「最近、署長さんはお元気かな? 彼にはよく稽古をつけたものだが・・・」
交通違反で切符を切られそうな時に、そこの警察署の偉い人に剣道柔道で指導したよという話を言うと、たとえそれがウソでも、許してもらえるという俗説。
違反切符の収入は最初から見越して予算に組み入れてあり、強化週間とか強化月間というキャンペーンを張って集中的に一定量を確保するものであり、違反者は常にたくさんいるから誰でもよく、無理に難しい人物をつかまえてリスクを負う必要がなく、相手が弁護士だったりすると「追尾は何百メートルおこなったか」などと訴訟を起こされて面倒なので、見逃すということは昔から言われている。
おのれの落ち度に責任を取らないような奴は、しょせん、その程度の人間であり、武術家の姿勢ではない。
桐朋学園の初代学長の井口基成氏は、オールズモビル98というアメ車を乗り回していたが、白バイにつかまった時(運転していたのはピアノ調律師)、警官の顔色が悪いと言い、一度僕の病院に来なさいなどと、医者のフリをして、まんまと切符をまぬがれたという。

「最初はグー」
多人数でのジャンケンのタイミングを揃えるため、まずグーを出すということを志村けんさんが始めたが、打撃系の場合、これを正拳突きの動作でやるというギャグがある。
誰も知り合いがいない合宿初日の部屋割りなどの時にやって、これを知ってる人がいると、連帯感があって意気投合し、部外者がうらやましがる。

「サイバーシティ」
三鷹駅と、その周辺。レスラーの蝶野さんが言い始めたらしいが不詳。三鷹には天然理心流がある。

※追記
あーるさんから御教示いただきました。テレ東『出没!アド街ック天国』で、三鷹をあらわすキャッチコピーを考える時、蝶野さんが「眠らない街、サイバーシティ」とかなんとか提案して、出演者全員にスルーされ採用されなかったというのが、三鷹在住の格闘マニアの間でバカウケし、以後そう呼ぶ慣例になったのだそうです。ありがとうございました。

「ささらもさら」
めちゃくちゃの意。
方言だと思われるが、武術用語として全国で通用するという。角界では普通に使われているという。
長野県や静岡県では「ささらほうさら」と言っているが、静岡県では金使いのことに限定して用いられる言葉だという。

「斬突」「斬刺」
戦後の剣道では、政治的または教育的な理由で、「打突」という言葉に置き換えた。
斬る意識は初心者のうちから心がけないと、刃筋や手の内が全くモノにならない。
旧日本軍のマニュアルでは、斬撃と刺突の総称が「斬突」であるとする。打撃と打突の総称が「打突」なのだろうか。
面白いことに、暴力団の世界では「刺す」という言葉を忌み嫌う。密告を意味する隠語だからである。そもそもドスは刺すのではなく体当たりで使うものであるという(刑務所に身を投じる覚悟も含めて、体当たり)。

「シカト」
もともとはヤクザ用語で「鹿十(シカトウ)」と言い、花札の十月の10点の鹿が、そっぽを向いた姿であることから、しらばっくれる、とぼける、ケムにまく、というのが本来の意味。
角界では本来の意味のままで使われており、「マスコミに追求されて鹿をきめこむ」などと言う。
広告業界では「オミットする」などと言っている。

「鹿パンチ」
柳生心眼流(竹永系)のこと。
エロ本の連載コラムの題名が語源だという。

「師匠の頭を毎日ぶっ叩いて許されるのは剣道だけ」
貴重な御時間と御老体を犠牲にして道を教え諭してくださる師恩に感謝しようという話によく使われる言い回し。
橋本首相がクリントン大統領に竹刀をプレゼントした時、自分ののどに向けさせたところ、「竹刀は模造とはいえ日本刀であり武士の魂である、日本国の首相がみずからのどを刺されてヘラヘラ笑っているとは自虐史観だ、これだから現代剣道は真剣がわかっていない」などと批判を浴びたが、剣先をのどの位置に合わせて構えを教えるなんてことは剣道では誰でもやっていることであり、橋本首相が批判されるべき事はそこではなくて、日本人の中にさえ剣道のケの字も知らないアホがこれだけいるのだから、外国人から見ればどう思われるかという配慮に欠けたということである。

「祝」「於」「附」「進呈」「謹上」
武道界では、「優勝祝賀パーティー」「なになに部壮行会」というような言い方は間違いで、「祝・優勝」「激励!なになに選手団」などと、動詞を先に持ってくるのが正しいという。漢文のなごり?

