←もどる 

 

 毘沙門天の指揮杖?

上杉謙信の話が出たついでに書きますが、謙信公は3尺の青竹を指揮具にしていたと言われてるんですね。

 中国には竹を葬式杖にする風習がある。
 沙悟浄の杖は葬式杖と呼ばれたことがある。
 沙悟浄は毘沙門天であり、大将である。
 
毘沙門天の大ファンだった謙信公が、青竹を振って軍隊を指揮していた。

これが、なにか関係あるとすれば大変だから、この話にも寄り道しておきます。

 

 元ネタは、やっぱり中国

戦国武将の逸話というと必ず引用される湯浅元禎『常山紀談』に、こう書いてあります。

『謙信は長さのみ高からず。左の脚に気腫有て、あゆむ時足をひく如く見えしとなり。物の具する事は尠く、黒き木綿の胴服を着、鉄にて造たる小き車笠をかぶり、ザイとる事も尠く、青竹を三尺計にして、杖の如く提げもちて、士卒を下知せられけり。梁の韋叡が竹如意の遺風也とぞ。 北魏の兵鐘離城を攻し時、梁より韋叡を以て後援させられけり。北魏の将大眼勇将にて、数萬騎を率て戦ひしに、叡は素木にて造りし輿に乗、白角の如意を執て軍兵を下知し、切りかちたる事史に見えたり。』

背はさほど高くなかった、足が悪くてびっこ引いて歩いた、采配を使うことは少なく、青竹を3尺ばかりに切って杖のようにさげて持って部下を指揮したが、これは梁の韋叡が竹如意を使って指揮したという故事をまねたものらしい、っていうんですね。

 

 体が不自由だった

韋叡は、5〜6世紀の中国の将軍です。
立派な戦果を次々に立てて出世し、虎と恐れられたけれども、体が弱くて馬に乗れなかったので、輿で担いでもらっていた。

謙信公も虎と呼ばれた人で、甲冑を着る体力もあんまりなかったくらい体が悪かった人です。
兵法に通じ、まじめに仏教やっていたということは、
謙信公は中国文化に造詣が深かったとみて確実なわけで、やはり、この話は無視できなくなる。

輿は、おみこしみたいなやつです。
チリトリみたいに三方に手すりをつけたりもする。
関ヶ原のとき、やはり病気で体がボロボロだった大谷良隆公が、これに乗って指揮したとされている。

 

 如意?

如意は、孫の手のことで、かゆいところに自在に手がとどくことから、煩悩を始末することの象徴として、仏具にもなってます。
仏具だと普通は金属または木で作り、長くても40センチくらい
しかない。
ある程度は身分の高い僧侶が、弟子や信者たちを率いて行事をリードするときに、威儀を示すために持つ道具ではあります。

仏具と武具は関連が深く、邪魔なものを追い払ったり人々を指揮して導くという点でもよく似ているし、特に室町以降は、武具の仕様に宗教的な意味付けや縁起かつぎが、さかんにこじつけられている。
しかも謙信公は仏教かぶれの人物で、出家したのも格好ばかりでなく大まじめに信仰していたし、どこかの大統領みたいに自分のやってる戦争が魔をくだす聖戦だと思い込んでたみたいだから、仏具の如意に近いものを持っていても不思議はないですが…、謙信公のは如意でしょうか?

常山先生はどうして、杖の如くと書いたのか。

 

 ※追記
知り合いの住職におたずねしたところ、『如意は70センチくらいのものを使う人もいる。30センチ程度だとすれば、それは如意ではなく笏であり、シャクではなくコツと読むが、神道で使うシャクと同じことであり、儀式の時に手に持つカンぺボードである。笏は如意の一種だとか、如意と同じものだとか言う人もいるが、こまかい教義にもとづけば如意とはだいぶ違う』とのことです。

 

 続く→ 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送