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『踏鋤の諸形態と系譜』
佐々木高明氏『農耕の技術と文化』集英社1993。
文化人類学やら何やらの教授など学者さんたち30人くらいの論文を集めたもの。
特に堀尾尚志氏の鎌の話が、引切り係数とか理想曲線とか柄の長さとか、それを計算する微積分の公式とか、じつに興味深くて、十文字槍や薙鎌や鎖鎌や二丁鎌や鎌ヌンチャクをやってる方にはぜひ!おすすめしたいんですが、ここには関係ない話なので、泣く泣く割愛します。
この本の中に、北海道立北海道開拓記念館学芸員の氏家等氏による、『踏鋤の諸形態と系譜』と題する稿が掲載されてます。
ただし、ここで言う踏鋤っていうのは、こういうやつです。
このタイプは、掘り起こした土は横に捨てるんじゃないかと思いますが。
このへんに切り欠きをつけて、縄をしばる
(これも縄で引っぱってもらいながら使うので)
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○○ 柄はスキガラと言い、
○○ 先がだんだん細くなる
刃先は金属製 ○○
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■■■■■■■■□□□□□□□ ←ここを踏んで地面に刺す
鋤床(刃部の本体)は木製
柄と鋤床は、木の枝など利用して一体で作るものと、別の木を組み合わせたものがある
これはまあ、‘金産’には全然関係ないけれども。
この話の中に、『国立民族学博物館収蔵の踏鋤』という一節があり、『中国の踏犂』というのが紹介されている。
筆者は、中国のものは「踏犂」と表記なさってるわけです。
柄がT字でかなり長い横棒がついていること、柄の根本の左側にだけ足をかける横棒があることなどが違っている。
これは広西壮族自治区、チワン族のものだそうです。
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この状態で、足をかける横棒が必要ならば、‘金産’に横棒がついていたら、やっぱりロープではなく足をかけるような感じがしますね。
中国にスペイドらしきものがあった
それで、その話の中に、こんなのも載ってます。
これも『国立民族学博物館蔵 中国の犂(広西壮族自治区)』とある。
刃幅9.9センチ
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全長155.0センチ
刃部拡大。
金属刃、かぶせてある
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│ 刃先、実際はもっと │ │
│ ゆるやかな円弧 │ 柄は木製 │
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刃先鋭い ここから刃先にかけて平造、クサビ型
だいぶ細身ですが、これを「犂」と呼ぶからには、‘金産’に近いかなと思いきや、しかし…。
中国で踏犂を使うのは、ほかに、マオナン族、ヤオ族、貴州省ミャオ族、スイ族、トン族、雲南リス族などであるという。
掲載されている分布図を見ると、峨眉山あたりから広西壮族自治区、つまり中国の南西部に集中していて、その他の地域にはまったくない。
だから、やっぱり武器の‘金産’には関係なさそうではあります。
それでも、南西部の農具が黄河のほうへまったく伝わらなかったってこともないとは思うんです。
あれほどの苦労を乗り越えてインドからお経を持ってきて、それどころかヨーロッパの文化だって中国に伝わっているというのに、たかだか中国国内で南の物が北に伝わることが絶対ないとは言いにくい。
元っていうのは遊牧民族王朝だから、その後を受けた明は農業の立て直しが大変だったみたいで、人口が密集してる南部から北部へ農民を移住させたり、新たに開墾した土地は自分のものにしていい、というような政策やってるんです。
しかし、どっちかっていうと、水田を耕すことはもっと南東側が本場ですよね。
畑じゃダメなんです、田んぼでなければ困る。
その理由は、この後のページに書きますが。
この本にもカレーが載ってます。
それを次回。
続く→
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