「障碍」
障害も障碍も同じことだが、馬術のハードル越えなどでは障害という文字を嫌う。事故でも起きて障害者になったら縁起でもない、それに、被害者妄想の障害者からつまらないクレームが来ると面倒なのであらかじめ言葉狩りしておく、などの理由。つまり、障碍のほうが見なれない文字なので、実感がわかないらしい。

「松濤館流朝鮮派」
テコンドー。空手を元に作った、ごく新しい格闘技だということを、知らない人が日本人の中にも多い。

「真剣白刃取」
刀身を合掌で受け止めるなどということは、新陰流でさえやらないのは御存知のとおり。
危険なものを挟んで制することは、世間では漠然と、真剣白刃取と呼ばれているらしい。
大河ドラマのスタッフが、NHKへ出勤する途中、電車の中で痴漢をしようとしたところ、相手の女性は足でガッチリ挟んだので、腕を挟まれたマヌケな格好のまま終点渋谷駅に着いて御用になり、『太ももで真剣白刃どり』と報じられた。
『暁!!男塾』には、尻の割れ目で豪速球を挟んで受け止める技が出てくる。

「神道夢想流」
立番。警官が署や交番の前に立つこと。
杖を持っているからこう呼ばれるが、しかし杖術をやっている警官は少なく、あの杖も草むらで証拠品を探すような時のための備品であり、寸法も神道夢想流とは異なっている。

「ストリートファイト」
街娼、または青姦。

「正鵠を射る」
弓道を知っている人は、せいこうと読む。

 

 

「成立構造」
隠語は、省略(欠落、短縮)、変読(転倒、分解)、置換(連想、形容、借用)、これらの連結や複合などによって出来上がっている。
世間一般では短縮がとても多いようだが、武術では、借用が多いように思う。つまり、なにか由来になる前提知識があって、それを知ってる人にはわかるという言い回しが多いように見受けられる。なにごとも勉強である。

「宣材」
宣伝材料の略、芸能人などがプロフィール用に配る写真、通称よそ行き写真のこと。
武術では、記念写真を撮る時、カメラをにらみ付けてファイティングポーズを取ることを宣材と言い、ボクシングでは珍しくないことだが、伝統武術の世界では大恥とされている。
強い人ほど無表情に自然にしてるのがよく、ケモノまる出しの意気がった写真は10年後に必ず後悔する、後悔しないようであれば修行が進んでいない、などと言われている。
しかし、これをやるのであれば、指導者が先頭きって、指導者を中心にした集合写真でやることも多い。

「雑巾おどり」
講道館柔道のこと。旧日本軍での言い方。
柔道の達人というのは、正しくは、柔道の乱取りの達人である、などと言う。

「それでは」「そんなら」
人の好意を、あっさり受けては生意気なので、そこまで言ってくださるのなら、と相手のせいにして、「無理に断るのも失礼だから不本意だが受けた」という形にすること。中世からあった言い方だという。
いただきますのことを、それではと言う先生もいる。

 

「耐ヘ難キヲ耐ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ」
玉音放送の一節だが、「押忍」の由来または説明に引用する人がときどきいる。シュートの開会式スピーチで言った人がいる。
ひどいこじつけであるとして沖縄出身者が激怒する。

