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 変えにくい

昔の武士が、戦場で頭や背中につけた識別の飾りは、あんまり巨大なものはよせという教えがある。

つまり、若いうちならいいが、それがその人をあらわす名物になってしまうと、どんなに狭い場所でも、体力が落ちた中年以降も、必ず使い続けなければならない。
ちょっと小さくしたりすると、あいつもヤキが回って落ちぶれたなと笑われるから、ひっこめられない。
落としたり壊されたりすると、後生大事な名物を放り出して命からがら逃げやがったとか、御自慢の鼻ッパシラをへし折ってやったぜとか、またまた笑われる。

うちは、先祖が長らくやってきたために俺もそうしなければならないもの、というのがありました。
兜の立物が何で、あざなは何の動物で、号の最後の文字が何で韻をふむとか、鍔の形はコレとか。
しかし、必ずしも気に入らないものもあったので、元服の6年後に少し微調整しました。
これがまた、ひとつ変えるとあちこちツジツマが合わなくなるんで、大変でした。
それ以降は変えてません。あんまり変えたらシンボルじゃなくなる。

 

 虎之助になるな

御先祖の戒名が書いてある位牌っていうのが、仏壇にありますよね。
あれの巨大なやつ、何メートルもあるようなのを戦場で目印にしてた、矢部虎之助という力持ちの武士がいたんです。
大坂攻めに、徳川側の一員として参加した。

ところが、そんなバカでっかいものを付けてるから、重くて馬が進まず、一人だけ手柄を立てられなかった。

大坂の陣は戦国乱世の最後の戦いだから、もう二度と挽回するチャンスはめぐって来ない。
おまけに、その位牌には「散る時は見事に散ってみせるぜ、俺様が虎之助だ」というような、酔いしれたポエムみたいなことを書いてたものだから、恥ずかしさのあまり、絶食して死んだそうです。
自分でわざわざ用意した位牌のせいで死んだ、ということになるから、ますます恥ずかしいではないか。

もっと生きて、別の分野(たとえば文学とか)でもいいから活躍し、過去の恥を自分でふっとばす道もあったのに、それもしなかったから、ますます恥をうわぬりしたことになる。

彼の死をムダにしないためにも、いい教訓として、我々も気をつけましょう。

 

 

 

 キャラクターを贈られる

師が使っているマークなどは、おまえも使えと言っていただいたもの以外は、師の没後でも使うのははばかられる。

師が、これ自分用に買ったんだけどさー、どうも俺にはふさわしくないから、あんた似合いそうだから、よかったら使って、とおっしゃって、新品または新品同様の道具をくださることがあり、じつは、それは気を使わせないように言ってくださってるだけで、俺があんまり安物や古いのを使ってるものだから、わざわざ新品を買ってきてくださったのだと後で知って恐縮したりするんですが、本当に余ってていらないからくれるということもある。

そうすると、かっこいいやつだったら、「これは70歳すぎた偉い先生からせっかく賜ったから、俺には不相応な高級品だけどしょうがないんだ」とか言えるけれども、へんなのだったら、え〜俺だってこんな派手な色はイヤだと思いながら、「なんだ使ってくれてないな、気に入らなかった?」「いえ、もったいなくて自宅に飾っております」なんてことになり、でも少しは使わなきゃならないんで、一度でも使えば「派手な人」になってしまう。

また、稽古着のお下がりをいただくにしても、偉い先生っていうのは特殊なルートで特別品を入手してるから、同じ色でも並ぶと微妙に違い、白がクリーム色だったりシルバーホワイトだったりして、その先生の派閥に組み込まれてる直系の弟子と、そうでないのが、一目でわかったりする。
これも、本当に師弟関係ならいいけれど、自分の師と方針の違うヨソの先生だったりすると、なかなか使いにくいです。

もらうのは簡単だが、もらうということは使い続けますということになるんで、人様のマークや名前をもらうときは、あとあとのことも考えなければならない。

ときには断ったほうがいい場合もあるわけで、しかし、気を悪くさせないように、恐れ多いことですとか、私が使えば歴代の先輩方の格式を下げてしまいますとか、前例がないことですとか、かわりにあれをくださいとか、なんか上手に断りましょう。

 

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