「はい〜」
膝をかかえてバッグの中に全身入ってファスナーをしめるというエスパー伊東さんの持ちネタを、剣道の防具袋でやること。
これをやったために退会させられた小学生がいるという。

「発勁」
静電気。特に、誰かに触れて受けた場合。

「服部流」
料理研究家の服部幸應氏は、戦国時代から続く服部流割烹の末裔で13代目または17代目と名乗っておられたが、このことを雑誌などが批判したため、本名は染谷さんとおっしゃること、服部家に血縁がないことを認め、服部流何代目と名乗るのをおやめになったという。
また、調理師など料理栄養関係の資格を持っておらず、その国家試験の問題を作る役職についてらっしゃるため、取得したくてもできず、すでに資格を超越した大御所でいらっしゃる。
このような例は武術の世界にも多く、町道場の創設者が4段しか持っていないがもはや御高齢、古流皆伝者という経歴が詐称であると発覚した、しかし長年よく初心者を指導した功績多大、すでに本部の理事に列し、人柄も良く人望も厚く、実際のところ指導が抜群にうまい、人の価値は肩書ではない、というようなことを、特に剣道家の間で、服部流宗家と言っている。
どういうわけか、剣道には和食、柔道には洋食、空手にはホテルの配膳の人をよく見かける。

「ひと汽車遅れ」
準備が悪くて出遅れること。
タイムリーにスタートして、ゆっくり行くのが、攻撃の極意であるため、出遅れて急がざるをえなくなるということは大変に嫌われる。
旧日本軍で「バスに乗り遅れるな」と言っていたことが語源らしいが、俺が見聞きする限り、戦前の先生方の間でも、バスではなく汽車という言い方が多く使われている。

「フェアリーテイル」
妖精のシッポ。おとぎ話の意。
ボクシング用語では別の意味だというが不詳。アメリカ英語でフェアリーはホモを意味する言葉なので、あまり上品な意味ではないらしい。
『ドンキホーテ』劇中にも、遠回しなエロ表現として、あたしのしっぽ(夫のナニのことらしい)という発言が出てくる。

「放棄流」
激しい試合が怖いか、運動が嫌いで、剣道や柔道から逃げたまま成人し、ヘタレの自分には居合がちょうどいいと思って居合を始めること。
居合は剣術よりラクだろうとみなして居合をバカにしているうえに、敵を想定する意識が欠落しているから、ポーズをとって酔いしれているだけの一人踊りになるとして、戦前の先生が、そんなことで名門伯耆流を名乗るな!と厳しく叱ったのだという。
本当の伯耆流は、柔術や薙刀を兼修し、胆力も実戦性も文化も高い。
そもそも居合にも試合はあるし、朝夕に数を抜くのは心身ヘトヘトに疲れる。

「本場」
韓国のこと。韓国人は、剣道も柔道も空手も合気も、すべて朝鮮が発祥だと言い出すことがある。それに反論するのが面倒なので、韓国人の選手を評すときに、さすが本場の柔道は強い、偉大な朝鮮民族マンセーなどと、わざと言う。しかし近年、剣道では韓国人の活躍をよく見かける。

 

「マ○コした」
伝書複写の経費が1万円を越えること。平上先生が考案したウィットらしい。
芸能界などで1万円のことをヤリマンと言う。

「南風」
海賊版。他人の著書を、複写製版して、題名や著者名や表紙だけ変えて出版すること。中国武術の教本に、はなはだ多い。
中国語かもしれないが、あるいは麻雀用語か。
「ティーンエイジドリーム」という曲を盗作して「南風」という曲が作られたのが語源だという説があるが、もっと以前から盗用のことを南風と呼ぶ慣習があった。
旅行客狙いの置き引きを護摩の灰(転じて、胡麻の蝿)と呼ぶことと、西日本で南風をハエと呼ぶことに関連があるか。東京弁(明治以降の江戸弁)と標準語は違い、東京では蠅は「はい」である。

「持てない」
体力がないこと。早いのは嫌われる、の意。
弓をひきしぼった状態を保持できず、すぐ射てしまうことを、持てないという。

 

「柳生方式」
金許。金さえ払えば、修了していない者にも資格を与えること。
専門学校や社会人講座が、ほとんど出席していなくても卒業できたり、テキストに最初から修了証が付属していたりすることをさす。特に空手で、フルコン系が伝統派に対して言う。
柳生家の名誉のために書き添えておくが、金で免許を与えることは新陰流以外でもおこなわれていたのだし、天下の柳生家の場合、将軍家や大名に、帝王学としての活人剣を教えていたのであり、それは大身の武士がみずから軽々しく人を斬り殺してはならぬということにほかならない。

