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 劇中では、鋳造してる

第八十八回、立ち寄った国の王子たちのために、悟空たちの武器のレプリカを作る場面があります。
鋼鉄なんだけど、鋳物でやっている。

これは旅の終わりのほう、天竺国の玉華州という場所での出来事だから、インド人のやり方であり、このコンテンツの参考にならないのですが、『西遊記』を作ったのは中国人だから、その世界観や先入観が反影しているかもしれないので一応。

平凡社版では
『 そこで王子たちは、ただちに打物師を召し寄せ、鋼鉄一万斤を買いととのえ、王府内の庭に、小屋を組み、炉をすえた。
 一日目には、じゅうぶんに鋼鉄を煉り、翌日は、悟空ら三人を招いて、金箍棒・九歯のまぐわ・降魔の杖を借り受け、それを仮小屋において、原型どおりの鋳造にかかった。そのため、武器は、昼夜、そこに置かれることになった。』
と書いている。
作る人は鋳物師ではなくて打物師、つまり鍛冶屋ですね。
でも、型に流して作るらしい。

原形と原型は違います。原型という言葉を使うからには、型をとって、そこに流し込んでるはず。
「鋳造」とはっきり言ってる。

これを岩波版では
『 そこで王子たちは、すぐさま鍛冶師を呼びよせました。鋼鉄を一万斤も買いつけ、王府内の前庭に工場を建て、鋳鉄のための炉を据えつけさせました。
 はじめにまず鋼鉄を鍛えます。そしてあくる日、悟空たちから金箍棒・まぐわ
(傍点あり)・降妖杖を借り受けました。それらの武器は、小屋がけの臨時の工場に安置されました。それを見本として、王子たちの武器をつくるからです。そのため、夜も昼も、そこに置いたままになりました。』
と書いている。
やはり、鍛治屋が呼ばれている。
ドロドロの鉄がハンマーで打てるのか、見本にして見ながら作るのなら型はとらないのか、という感じで、平凡社版よりも鍛造に近い文脈ですね。

 

 コウ鉄で、鋳造?

『和漢三才図会』(後述します)に、
『そもそも鍋釜はみな鉱鉄を溶かし鋳造する。』
とあります。

「鉱」は鉄鉱石の鉱で、粗金(アラガネ)、精錬していない鉄ですよね。

そういう大ざっぱな鉄ではなくて、充分に精錬して、不純物をとりのぞいた鉄で作るのであれば、しかも酸素や炭素や温度を適切にして、丈夫になるように流し込めば、それは「鍛えた」ことになり「鍛造」したうちに入るという意味?

鋳鉄にだって焼き入れ焼き鈍しの工程はあるから、普通に考えたら、成形してから硬化したり、冷却に工夫があったり、それが鍛えるってことだと思うんですが、岩波版『西遊記』では、型に流していないうちから、『はじめにまず鋼鉄を鍛えます』っていうのが、よくわからない。

船の本なんかを読むと、スクリューの材質が「鋳鋼」となっていることがあるので、ハガネを鋳物にするってことはあるらしいですが。

そもそも、刃先ならともかく、如意棒つまりムクの鉄棒を鋳造で、しかも一点物をわざわざやりにくいやり方で、何を考えているんだかピンとこない話です。
だからフィクションなのだ、そこまで考えて書いたわけではないわ、と言われれば、話が終わりですが。

 

次回は、‘金産’の由来について。

 続く→ 

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