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 自分を占ってもかまわない

占いというと、必ず出てくる話のひとつに、「自分で自分を占うと当たりにくいか」というのがあります。

結論から言えば、それは一面ではそのとおりです。
易読みの身の上知らずなどと言って、昔から、高名な占い師が自分のことを予測できなかった例は多い(見えてしまうと恋もできず、疲れるので、わざと閉ざして読まないようにする場合もある。後述します)。

自分の人生が今どんな状況か、占わないとわからないような奴が、占いの解釈なんかできるわけがないし、そんなんで他人様を占う資格はないのだが、しかし人は神ではないので、それを言い出すと誰にも占いはできない。

俺は霊媒とかは大嫌いですが、あれも、神や霊が乗り移る入れ物(キチガ○担当)と、そのキチガ○が言うことを通訳する審判(ホラフキ担当)があり、必ず別にすることになっています。
つまり客観性です。

 

 中立、客観、偏見

占いは、人生や性格を、いくつかのパターンに分類すること、決めつけるということです。

「偏見」は「かたよった見方」のことですが、評価する対象が人間ともなると、完全に公正中立とか客観的な評価は、誰にもできない。
評価する側も人間だからです。

時代劇の悪役だって、自宅ではいいパパかもしれないし、若い頃は好青年だったかもしれない。

多数決で議員を決めたり、試験で間違いが一定以下なら資格がもらえたり、法律がヘンでもそう決まっているからにはまぬがれたり、なんらかの基準でやるしかない。

人は自分を美化しているから、どんなに正確に占っても、「私はそんな人じゃない、当たっていない」と言い張る人が多い。
「ぜ〜んぜん酔ってないよ」と言いながら足元フラフラの酔っぱらいがいますよね。
松尾貴史さんのモノマネ芸は、マネされた人がみんな、「僕のは似てなかったけど他の人のはそっくりだったねえ」と言うんだそうです。

この問題は、あとで何度も出てきますが、トラブルになりやすい所です。
頼まれてもいないのに占ったりするのは、教えなければ危険に向かっているというような場合でも、よほど覚悟がいる。
占いを職業にしなくても、自分のことしか占わないにしても、他人が見えてしまう。
見る気がなくてもです。

 

 占わなくても見える

占いには、ラクな相手、わかりやすい人というのがいます。
典型的なパターンだから、占わなくてもわかる。

極端な恥ずかしがり屋で、目がはれぼったく出っ張っていて、アゴがしっかりしていて、女性だが少し男性的な顔立ちで、太りやすく、決めるまで悩みまくるが決めたら意志が強く、物欲に流されがちで、弟がいて、つまらない男にひっかかってばかりとか。

よく休日に母親と出かけていて、太ってるわけでもないが丸っこい体つきで、丸顔で、目がクリッとしていながら鋭く、なんだかコソコソした感じで、口数が少なくて、気が強くて、ひとりっ子で、美がつく名前で、外人っぽい男が好きで、若い時に一時期だけ年下の男に奉仕しまくる時期があるとか。

この城のあちこちに出てくる千鳥姫なんぞは、会った瞬間に、何座生まれで、何人姉妹の何番目で、名前は何でって、丸見えでした。
俺がオカルトをやってることを明かしてからは、姉妹全員の名前を言い当ててみせた。

これは決して霊感とか超能力ではなく(そんなものは実在しませんよ)、場数を踏んでいくと、わかるんです。
こういう感じの人はいつごろの季節に生まれて、どんな育ち方をしたか、なんてことが。

名前に関していうと、こういう感じの人がどういう親から生まれるか、そういう親はどんな名前をつけがちか、という法則性が、理論化されている。

 

 

 

 占いに限らない

しかもコレ、武術にもあるんです。
隠し武器を持ち歩きそうなタイプ、降参したフリをするタイプなんてのが、ちゃんと見分ける方法がある。
古流にも現代武術にもある。

松岡修造さんは、相手の選手が冷静でしつこいのか、短気で大雑把かなんてことが、初対面でも見た瞬間に見抜ける、見抜けないようでは絶対に世界大会で通用しない、というような意味のことをおっしゃってます。

ホステスさんの接客でも、警官の職質でも、人に向き合っていれば、こういうことは普通にある。

こんなふうに決めつけて世界を見ているというのは、見えたら見えたで、余計なことまで見えて、傷つくこともあります。

 

 見えなくていいもの

ものすごい凶が顔に出ている人がいて、俺はどうしていいのか困っているうちに、その人は数日後、事故で亡くなってしまいました。

どっちみち俺は人の生き死にに関する事には呪術を使わないことにしており、もし使ったとしても、俺ごときが何かやったくらいでどうにかできたわけでもないのでしょうが、ひょっとしたら何かを変えられたんじゃないかという悔いがある。
救えないのに結果だけ見えるなんてのは、俺は自分が苦しむためだけにこんなものを習ったのかと、オカルトを生涯封印しようかとも思いました。

「知ったほうがいいことは、占わなくても自動的にわかる」「知らないほうがいいことは、ある程度、占いに出てこない」というリミッターのようなものがあり、俺もつけてもらってあるのですが、それでもこうなったのは、ここで何か勉強して、使い続けなければならないのだろうなあとは思いなおしましたが。

すぐ死ぬとわかっていて余生を有意義に過ごすのと、知らずに希望を持って過ごすのと、どちらがいいかは、お医者様でさえ苦しむ部分であり、ましてや、科学的根拠もないオカルトごときに決めつけられたら、当たっても当たらなくてもムカつきますよね。

こうしたさまざまな面倒がくっついてくるのがオカルトです。

占いはゲームではなく、人様の人生を扱っているのだという認識は持ってください。
「ウソの占いをやった者が落ちる地獄」なんてのを設定してる宗教もあります。
武術と同じで、ただただ誠実にやっていくしかないし、それが技の品格だけでなく効果をも左右します。

 

 売り渡さない

占いを職業にすることは、よしたほうがいい。
職業にしなければ得られない部分もあることは確かですが、金とひきかえに失うもののほうがはるかに多いからです。
それがわかってて、それでも人を救いたくてプロになる人は偉いですが…。

少なくとも、うちの城がめざしていくような種類の男をやっていくための、絶対に必要な部分を失うことになる
出家するかどうかというのも同じです。

話せば長いですが、とりあえず、うさん臭くなって普通の社会生活が難しくなるという理由だけでもいい。

俺が見聞きした範囲で、達人と認めた人のほとんどが、無報酬または経費だけでやっていて、占い師であることすら隠して生活しているという事実だけは申し上げておきます。
俺も、ネットで匿名だからこそ、こういうページが作れるようなものです。

このへんの話は、いわば、ユーティリティです。
パソコンを買ったら、どうでもいいソフトが山ほどバンドルされてくるが、一番肝心な、ディスク診断とか断片化処理みたいなものが、ろくについてこなかったりする。
しかし絶対に必要なので、次のページでも、もう少し。

 

 →続き 

 

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