劇中では、鋳造してる 第八十八回、立ち寄った国の王子たちのために、悟空たちの武器のレプリカを作る場面があります。 これは旅の終わりのほう、天竺国の玉華州という場所での出来事だから、インド人のやり方であり、このコンテンツの参考にならないのですが、『西遊記』を作ったのは中国人だから、その世界観や先入観が反影しているかもしれないので一応。 平凡社版では 原形と原型は違います。原型という言葉を使うからには、型をとって、そこに流し込んでるはず。 これを岩波版では
コウ鉄で、鋳造? 『和漢三才図会』(後述します)に、 「鉱」は鉄鉱石の鉱で、粗金(アラガネ)、精錬していない鉄ですよね。 そういう大ざっぱな鉄ではなくて、充分に精錬して、不純物をとりのぞいた鉄で作るのであれば、しかも酸素や炭素や温度を適切にして、丈夫になるように流し込めば、それは「鍛えた」ことになり「鍛造」したうちに入るという意味? 鋳鉄にだって焼き入れ焼き鈍しの工程はあるから、普通に考えたら、成形してから硬化したり、冷却に工夫があったり、それが鍛えるってことだと思うんですが、岩波版『西遊記』では、型に流していないうちから、『はじめにまず鋼鉄を鍛えます』っていうのが、よくわからない。 船の本なんかを読むと、スクリューの材質が「鋳鋼」となっていることがあるので、ハガネを鋳物にするってことはあるらしいですが。 そもそも、刃先ならともかく、如意棒つまりムクの鉄棒を鋳造で、しかも一点物をわざわざやりにくいやり方で、何を考えているんだかピンとこない話です。
次回は、‘金産’の由来について。 |
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