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秋葉原

この地名は、アキバ権現様という土地神によるものであるから、正しくはアキハバラではなくアキバハラのはずです。
俺が知る限り80年代末期には、すでにゲームマニアの人たちは、正しくアキバと言っていた。この点では、オタクの人は決してただのボンクラではないと言えます。こだわりがある。

秋葉原が世界一の電器街「だった」ことは御存知のとおりです。現在では少し事情が違ってます。

俺が東京に住み始めた頃は、秋葉原に行けば、電気製品が何でも安く買えた。
それがだんだん、秋葉原は
どちらかというとパソコン街やゲーム街になってしまった。
冷蔵庫などのいわゆる白物家電は、場所ばかり取るわりに、そう毎日は売れないため、秋葉原の電気屋さんはあまり力を入れなくなり、かわりにカメラ屋系の量販店や、郊外のディスカウントショップのほうが、広いフロアで白物を多く安く扱うようになっていった。
しかし今でもパソコンだけは、周辺パーツなどの品揃えや中古市場も含めて、秋葉原が一番だと思います。

昔はパソコンが今より高価だったので、個人用にパソコンを買う人といえば、理系で何か研究している人か、アドビ物を扱うクリエイターか、MTRではあきたらなくなって打ち込み音楽をやっている人か、そうでなければ、やはり、ゲームが目的の人たちがほとんどでした。
パソコンのヘビーユーザとゲームマニアが同じ購買層であれば、パソコン街になった秋葉原がゲーム街でも、なんら不思議はない。
そして、ゲームに関連して、アニメとか同人誌とかコスプレとか声優とか、そういった文化の世界的な中心地になっていったんでしょう。

我々世代にとっては、クラスに一人くらいは、そういう人がいました。メガネをかけていて、いわゆる「博士」キャラで、家がお金持ちで、何でも持っていて、勉強やスポーツや喧嘩や恋愛では落ちこぼれていたが、仲間からは一目置かれ、うらやましがれていた。

たとえば…。

電子ブロックやゲームウォッチなどから、さらに一歩進んだ人たち。
ポケットコンピュータとかなんとか、ごっつい電卓のようなものを持っていたり、MSXとかなんとか、カセットテープを記録媒体に使うような簡単なパソコンを持っていた。
この人たちは、パソコン言語などの豊富な知識があって、高校も電気科に進んだりして、コンピュータが中心の時代が来ることを早くから見抜いていたようです。
俺の世代ですら、中学の頃にもう、自分でゲームを作る人がいました。

こういう人たちは、インターネットも早かった。アマチュア無線から進んで、あるいは、文通などのかわりに、ニフティを始めたような人たち。先見の明があったわけで、日本のITの先駆者と言える。
俺の周りでは、アマチュア無線をやるほど科学志向の人はいませんでしたが、それっぽい雰囲気の人は、天体観測とか鉄道とか釣りとか将棋とか、大人っぽい趣味をやる人が多かったです。当時オタクという言葉はなかったけれども、その頃のオタクは、精神的に幼稚な人は見かけなかった。おじいさんたちから技術を教わっていて、礼儀正しく社交的で、他の同級生よりも大人に見えたくらいです。

 

武術界で言う秋葉系とは

武術の席で秋葉系と言ったら、「成人しても精神的に未成熟なままで、現実社会が苦手な人」をさします。その人がアニメやゲームが好きかどうかは関係なく、漠然と、オタクっぽい人をさして、そう呼んでいるのを見聞きします。

実際は、いわゆるオタクの人が全部が全部ダメな人ではないし、ダメな人だけが秋葉原に入りびたっている人とも限らないのですが、オタクという言い方は、あんまり武術界では使われていない。
たぶん、現代において武術をやっていくこともまた、広義にはオタクにほかならないからです。

家庭を捨て、会社を捨て、養子に入って内弟子にならなければ武を極められないということは昔から言われており、残業をすっぽかして稽古に出たり、妻子をほったらかして休日ごとに他道場を回ったり、いわゆる空手バカ一代が当たり前なので。
ましてや、鉄道が好きとか、写真が好きという、おだやかな話ではなく、いかに敵を倒すかということをやっているのだから、いくら人間形成とか活人剣とか言っても、暴力的な世界であることは否定できない。

だから、いわゆるアニメやゲームのほうの人は、秋葉系というような言い方で、区別されているわけです(最近、女性の場合は不思議ちゃんという言い方もよく聞く。大学生がよく使う)。
この人たちも武術に興味を持ってくれて、入門してくることがあるけれども、すぐやめてしまい、やめた後に武術の悪口を言うことが多い。拳銃で撃たれれば終わりとか、プロレスが最強だとか、冷めたもの言いをする傾向が見受けられる。口調も、「〜ですな」「ちなみに」「しょせん」などと、妙に枯れていることが多い。