 

 

「やばい」
不都合であるの意。江戸時代からあった言葉で、「やばな事」というような使われ方をしており、語源は珍説おびただしいが、本来は「やば」という言葉だけで危険を意味したらしい。佐渡金山の労働力として、無宿者(チンピラなら誰でもよい)を、矢場で拉致したことと関係があるか。
ヤクザ用語であることから、これを堅気の女の子が使うのはゲビているとして、なぎら健一さんなどは大変に批判的。
現在、若い人の間では、すごい、すばらしいという肯定的な強調に使われることがとても多い。
武術の席では使用禁止になっていることがあり、子どもさんたちは、「さべえ」「しばい」などと、別の言い方に置き換えていることがある。

「洋弓に転向すれば?」
日本の弓道は、自分と的が一体になることによって、哲学的には距離をゼロにして、だから絶対に外れるわけがない、という境地をめざす。
スタビライザーや滑車で物理的に命中率を高めようとする洋弓(アーチェリー)を、程度が低い弓術であるとして、小バカにする向きがある。
しかし、昔の英国の長弓などは、日本の弓道にとても近いことをやっていたという説もある。

「余技」
安易な考えでやっている二刀。特に現代剣道での言い方。

 

「ロック宣言」
興行化スポーツ化していく団体を、伝統保守系団体がバカにする時に、「空手はロックだ(と、やつらは思っているらしいぜアハハ、の意)」などと言う。
表現は生きざまの発露であるから、軟弱な者がロックになればワイルドになれると考えるのは、ロックンロールを「権威」にして媚びているばかりか、自分でわざわざロックを高い存在に上げておきながら、身の丈に合わない様式で飾り付けてごまかしている自分こそが、最もロックをけがしている者であり、形から入ってもいいが、自分の中身はヘタレのままなんだから、最もロックから遠くズレている。
おっとりしていてかわいい菊池桃子さんが、突然ロックバンドに転向して売れなかったことがあり、デーモン閣下がよく菊池さんの口調をマネして「今日から私はロックです」と言っていた。
若者にも仏教に興味を持ってもらいたいらしくて、どこかの僧侶が、読経の合間にイエーイと叫ぶということをやり始め、仏教はロックだと話題になったこともあった。
俺も四半世紀プログレやってますが、本当にロックの人は、ロック宣言なんかしないもので、なぜなら、すでにロックだから。
このへんの勘違いをわざとバカにして、からかうことがあり、試合が消極的で声も出さずコソコソさぼるような選手がサングラスやライダースを身につけていたりすると、おお!ロックだねえ、と大げさにほめたりする。

「ワオっちゃった」
週刊新潮09年9月3日号では、わがままによる舞台降番騒動などをさす「ワオっちゃった」という言い回しがあると述べ、和央ようかさんの行動が『語源』であるとしている。
和央さんは元宝塚トップスターで、退団後も人気と誇りが高く、出番が少ないと脚本の書き換えを要求したりするのだという。
実際には、このような用語の使用例は少数または短期間、そして普及はほぼ皆無であろうと思う。
なぜなら週刊誌が人気芸能人を揶揄することが目的になっているのであって、ここでは「降番をあらわす隠語」に切実な需要があるわけではないから。
ところが、少なくとも俺の周囲では新潮愛読者が多く、行事が中止になることを「ワオっちゃった」と言うことが、しばらく本当に流行った。
最初は、そんな用語は無いにもかかわらず、誰かが「そういう用語にまでなっているほどです」と誇張したものが、本当に用語に育ってしまうということも、あるのかもしれない。すべての流行は、最初は流行していなかったのである。
 ※追記
安倍首相のだらしなさは、責務を途中で投げ出すことを「アベる」という流行語にまでなっているぞ、と朝日新聞が主張したところ、そういう言葉は確かに実在したが全く普及していなかったので、あいかわらず朝日新聞は捏造ばかりやっていることよと叩かれ、「朝日る」という言葉が大流行して、こちらはネット上で流行語大賞になった。

「ー」
俺が子どもの頃は、コンピューター、ドライバー、プリンター、ユーザーなどと伸ばしたものだが(外人さんの発音を聞くと、たしかに伸ばしている)、現在では、字数が減って都合がいいのか、外来語の語尾の音引を略す風潮がある。
寅吉によれば、理系の世界では特に進行している様子。
ライヴドアの広報の名物女性社員が、御自身のブログに、私マンゴ大好きなんです!などと書いて、下ネタとみなされて笑い者になったことがあったという。
武術では今のところ、レフェリ、チョークスリーパなどと書いた例は見かける。今後増えるのかも。

 

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