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 毘沙門天は、もともと仏教神ではない

四天王はそれぞれインドで古くから崇拝されていた神様です。
かなり早い時期に仏教に取り入れられ、四方を守る神様という性格が強くなったけれども、もともとは
インドの貴族の姿をしていた。
それが中国に伝わっていく過程で、だんだん武将っぽくなり、甲冑を着た姿になった。

だから、毘沙門天といっても、いろいろな種類があります。
手が4本または10本はえてるやつとか、裸のやつとか、体が2つ背中合わせになってるやつとか。

兜跋(とばつ)という国(トルファン?)に毘沙門天が出現したことがあったということになっていて、これは「兜跋毘沙門天」という、少し違う姿であらわされている。
これは正確には毘沙門天ではなくて、毘沙門天「のようなもの」、似たものだったらしくて、兜跋国の王様の姿をしている。

さらに、これを「刀八(とうばつ)」と勘違いしたものが別にあり、8本の手で8つの刀(7つの刀と1つの三叉戟)を持った姿にした「刀八毘沙門天」なんていうのも作られてしまった。
ただの間違いから生まれたデタラメ、なんの根拠もないバッタモン、ニセ兜跋毘沙門天ですが、上杉謙信公はそうとは知らずに、刀八毘沙門天を熱心に信仰していたそうです。

さらに謙信公は、自身が、毘沙門天の「化身」であると自他共に認めていた。
それにしちゃあ、あちこちの寺社で、武田家を呪いまくってますが。
塩のことで勝つのは不本意だから塩は贈る、武士なんだから勝ち負けは戦闘の分野で決着つける、…しかし呪術は戦闘の分野に含まれてたようで。
謙信公が、寺社にあてた祈願の文書が残ってるんですよね。
それを読むと、神仏にゴマをすったり、武田家の悪口を書き並べたり、武田家を滅亡させてくれたら寄進するとか交換条件をチラつかせてモノでつったり、まるっきり人間ですけど(信玄公も同様の祈願をやっている)。

さらに、謙信公の映画『天と地と』を作った角川春樹さんも、剣道やボクシングをやってた人で、なにか神秘的な体験をなさったらしくて、自分が毘沙門天と同体であるという意味のことをおっしゃっていたが、つかまったので、「毘沙門天がコカインで実刑!」と話題になったりしたんですけど。

こんな具合なので、毘沙門天だらけ、「化身」だらけなんですね。

 

 毘沙門天は、大将よりも偉い

仏教の設定では、毘沙門天は、眷属として五太子と八大薬叉大将をしたがえている。
太子は『西遊記』にも一部出てきますが。

捲簾大将だろうが深沙大将だろうが、沙悟浄が大将であるなら、大将8名を指揮してる人がそれも大将なんてことでは、ちょっとまずいのではないか。
中国は頭数がいるから将軍の位が安いんですけど、それにしても、宮様しかも皇太子ならびに親王殿下5名と、総軍方面軍司令官8名を、アゴでこき使ってますなんて、それはやっぱり毘沙門天自身でなければ筋が通らない。

 

もうひとつ重要な毘沙門天の化身があるんですけど、その話の前に、さらに横道にそれます。
これはこれで重要なので。

 続く→ 

 

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