 

極端に体力や根性がなく、肥満気味であることも多く、それはこれから鍛えればいいのだが、自分勝手、卑怯、現実逃避、責任転嫁、根拠のないプライドの高さ、社会性の欠除、特に生身の人間との対話が苦手であることなど、現状の欠陥が障害になり、本人は努力したいのにできない場合が多い
(世間のオタクの人がそうだと言っているのではありませんよ! ここでは、武術の場で秋葉系と呼ばれている人たちの話)。

決してやる気がないわけではないのに(なにしろオタクなのだから、自分の好きな分野にかける情熱や集中力や根気は、むしろすぐれている)、にもかかわらず諸事情で、がんばりたくてもがんばれないわけです。

彼らは武術に興味を持ってくれているんだから、今どきの若い者はとか言ってないで、こういう無限の資源を活かしてこそ、武術界の未来が開ける。
これは社会問題でもあり、こういう人を助けてこそ武道指導者の腕の見せ所であり、
この城でも応援していかなければならない事ですが、どこから手をつけていいのか大変に難しい。

現在、武術を志す人は、微増ではありますが、おおむね増えてます(柔道だけは国際的には減っているともいう)。出生率は落ちているのだから、アニメやゲームはむしろ入口というかきっかけとして、決して武術の敵になるものではないはず。

 

秋葉系だからダメになったのか、もともとダメ人間だから秋葉系になるのか、秋葉系が多いから一部にダメ人間も含まれるのか

こうした偏見は、年配の先生がよくおっしゃることで、あいつは婿養子だから試合に弱いとか、あいつは浪人生だから審査に落ちたとか、理由は何でもいいわけです。何でも言われてしまう。
たまたま試合に負けた人が、更衣室で着替えている時に、セーラームーンのTシャツを着ていたので、やっぱりな、だから負けたんだ、と笑われる、その程度のことにすぎないわけです。
俺もきっと、独身だから子どもさんの扱いが下手とか、陰で言われているのかもしれない(笑)

俺は小学5年くらいを最後にマンガ雑誌は買ってないし、男塾や聖矢くらいを最後に単行本も買わなくなった。マンガ喫茶だのメイド喫茶だの一度も入ったことがない。
アニメはサザエさんくらいしか興味なくて、ジブリ作品だけはテレビでやっていれば観たり、由美子ちゃんが徳間書店さんと取り引きあるので、関係者だけの試写会に呼んでくださったりするけれど、自腹でアニメ映画を劇場で観たのはサイボーグ009が外宇宙に行く話が最後。
ゲームも、ファミコンとかそういうの一切やってこなかったので、スーパーマリオもドラクエもFFも、一度もやったことがない。20代の一時期、ゲーセンでテトリスとかやってたくらいで、今ではパソコン雑誌についてきたシェアソフトのブロック崩しなどをたまにやる程度。
しかし、それは全部「たまたま」です。
やれば、当然ハマったであろうことは、絶対に間違いない。ハマるとわかりきっているから、これ以上時間がなくなったら大変だから、わざとやらなかったわけで。

マンガやアニメやゲーム自体が悪いわけではないということは、うちの城では一貫して言っていることです。

世の中全体的に倫理観が低下していて、秋葉系であろうとなかろうと、少年による無差別殺人や幼女誘拐は確実に増えている。
秋葉系だからそういう犯罪に走ったのではなく、犯罪に走る人は秋葉系なものを好むというだけのことで、なんとなれば、現代の子どもさんでマンガやアニメやゲームをやらない人のほうが少ない。
それは、交通事故を起こす車は白い国産車が多いと言うようなもので、数が多いのだから当然です。赤い外車にすれば事故が減るというものではないはず。
アニメやゲームを好きだからといって、武術を教えたら悪用するという考えは滑稽というもので、それを悪用しないように育てるのが指導者でしょ(笑)

世間で秋葉系と言われている人すべてが、武術界で言う秋葉系ではないのも当然です。
佐竹先生のように、体を鍛えていても特撮に興味がある人もいる。
俺の知人でも、極真初段で、格闘ゲームをイメージトレーニングに使う人がいます。
由美子ちゃんは、スマップのDVDを見るためだけにプレステを買い、画面に合わせて足踏みするゲームソフトを買って、毎日そればっかりやって、一時期はジム通いをやめてしまったくらいです。

 

この話は、この道の達人の方々から頂戴した御意見があります。
 →こちら 

実際に秋葉原にいてオタクやってる人たちが、自分たちをどう思っているかということは、かなり幅広い考え方があるようです。
時代の最先端で現在進行中の文化なので、定義が確定していないらしい。

 

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