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  伺候席

江戸城内の席次(詰所。控室)です。
これの格差がそのまま大名の格付けであり、親疎と官位と石高に応じて決まってます。

 大廊下(大廊下上之部屋)
将軍家に血筋がごく近い超大物。
御三家(家康公の子孫のトップクラス)、御両典(家光公の子孫)、鷹司松平(血筋の良い公家で家光公の義弟だったり紀伊徳川家の娘婿だったり)。

 大廊下下(大廊下下之部屋)
外様の超大物で、徳川家に親しいもの。加賀前田(御三家とほぼ同格、というか水戸家より位が高い)、鳥取池田(家康公の娘婿)、阿波蜂須賀など(家斉公の実子が当主など)。
徳川一族の上位だが傍流。
越前松平(家康公の息子のうち最も兄貴分)。

 大広間
大廊下に準じる大物。
国主か国主格、または四位以上。外様大身、親藩、御連枝など。

 黒書院溜間(松溜)
譜代トップクラス。侍従。徳川四天王(酒井、本多、榊原、井伊、ただし本家)。
前老中(在職が長かった場合のみ)。
徳川一族の下位だが特殊なもの。
会津松平(譜代の家だが、家光公の弟、家綱公の後見人)、桑名松平(家康公の異父弟の系統だが、秀忠公の相談役)、高松松平(水戸分家だが、じつは水戸藩主の同母兄)など。

 (溜間御次)
家柄ではなく役職で一時的に偉い人たち。
御留守居(江戸城代)、京都所司代、大坂城代などの、現役。

奉行クラスはもう少し低くて芙蓉間。

 白書院帝鑑間
譜代の中堅以上、やや大物、無役15万石クラス。
政治よりも軍事を担当する譜代であり、石高は多め。
または、ほかの部屋にいるべき大名や旗本が、なにか理由があって、この部屋を許された場合。柳沢吉保侯、願い譜代など。

 柳間
外様の並以下。10万石以下、ほとんどは7万石以下。
大広間クラスの外様の、分家など。まだ四位になっていないか、なれない人。
大名に準じた格式か禄高を持つ旗本、大名よりも官位の高い旗本など。

 雁間
譜代の、中の下くらい。5〜10万石くらい。
ただし、老中など幕府要職に就任して政治を担当するのは、このクラス。家ではなく人を選んで、その時その時の優秀な者を抜擢できる。失脚しても使い捨てにできる。
そのほか、溜間御次の家の跡取り息子など。

 菊間広縁(菊間縁頬)
譜代大名の最下級。無城2万石以下くらい。分家や支藩が多い。

 (菊間)
雁間の大名の跡取り息子。そのほか、大番頭など。
これは伺候席には含まれない。

 無席
特に部屋を決めておかない、という身分の人のための部屋。

家来筋でないので詰所に控える筋合でない家。御両卿・御三卿(吉宗公の子孫)。喜連川(規格外)、ただし時期によっては大廊下下などにいたこともある。

 

 

 

この順に偉いとか優遇されるというわけではなく、例外や変更もかなりあります。

身分相応でない部屋に成り上がって、みんなに意地悪されて、自分の座る場所がなく、ひとりでウロウロして時間をつぶしたなんて話もある。

大名の家臣たちは、蘇鉄間という控室がある。

もちろん、側用人とか、将軍の身の廻りの御世話をする人とか、文書係とかは、将軍とほとんど同席している。書院番は虎間。

老中には、御用部屋という執務室がある。
ほかに、芙蓉間とか檜間とか、旗本の部屋もありました。

大名でも、なにかの役職についている時は、芙蓉間だったり菊間だったり。
役職による伺候席の変化は、各ページにほとんど書き入れませんので御承知おきください。
奏者番以上は、だいたい芙蓉間です。

これらは、余力があったら、「誰と誰が親しかった」「なに藩となに藩は交流があった」ということまで話を広げようと思ったのですが、あんまり余力ないです。
大名によっては、毎日江戸城に上がって、毎日、同じ大名と同席します。

所有している家宝が誰からの贈り物か、幕府役職で誰と同僚だったか、というのを見ると、やっぱり、同じくらいの格式の、領地や屋敷が隣接する大名が、友人であることが多いように見える。

参勤交代は、本国で謀反を起こせない、江戸に攻め込むこともできない、ということを狙っているので、たとえば、尾張と紀伊、伊達と島津などは、どちらかが江戸にいるように、在府在国をずらしてあります。

歴史的経緯による確執で、序列を決めにくいものや、同席できない理由もあるので、そのへんは幕府も気を使ってました。
前田家と丹羽家は敵同士、織田家から見ればどちらも家来筋。
毛利家から見れば、吉川家は独立した大名ではなく毛利家の家来、しかも本家を敵に売った裏切者。

伊東家から見れば、島津家は侵略者。
立花家から見た島津家、池田家から見た永井家は、親のカタキ。
南部家から見れば、津軽家は家来、しかも主君の土地を盗んだ裏切者。
足利一族から見た上杉家、最上家から見た上杉家、上杉家から見た北条家は、成り上がりの土地泥棒。

過去の話だけではなく、その時その時で、頼みごとを断られたとか、恥をかかされたとか、いろんな義理や恨みがありました。
面白いことに、領民たちにも、そういう相関関係が及んでいたり、現代の県民性にまで引きずってるものも少なくない。

家格や官位の序列のほかに、藩主と藩主の、個人的な、人間としての上下もありました。
婚姻や継室側室や養子の問題があるので、年下だけど義理の父とか、庶子だけど長兄とか。

藩主の格付けを見るのは、どんな武術を好むか(戦国時代の気風を強く残しているか)、武術が地域色や政治色を帯びるか(国替えの頻度、勤王佐幕攘夷の方向性)、というようなことに関連してるからです。

 

 →つづき 

 

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