明治三十七八年戦役従軍記章
日露戦争の従軍章。
白っぽい銅章、上に菊紋、下に桐紋、連隊旗と軍艦旗を斜交、裏は月桂樹と戦捷草を斜交、盾に「明治三十七八年戦役」。銅鈕。綬は緑地中央に群青の太線、白フチ。飾版に「従軍記章」。
このころロシアは、日本の邪魔ばっかりしていました。日本はせっかく遼東半島を奪い取ったが、ロシアはそれを清に返してやれと言ってきて、仏独もさそって三国で圧力をかけてきた。だから返さざるをえなかった。清を侵略したいのはロシアだって同じだろうに、いい子ちゃんぶって、日本だけ悪者にして、偉そうに忠告してくる、なんてズル賢い奴らだろうと、いつかロシアにはギャフンと言わせてやるぞと、日本中が思ってた。日本人は、そういうネチネチしたの得意なんですよね、忠臣蔵みたいで。
ついにロシア軍は大挙して南下、清や韓国に手を伸ばしてきたので、日本はロシアに宣戦布告したわけです。
日本は装備も人材も一流だったし、ありとあらゆる裏工作も全部やったし、まだ気合でどうにかできた時代だから、陸海ともに大勝利しました。
これでロシアから南樺太や漁業権などをぶんどって、清や韓国での日本の利権も認めさせた。このあと韓国はすぐ日本に併合になりました。
本当は日本はバテバテで、とても大国ロシアを相手に戦争を続けていける状態ではなかったけれど、なにしろ神様がついてる軍隊だそうですから、運も味方しまくった。
たまたま極東というのがロシアにとって辺境で、こんな東の果てまで軍隊を持ってくるだけでも大変だったし、たまたまロシアは革命に進んでいく時期で内政が忙しくて、あんまり実力が出せなかった
たまたま利害が一致したアメリカも、いいタイミングで仲裁してくれた。
これは、勝ちすぎでした。こううまくいくと、味をしめて調子に乗ってしまう。ロシアの極東軍に勝てるんだったら、アメリカの太平洋艦隊にも勝てるんじゃないかとか。

 大正三、四年従軍記章
第一次大戦というか青島攻略の従軍章。
銅章に、菊紋、連隊旗と軍艦旗を斜交、桐。裏に「大正三四年戦役」。銅鈕。綬は群青地の中央に太い白線。飾版に「従軍記章」。
日本は米英に借金までして日露戦争に勝ったものの、ロシアから賠償金を取りそこねて、国力を低下させてしまったところへ、都合よく第一次世界大戦が始まったわけです。
フランスはプロイセンと戦争して負けたばかりで、仕返ししたい。プロイセンは統一を果たしてドイツになり、三国同盟を作ってフランスをいじめ続ける。フランスはロシアと手を組んでドイツを挟み討ち。ロシアはバルカン半島を狙ってるから、同じことたくらむドイツが邪魔。海軍世界一を自認する英国は、やたら海軍を増強し始めたドイツが目ざわり。
日本はというと、英国と仲良しでした。ロシアがあんまり南下してくると、英国はアジアで儲けにくい、でも英国は南アフリカで戦争やったばかりだから、アジアまでは手が回らなくて、日本がロシアを牽制してくれるのは都合よかった。
英国はあんまり他国とベタベタしない国なんですけど、日本にだけは、自分からすすんで仲良くしてくれて、日露戦争の時も、あらゆる分野で、なにかというと手助けしてくれてた。日英は軍事同盟も結んでたから、英国とドイツが戦争するんだったら、日本もドイツを攻める理由が立つ。

日本はアメリカに満州を取られたくないから、日露戦争のあとロシアとはあっさり仲直りしていた。フランスはインドシナを固めておきたいから、日本とはナアナアのお友達。
中国を食いものにしてる日英仏独露のうち、ドイツの勢力範囲は狭かったから、これなら日本にも奪い取れそうだし、他国も文句を言わなそう、というより、ぜひ攻めてくれと英国が依頼してきた。
てなわけで日本は、ドイツを敵に回し、ドイツの敵と仲良くしてたほうが、お得だったんですね。
そこへ第一次世界大戦が起きたものだから、このチャンスに、山東半島のドイツの租借地をつついて、ドイツの利権を横取りしました。
このとき日本は、頼まれて地中海に援軍を少し出したりもしたんですけど、ヨーロッパのことはどうでもよくて、西でバカやってるスキに東をかすめ取りたかったわけで。
しかも戦争の特需で、鉄やら船やらヨーロッパに売り付けて大儲け。ヨーロッパは戦争で忙しくて商売するヒマがなかったから、アジアやアフリカの市場にも日本製品がよく売れた。
これで借金を全部返し、いよいよ日本は先進国になったけれども、このへんでほどほどにしとけばよかったものを、このあと、つい欲を出してしまったんですね。
帝国主義とか植民地政策は悪だが、欧米の列強国だってみんなやっていたことだ、という言い訳は、それはそうなんですけど、悪者にも悪者のルールがあるんで、悪者同士で協調しながらやらないと、出る杭は打たれる。

 大正三年乃至九年戦役従軍記章
青島攻略だけではすまなくて、シベリアにも軍隊を出したので、両方まとめた従軍章を作りなおしたもの。
デザインは同じで、裏の文字だけ「大正三年乃至九年戦役」と変えた。
このへんが混乱してるのは、シベリア出兵というのが、第一次世界大戦に含まれるかどうかが微妙なんですよね。
ロシアが、ついに革命やってアカになったのも心配だが、
勝手にドイツと講和して、ひとりだけ戦争をやめてしまったのもズルくてけしからんので、ロシア国内にいたチェコスロバキア軍を救出するという口実で各国がシベリアへ軍隊を出したわけです。
第一次世界大戦が終わり、各国はシベリアから順次撤退したけれども、日本だけは、このドサクサにシベリアをぶんどりに行ってたんで、そのまま4年くらい居座って、莫大な戦費をつぎ込んでしまった。
寒さと性病とパルチザンに殺されただけで、一文にもならなかった。俺の伯父も命からがら帰ってきました。
日本国内では景気が良すぎてインフレになっていて、金はあっても物がない、物があっても高すぎる。シベリア出兵のせいで、特に米の買い占めや売り惜しみがあり、価格が上がって全国で一揆が多発、その鎮圧に軍隊を出動させたり、内閣が責任とって辞職したり。
日本人が大陸を狙う野心がなみなみならぬということが世界中にバレて、ますます諸外国から目をつけられたり。
ムダ足です。ひとつもいいことがなかった。旧日本軍にとってのベトナム戦争だったと俺は思ってます。それでちっとも懲りないところまで同じ。

 

つづき 

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