はハラハラ。
コブ付きは、まだ入門していない乳幼児を連れて稽古に来ることをさす場合にも言う。コブ付きですみませんと自虐的に言う。

 

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