←戻る 禅と無気力の折り合い 2

 

出典は不明だがこういう言葉がある、とIF北子さんから御教示いただきました(北子さんも俺と同じ考え方です、念のため)。

なんでも勝ち負けで考えてる奴は幸せになれない。
勝手に競争でもない所で、必死に競争していて、もちろん、そういう奴の周りにはバカが集まって、無意味な勝負をつけたがる。
負けても幸せなのがいい人生だ。
(リリー・フランキー)

リリー・ラスキーヌだったら、こんなことは絶対言わないわな。
負けが悔しいから、みんながんばるんです。

勝負から逃げず、正々堂々と戦い、負けは負け、自分に足りない所は素直に認めて、のたうち回って反省し、悔しがればいいんです。
なのに、平気なフリして、自分の心に素直になれず、幸せだ幸せだと自分に言い聞かせて、じつは心にすきま風みたいなことで、ウソで塗り固めたような、そんな人生のどこが幸せなんだ?
しかも、リリーフランキーなんていう金も地位も名声もある成功者がそんなこと言ったって、説得力ないよ。偉い人ほど簡単そうに言いますが、じつはみなさん影で努力しているもので、特に業界の第一線にいる人は、競争してるものです。

「〜なのがいい人生だ」っていうことは、「〜じゃないのはいい人生ではない」ってことです。
幸せになれる人生となれない人生の2種類に分けて、自分は幸せなほうの人生でありたいと思い、バカな連中をあざ笑ってさげすみ、いい人生はこういうものだと決めつけるだけでなく、他人に対しても、こっちのほうがいいよと価値観を押し付ける。それ、それが勝ち負けですよ。

よく読めばわかるけれど、この人だって勝負すべてを否定してるわけじゃない。
しかし読者は「卑し系」を求めて、勝負は一切必要ないかのように、自分に言い訳する根拠として使ってしまう。

がんばってる人がいたら、もっとがんばれ、と応援するのが、本当にその人のためを思ってる人でしょう。
がんばらなくていいんだよ、力をぬいていいんだよ、っていうのは、聞こえはいいが、じつは麻薬みたいなものだ。口当たりは苦くても、体にいい薬だってあります。

世間で流行っている「卑し系」のポエムみたいなものは、作者さんは正しい意味で言ってるんでしょうが、ズルい言い訳に使ってる例しか見たことがない。
なぜなら、
がんばっている人は風のように駆け抜けていくだけなので、のんきに立ち止まって考える余裕なんかないからです。後になって、あの頃は若くてガムシャラだったなと苦笑いする程度。がんばってる最中に余力があるうちは、まだ全力でがんばっていない。

 

空回りしてる人には一息つかせてリラックスさせたほうがいいけれど、そういう人こそ禅をやりなさいよ!(笑)
がんばっているのにうまくいかないっていうのは、不器用で要領が悪いんです。気分転換やストレス発散や、休むべき時に休むことができない。そんな状態の時に、がんばるなって言うのは、体を悪くする危険でもない限り、ものすごく無責任です。これ以上がんばれない所に行き着けば、ほっといたって、がんばるのをやめますよ。がんばりようがないんだから。そして、その空回りは、
たとえ空回りでもトコトンやりきったのなら、あとで絶対の自信につながるから、決してムダにならない。それを吟遊詩人だか何だかが、ワケ知り顔で、横から口をはさんで、せっかく本人が努力してることに疑いを持たせるってのは、恐ろしく無責任すぎる。

仏教は、こんな浅い段階ではなく、もっと底なしに深い考え方です。
いい人生も悪い人生もなく、どんな人生も幸せであって幸せでなく、不幸であって不幸でない。ものの見方を超越するのが仏教です。

苦しまずに死んでよかった、犯人が死刑になってよかった、遺体がみつかってよかった、葬式に大勢あつまってくれてよかった、「よかった」を探せば、どんな不幸の中にも幸せは見つけられる。
それを言っちゃオシマイだから、俺は、勝つほうをおすすめしているんです。

負け犬で幸せだと思ってる人は(ただし本当にそう思っているなら)、それでもいいですよ。どんどん負けてもらいたい。がんばっている人にとっては、競争相手が減って、不戦勝が増えて、いい気味だ。

しかし、あなたが、本当は負け犬であることが悔しいくせに、自分の心が叫んでいるのに、目をそむけ、デブのほうがかわいいとか、誇りが低いほうがラクだとか、「ウソぶいている」のだとしたら、それは絶対にまずい。

目標に向かって苦しい努力してる過程がすでに人生充実してて幸せ、目標を達成すればもっと幸せ、勝負が幸せだ、今までの努力の成果を見せるチャンスだ、ワクワクするぜ!という人がいてもかまわないはず。
せっかく男に生まれたから、若い時だけでも、勝負にこだわる道を歩いていきたい、バカと言われても勝負したい、と思う人がいてもいいでしょう。

負け犬に、無理に闘犬になれと強要するわけじゃないんです。
ただ、禅をやっていくと、選択の余地もなく「負け犬で幸せ派だにゃーん」にすり変わりがちなので、そこだけ注意してください。

 

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