「掛稽古」「懸稽古」
打撃系では、元立に単発の攻撃を加えて反撃をもらい、すぐ次の人に代わるというものを、掛稽古と呼ぶことが多い。
現代剣道などでは、打撃系で言うところの連続速攻のことであり、懸稽古と表記することが多い。反撃はないが最も疲れる練習であり、じつは元立のほうが難しい。

「学生式」
術理を知らず、気合と筋肉で試合の勝ちだけを追求すること。学生はそれでよいとされる。大人になってもそのままの人に対して言う。
または、竹刀をまたがせて足さばきを教えたり、トーナメントを決めるクジに竹刀を使ったりすること。

「格通(たとえば)が服を着て歩いている」
『武術』とか『剣道日本』とか、特定の雑誌を熱心に読んでいて、口を開けば、「そういえば先月号の特集にこんなことが載っていた」と、その雑誌ばかり引用する指導者。
これが「孫子虚実篇に曰く…」なんてことなら尊敬もされるが、雑誌だと、どんなに勉強熱心でも、珍しい情報でも、なぜか軽薄な人物に見られてしまう。

「貸し」
柔道などでは、同格の2人1組にならないと実技の練習になりにくく、自分が休むと、いつも相手をしてもらっている同輩があぶれてしまう。これが、迷惑をかけた数として計上され、その回数以内ならば、むこうも用事がある時は有給休暇のように休んでよい権利になる。
欠席日数は必ず人よりも少ないよう心掛けろという教えだが、志が低ければみんなが低くなるばっかりだ。

「数を撃つ」
ことわざ『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』は、未熟者が中途半端な手数を乱発して偶然に期待するという意味で使われるのが一般的で、審査に落ちる代表的な原因のひとつだが、武術では「量をこなせば上達する」という意味で使うことがあり、じつはこれが本来の用法であるという。
昔の砲術の達人は、火縄銃で1日3千発とか3千5百発とか、とてつもない稽古をやっている。

「型に始まり型に終わる」
空手の名言。型にハマってしまったら死んだ技であり、すでにオシマイである、…という理由で、古流武術ではほぼ必ず「形」と書く。フルコン側から見れば、最初から最後まで型だなんて、それこそ伝統派空手の欠陥である、などと言う。

「カマボコ」「壁際族」
バテて、稽古が消極的になること。たいてい、そういう人はいつもそうである。
カマボコは「背中を壁板につけっぱなし」の意、もともとは相撲用語。

「寒中稽古(をつけてもらう)」
雪が降る、の意。他団体の先生が珍しく来ること。

「キツネ(狩)」「車(掛かり)」
練習としての総捲。同時に多人数でかかってきてもらうこと。現代武道でもやることがある。

「救護(係)」
バテた人が救急箱のまわりにたむろして、テーピングや絆創膏で時間をかせぎ、稽古量を減らすこと。

「くわしくはイラストで」「あとで伊保先生を」
「理論」の代名詞。
80年代ごろは、日体大の『イラスト柔道』と伊保先生の剣道書は、誰もが持っていたし、部室にも必ず備え付けてあった。

「軍隊式」
人格や尊厳を無視したスパルタ、または画一的な指導。
絶対にいけないこととされるが、普通におこなわれている。

「クジラ」
終わること。
最後という意味(9)、お開きの意(解体するから)など諸説あるが、「平日21時に練習を終了する」という意味で使われている。
風俗業界では、人気にかげりが出た売春婦をトドと言い(「トドのつまり」、出世魚ボラの最終形態。これ以上は出世できないの意)、それよりももっと程度が落ちたものをジュゴン、そのまた下の究極の最低クラスの女性をクジラと呼んでいる。式亭三馬が、婆鯨舎と書いて「ばばあげいしや」と読ませている。

 

 

「くすぐり(を入れる)」
本来は、演芸で観客を笑わせる軽い一言、たいてい下ネタ。転じて、冗談や駄洒落を連発しながら指導すること。
場の空気を円滑にするためなどと言うが、ただ単に本人が言いたくてしかたがない場合が多く、たいてい指導者自身と道場の品位を下げ、特に女子学生に軽蔑される。
詐欺団体に大変多いのだが、中年女性などはこれが楽しいので、ますます悪い指導者にひっかかりやすくなることがある。
面白おかしい時間を過ごすことと、効果的な練習(ましてや、それで上達するかどうか)は、全く別である。しかし、趣味なのだから楽しければいいという人もいる。

「グっちょ」
右利きの人が左手をうまく使っていること。女性しか使わない言い方。
ぎっちょ(左利き)、グッド、グーフィ(逆足)、ちょっちゅね(具志堅選手の口癖)あたりが語源か。

「稽古」
稽古(古キヲ考ヘル)は、伝統を師から習う場合だけを言い、ひとりでやるのは課題、生徒だけでやるのは練習、顧問にしごかれるのは御指導などと、区別する意識がある。歌舞伎は稽古だが、新劇はただの練習なのだという。
教え教えられる人間形成に敬意を払って、すべて御稽古と呼ぶ人もいる。武術だけが偉くて球技等より高級と考えるのは軍国主義的であるとして、すべて練習と呼ぶ人もいる。

「ケチ」
非公式な目印。立ち位置、持ち位置、照準など、ルールになかったり禁止されていたりするものもあるが、初心者だけやる場合がある。かえって上達を遅らせる。
ケチをつけるという意味だと思うが、「結」と表記する場合があるという。

「ケツは熱いうちに打て」
叱るのは、その時すぐでなければならないという意味。場をわきまえて、相手に恥をかかせないように、というのも大切だが、それにしても、その日のうちに言わないと、相手は、話の内容よりも、「そんな昔のことを蒸し返すのか」などと、ろくに聞き入れない。
誉めるのは、どんなに後でも、直接伝えなくても、喜ばれるのだが。

「ケツをかく」
稽古に出席しているがサボっていること。
関西弁やヤクザ用語では、そそのかすことを言う。

「剣を取る者は、みな剣で滅びます」
剣道バカと同義。この項はM先生より御寄稿いただきました(笑)
イエス様を捕まえに来た役人に対し、かばおうとした御弟子さん(一説にはペテロ様)が斬り付けたのを、イエス様は制止して、おとなしく逮捕されたというが、その時の御言葉。
イエス様の発言はすべて真理であり、なぜなら神様がじきじきにおっしゃったことだから、そりゃ間違いない。剣道は高齢になっても続けていけるというより、一生やっても学びきれない奥深いものであるから続けるよりないのであって、ただひたすら剣に生き、剣に死すのである。

「乞食派」
細い棒でたたきながら指導すること。
この棒は指揮棒と言う。

「狡い」
コスい、と読む。ずる賢い・卑怯・ケチというような意味で、もともと日本語にある言葉だが、60年代後半生まれの先生方が、違う意味に使うことがよくある。
へっぴり腰でダメだ、チョコマカしている、など。

「根性注入」
太い棒でたたきながら指導すること。品物自体は、キメ板、ハメ板などという。
もともと牢屋で、壁から外した板で尻を叩かれる私刑があり、これは新入りに対して歓迎?としておこなうのが恒例で、先輩に従うことを肝に命じるのだという。
軍隊ではバット、野球部ではケツバットなどと言うが、武術ではバットという言い方は聞いたことがない。

「コン鉢」
コンパチ。デコピンのこと。
角界では初めて髷を結った祝いに、兄弟子にデコピンと祝儀をもらう慣例になっており、番付が高い人ほど多い回数と金額を与える。
中学生くらいの部活では、遅刻の懲罰としておこなっていることがよくある。

 

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