篠田耕一氏 『武器と防具 中国編』 (1992年) いきなり表紙の戦車の馬が腹帯だけで引いていて、車輪が密着した車箱に歩兵甲冑をつけた人々が乗っており、抜身を腰につけた車右が左側で車長をやっていて、珍しい研ぎ方をした戈を持っている 眉尖刀の図は、『武経総要』『三才図会』と違って、柄締が1本少なく、後世の上把中把下把のような意識の柄になっており、石突目釘がない。 朴刀は「日本の長巻に相当する武器だと考えていただければよいでしょう」とある。 二郎刀に、直径37センチ前後の鍔と、径5〜6センチほどの柄をつけている(文中、刃長は約75センチと説明していることから逆算。ただし、戸隠流に柄の太い変薙刀があるから、そういう実物もあるのかもしれない)。 剣の玉柄に縄がない。 倭刀のハバキが通常の半分くらいに短く、横手筋が斜めについており、『中国兵器史稿』の実物写真や『単刀法選』の図にくらべて反りが深めで柄が半分以下の長さしかなく、笹波巻を一方向のみにしたような柄がついている。 緊那羅王を「緊那羅和尚」と書き、実在の人物のように書いてあり、『少林棍法闡宗』『嵩山祖庭大少林寺那羅延神示跡碑』『説嵩』などと矛盾する、または矛盾はしなくても結論を急ぎすぎていると思う。 杵棒の図は、『武経総要』『三才図会』と違って、両端に穂先がある。 「2本の■(金へんに間)を両手に持って使うこともあります」と、どちらかといえば単用が標準であるかのような記述になっており、「法重双行」に矛盾する。 多節鞭の節の数え方が載っているが、根拠が提示されていない。 「斧と鉞は形の上での違いはありません」としており、槍技法を併用して尖端を使う原則に矛盾する。 羊角拐の拐頭が羊角になっていない。 戈は、「使われなくなってからが長いため、実物がどのようなものであったかも出土品でしかわからなくなってしまいました」とある。 普通の矛の穂先が約37センチ、蛇矛が全長約5.6メートルに穂先約25センチと、かなり刃が短く説明されている。普通は1丈6尺に1尺2寸くらいにして斬ることを重視する蛇矛の技法に矛盾する。 槍は「柄に最も適した材質は堅い木です」「長すぎると槍の柄がたわみ、敵を突く時の威力が低下する」としており、中国槍の最大の長所である意図的に柄をたわませた技法すべてに矛盾する。 ■(金へんに巴)の石突側が尖っており、この武器の原則「柄末無鑽」や、この武器の技法「撥草尋蛇」に矛盾する。 「叉の穂先はすべてが刺すことを主な目的としているのに対して、■(金へんに党)■(金へんに巴)の両側に張り出した穂先は刺すことよりも敵の攻撃を防ぐことを主な目的としている」とある。 叉が「西洋のトライデントに相当」「四天王の像が持つ武器に叉を見ることができます」とあり、儀軌の三叉戟・三叉鉾・トライデントフォークに矛盾する。 「抓は■(手へんに過)(か)とも呼ばれ」と、別名であるかのように書かれていて、「唐(618〜907)の頃に始まり」とあり、筆■(手へんに過)の伝承に矛盾する。 叉竿の図が、藤のようなものの上から短かめの口金をかぶせてあり、石突側も同様に籐のようなものが巻いてある。 峨嵋刺の図に輪の回転機構がない(文中では輪が回転することは述べておられる)。 子母鴛鴦鉞の図は手前側に内刃をつけておらず、技法に矛盾する。 飛叉は「いくら重くとも約1200gを越えるものは投げるのに不適当なために作りません」とあり、遠くに投げない飛叉や技法「十七路」に矛盾する。 盾に軍陣効用の説明がなく、ただの防具であるかのように紹介されている。
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