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 自分を見失わないこと

人生は自分でどうにでもできる
選択肢はつねに目の前にあり、自分では選ばないということもまた、選ばないという選択肢を自分で選んだことになる。

あなたがあなたであること、「ここに私がいる、だから、存在という概念が存在するということがすでに証明されている」ということが、オカルトのスタートラインなので、ましてや名前の事なんだから、これを間違えると、何をやっても空回りです。

オカルトはなるべく隠しページにしておくという築城以来の原則を大きく曲げたのは、じつはホームページをしばらく更新できなくなるかもしれないということもあったのですが、それ関係なかったとしても、この「俺が俺が!」こそが、名前ということの本質であり、さらに言えば、個人のホームページを構築して意見を言うということの本質でもあるからです。
オカルトに参入したら、まずは法名をつける。

それでですね、スタートラインはそうなんですけど、上級段階へ進むと、自分を消す課程もあるんです。

だから、うかつに断言すると、その一言がひっかかっていて、あとで上達をさまたげることがある。
ますます、俺の話が長くなる次第です。

うちの城を見てくださってる方は武術やってる方が多いから御理解いただけると思いますが、なに流的な模範解答とか、あの技をこういう方法論と状況でやっている時の例外的な正解とか、そういうのがある。
試合や審査でスランプの時に、別の先生に言われたアドバイスでよけいにダメになっちゃったりとか。
ここでもまた、自分は何者か、ということに行き着くので、注意してください。

 

 オカルトについて

ハッキリ言っときますが、占いや呪術は迷信です

迷信だけれども、それをやったら、実際問題としてさまざまな現象が起きる
そういう法則性やパワーが実在するかしないか(しないのだが)に関係なく、影響がある。

信仰ですから、信じる信じないは自由でかまわないけれども、信じても信じなくても、やればやっただけ必ず影響がある。
期待した効果が出るかどうかにかかわらず、副作用が出たり、まったく関係ない結果を起こすこともある。
効こうが効くまいが、正しく使っている分には、いくらでも得るものがあるし、へんな使い方をすると、ろくなことにならない。

オカルトをやろうという人は、たいてい盲信しまくっているから、泥沼状態に落ちたり、弊害のほうが多い。
正しいやり方を学ぶためには、ウサん臭い団体に所属しなければならないことが多く、まともな社会生活からズレやすい。
かといって、組織にしばられずにやろうとすると、理論や教程に統一性や一貫性がないから、不完全な自己流になって自滅しやすい。

そして、迷信にもいろいろある。
なんでそうなるかという、体系づけられた一応の理論にもとづいて、理路整然とやるものもある。
理論があるのに逸脱または矛盾しているものや、理論に関係ないデタラメもある。
デタラメに見えるだけで本当は間違っていないということが、上級段階になってからわかることもある。
たしかにデタラメなのだが、効くから(または、効くように見えるから)しょうがないものもある。
本当にただのデタラメなのだが、それをやることによって、それとは関係ない要因を招き、結果的には同じ効果が得られるものもある。

 

 

 

 オカルトに対する基本姿勢

たかの友梨さんが、ひらがなで「たかの」にしているのは、画数調整なのだそうです。
良いとされていることは全部やる主義、とおっしゃっている。
これが、成功する人の姿です。

それをやったら少しでも良い結果を出す可能性が増えるなら、それが今すぐ自分にできることなら、さっそくやる。
顧客サービスとか、経営の合理化とか、やるべきことを全部やっているから、ついでにオカルトもやるんです。
オカルトだけで人生が決まるわけではないし、かといって、せっかく手段(になりそうなもの)があるなら使わない手はない。

ここで重要なことは3つ。
それをやったせいで逆効果になる可能性もあるから、やらないという選択肢もあるということ。
やれば、他の努力をやらなくなってしまう人が多いということ。
そして、あんまり盲信していないほうが、かえって効果が大きいということです(効果があるのならば)。

それほど信じているわけではないが一応やっとくか、というくらいの余裕や冷静さです。
それは、可能性の広さになる。
のめり込んでしまうと制限されて狭くなる。
これが、あらゆる危険を防ぐために、ものすごく重要なので、このコンテンツの一番最後のところで、もう一度、御説明します。

結局、「気がすむかどうか」なんですよね。
俺は厄年なんてものは全く信じていないので、何も対策してません。
これだけ生活が多様化してたら、人生にタイミングがあるとすれば一人一人きちんと占わなければ当たるわけがないし、健康管理や危機管理を神頼みにするなんて最も無責任で非効率です。

あんまり気になるんだったら、ビクビクしながら過ごすよりは、寺社で厄除けをしてもらったほうがいいし、それも美しい文化であり信教の自由ではあるのですが、それでもうオカルトは終わりにして、食事とか睡眠とか筋トレとか安全運転とか防犯防災とか、日々の現実的なことに専念してください。

墓石だの家相だの、次から次へと気になるようだったら、言い訳ばかり探しているような、その心理状態のほうが問題です。
そういう人はオカルトに手を出さないほうがいい。

だから、ペンネームとか赤ちゃんとか、これから名前を決めるような時は、おおいにこだわってもいいんです、自信につながるなら。
そのかわり、戸籍上の自分の名前など、すでに決まっているものにクヨクヨしても始まらない。
それはそのままでも、どうにでも調整する手段が、いくらでも用意されています。
強く生きろ!というような精神論だけでなく、オカルトの中にも対策があるんです。
それは後述します。
その前に、知っていただかなければならない話がもう少し。

 

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