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 下の名前

 名

狭い意味で名と言えばファーストネームです。

主君や師匠や親など、目上の人から呼ぶ時、または自分で名乗るときは、字(あざな)ではなく、名を使います。

この理屈でいくと、戸籍に登録する名前は、ノブアキとかシゲユキとかヒデミツというような字(あざな。後述します)っぽい名前はよして、シンノスケとかユウジロウとか、名前っぽい名前のほうがいいわけですね。

 

 排行(輩行)

長男は、太郎・一郎・長・将。
次男は、次郎・二郎・なんとか之助(介、輔、亮、佑)・佐。
三男は、三郎・なんとか之丞・尉。
以下、四郎五郎…という名の付け方で、古い伝統です。
天まで届け方式(笑)

なんとか郎でなくても、ハジメ・タスク・ジョーとかでも、意味の上では123になるわけです。
女性なら、ヒトエ、オトハ、トモエなんて具合。

兄弟の序列は、封建社会の遺物ではなく、人としての倫理です。
兄は弟を守る義務があり、親代わりとなる。
弟は、兄から受けた指導や忠告を尊重し、兄を補佐しなければならない。
これは「悌」といい、親子の序列「孝」とならんで、八徳のひとつです。

年配者は自分よりも経験が豊富であるから敬うという道徳は、男にとって、とても重要です。
武術では段位だけでなく年齢も考慮され、後輩でも年上なら敬語で応対します。
暴走族や硬派不良学生の世界でも、法律は破っても、これだけは徹底する。

そういう社会性とか対人関係を学ぶ第一歩が兄弟であり、人格の形成に兄弟の影響が絶大であることは心理学のほうで強調されてます。
今はひとりっ子やひきこもりばっかりの世の中だから、今こそ、こういう伝統を大切にしていかなければならない。

 

 

 

 デタラメ排行

兄弟でも番号がつながらないことはあります。

中国人は一族みんなでイトコも含めて生まれ順に123とやっていたり。
関口家なんかは、兄弟の名前を並べると八幡太郎義家になっていて、長男が八郎で三男が太郎だったり。
義経公は八郎だったけれども、同族の偉大な先人が八郎だったことに遠慮して、1個とばして九郎と名乗った。

つまり、しきたりを一応知ってて、わざとやるのならいいけれど、排行を知らずに順番がデタラメだったというのは親の恥です。

長男が慎之介とか研次だと、親が再婚で、先妻か先夫との間にすでに男児が一人いるように見える。
事実そうだったら、なおさら、そんな名前つけないほうがいい!
今は離婚が多いので、この家庭を優先してるよ、お前は長男だよ、という愛情は大切なことです。

次男が将太とか長一だと、長男は廃嫡(地位を剥奪)されていて、次男が後継者であるかのように見える。
長男がかわいそうです。

ただし、堕胎か流産をしたことがあれば、順番を飛ばしてやるのは、その水子を一人の命と認めてやったことになり、供養になるはずです。

だからこそ、長男で五郎なんてのは母親が淫乱みたいで、かかなくていい恥をかくから、よく考えたほうがいい。
少なくとも武術とか伝統文化の世界にいる人は、注意してください。

 

 分家

太郎の長男は小太郎、小太郎の長男は孫太郎、孫太郎の長男は彦太郎になるわけです、本当は。
マサアキの子がマサツグ、孫がマサシゲときたら、曾孫はマサヒコとか。

それで、太郎が隠居したら小太郎は二代目太郎に改名するかというと、しない場合もある。
先祖に有名人がいて、その人から数えて自分の続柄はコレということです。

小太郎の弟は小次郎、それが分家すると、小次郎の子は長男でも小次郎だったりする。
孫○郎のときに分家した家は、それ以降ずっと孫兵衛や孫左衛門だったりするわけです。

 

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