「ただしマンガのほう」
二次元創作物と実写に少なからず違いがある場合、どっちの話をしているのか区別すること。
仮想を現実と勘違いして犯罪に走るなどというのは、とんでもないデマで、オタクの人たちにとって、この区別は大変厳密であるように見受けられる。
YAWARAちゃんかわいい、ただしマンガのほう、タイガーマスクはよく見ていた、ただしアニメのほう、などと言う。
小説なども、映画化されると原作よりつまらなくなるということは、昔から言われている。

「立ちきり」
勃起。

「立てる」
集団稽古で指導員が笛などを吹くこと。
武術では「吹く」という言い方を嫌うことがある。かつて法螺貝を鳴らすことを、ホラを吹くというのもなんなので、吹くではなく立てると言った。
吹奏楽でも、音を出すだけなら誰でも鳴らすが、正確な音を出しているかどうかは別問題、それが美しい音楽になっているかどうかもまた別なので、吹くと言わずに奏でるなどと、こだわる人がいる。
逆に、女茶道では、男性器をイメージさせる言葉であるとして、立てるという言い方を避けることがある。

「つかぬことをうかがいますが・・・」
あなたに好感を持っているので知り合いになりたい、ひとまずあたりさわりのない話題でも振って、話すきっかけを作ろう、という典型。
武術の場では、知らない人がこう言って話しかけてくることがとても多い。たいてい小心者でプライドが高いためである。

「手打ち半殺し」
公共の場所で武術の会話を聞かれて誤解を招くこと。
○○銀行は守りが固い、○○警備保障をどうやってつぶすか、警視庁は俺が引き受ける、お前が死んでも俺が3人とるから思い切りあばれてこい、許さぬところを先に殺せ(試合の話)、先週は大阪でみんな死んだ、○○さんはおつとめがあるしあと2年だ(昇段の話)、などと喫茶店で言っていると、チラチラ視線を感じるので、小声にするのだが、かえって怪しくて、わざと聞こえるように武術武術と何度も言ったりする。
旅人が一夜の宿を求めた家で食事の用意の会話を勘違いする昔話が語源。

「取りません、続けて」
提案を却下する時や、モノマネが似てなかった時に言う。審判用語。

 

「なせばなる、ならぬは人のなさぬなりけり」
しつこい忠告を拒否するような時に言う。
本来は「努力すれば不可能はない」との教えだが、これを曲解し、「なせばなるのはわかっているが、なしたところでたいして益がないこともわかっているので、わざとなさぬなり、なさぬもその人の御意志なり」という意味に使う。
同様のものに、スターウォーズのヨーダの名言『やってみるのではない、やるのだ』に対して、「やらずにおく、という選択肢をひっこめてダースベイダーを生み出した張本人は、あんただ」、米海兵隊の信条『困難とは容易より30分多く時間がかかることをさし、不可能とは困難より30分多く時間がかかることをいう』に対して、「米海兵隊はたった1時間であきらめて、不可能だと決めつけてしまう」というのがある。
このたぐいは多い。おそらく、定型句をバカのひとつおぼえのように言う者はウザいからだろう。

「何・・・十回」
数量が少ないことを強調する言い方。
「ここ1か月でスクワットは、何……十回もやっている」などと言い、「(何千回とか言うと思ったのに)何十回かよ!」とツッコミをもらう。
実戦経験が豊富な堀部先生が、テレビに出演された時、今までの喧嘩の回数をおっしゃろうとしたが、多すぎて数えきれず、「何…」と言いかけたまま黙ってしまわれたことが、プロレスファンの間で逆の用法に使われたもの。

「〜人斬り」
50人斬りとか100人斬りとかいうのは、女性を相手にした数をさしている場合がよくある。
特に、千人斬りというのは女性の話にしか使わない言い方だという。チャーリーシーン氏は5千人、加藤鷹氏は8千人だという。
武術界の殺人最多記録は、卜伝先生の212人がトップだろうと思う。

「忍者」
テニスの試合での、ボール拾い係。バレーの床掃除係には言わない。マンガか何か、元ネタがあるらしい。

 

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