国勢調査記念章
第一回国勢調査の関係者に配ったもの。
章は円形の青銅メダル、巻物を持つ古代の地方公務員、裏に「国勢調査記念章大正九年十月一日」。
綬は紫地中央に太い白線、縁も白。
国勢調査は国家的行事なので、記念ではある。今でも記念切手くらいは出ます。
しかし5年に一度は多すぎるとか、それでいて、調査しなきゃならない太平洋戦争の直後には、混乱しててできなかったりした。
最近の個人情報保護や国民総背番号制が問題になる以前から、国家が国民を管理してるみたいだとか、予算もかかるとか、調査員が殺されたり調査員になりすましたり事件も起きるので、とかく評判が悪い。
そもそも、人口が「国の勢い」だなんて時代はとっくに終わっており、先進国ほど少子化し、人件費をかけずにハイテク化オートメイション化していくもので、今では国家水準を見るんだったら、総生産や総所得、輸入輸出量、あるいは国民ひとり当たりの贅沢品などで見るのが一般的です。国家の本を見ると、医療や教育、上下水道や電気電話ガス、舗装路や公共交通機関などの、普及率や整備率など片っ端から比較されていることが多く、国土面積や人口だけでは全然お話にならない。
それでも国勢調査第一回目の時は、いい王朝が治めてるおかげで国が栄えて国民は安穏に数を増やしてますということなので、やっぱりこれもお祝いだったんですね。

 大礼記念章昭和三年十一月
昭和天皇の御即位の式典にかかわった人に配ったもの。
章は円形の銀メダル、菊紋と玉座と桜と橘と雲文と「万歳」、裏に菊花と雲文と「大礼記念章昭和三年十一月」。
綬は紫白赤黄緑の組み合わせ。
昭和天皇は独特の名君でした。今上陛下のような慈愛の気配りともまた少し違う、毅然とした雰囲気をお持ちだった。遠くを見るような表情で立っておられるだけで、なんだかハッとさせられる知性的な存在感があり、戦後も神様とまではいかなくても、めちゃくちゃ神聖だった。コメントが下手でそっけないようでいて、何も考えていないようでいて、じつは深い御配慮があって慎重でいらしたということが、わかる人にはちゃんとわかる。
戦争に負けても、人間だったことがバレても、国民からはおおむね愛されていたし、マッカーサーも、この御人柄と人気にはただただ恐れ入ったらしくて、天皇制を廃止できなかった。
ムチャな戦争を止められない名君があるかとかよく言われますが…、左翼の人たちは、なにかっていうと、天皇の名のもとにおこなわれた残虐な侵略行為とかなんとか、陛下がひとりで戦争やらせたみたいに言うんですけど、兵士ひとりひとりの性欲まで天皇制のせいにしてるバカ女どもっていうのは、恋愛したことないのかね? 戦争っていうのはそんな簡単なものじゃありませんよ。元冦に強硬な態度をとったのも、秀吉公の朝鮮侵略も、天子様が偉いということと軍事は別です。
朕が戦争に反対すれば殺されるか精神病院に入れられて、もっと軍部の言いなりになる天皇に替えられるだろう、それよりは、朕が少しでも軍部を押さえていたほうがいい、というような趣旨の御発言があったことがわかっており、あの方もその時その時で精一杯のことはおやりになっていたが時代の波で戦争になってしまったのだろうなあと俺は思ってます。
日本にはヒトラーやムッソリーニのような中心的指導者がいなくて、ファシストがいないのにファシズムと同じ現象になっていて、雰囲気のような、なんだかよくわからないもののせいで、責任の所在もハッキリしないまま太平洋戦争に突入してしまった。そんなんで勝てるわけもないのだが。
昭和生まれの日本人は、もう1億人を切ってるそうですが、それでも今後かなりの間は、少なくともサザエさんやちびまる子ちゃんをやってるうちは、日本人の価値観は昭和がベースになると思います。
これを最後に、もう大礼には章を出さなくなる。今上陛下の時は金貨が販売されたりしましたが、それは記念金メダルなどと呼ばれてます。

 

 帝都復興記念章
関東大震災から7年目に、復旧作業の中心的人物たちに配ったもの。
章は円形の銀メダル、菊紋と街と旭光と桜、裏に「帝都復興記念章」、「昭和五年三月」。
綬は白地、中央に細い萌黄、縁は太い萌黄。
これは死者行方不明者10万という大災害でした。これのせいで、昭和天皇の御成婚まで延期になった。
じつは昔から定期的に発生しては江戸を壊滅させてきたのが、これを最後にパッタリ起きなくなる。

余談ですが、占いの世界では、これの後は当分起きないと言われてました。
地震に関しては、この人が日本一という和尚さんがいて、ある程度占いを知ってる人たちの間で一目置かれているんですが、この人が予知して外れたためしがなく、この人は毎年強力な祈祷をやって、今年は大丈夫とか、今年は押さえきれない、阪神淡路で何月、と言えば絶対にそうなったから、しょうがなかった。この人がひとりで地震を止めてくれている格好。

 朝鮮昭和五年国勢調査記念章
朝鮮での第一回国勢調査の関係者に配ったもの。
日本のやつと同じデザインで、裏に「朝鮮昭和五年国勢調査記念章、昭和五年十月一日」。
これを日朝同じデザインにしちゃうところがすごい。日本名や日本語教育の強制とか、本気で同化するつもりだったのかどうか、それにしちゃあ、朝鮮人に対してあからさまな差別意識があったようですけど。
つまり、大東亜共栄圏というのが、東アジア諸国の連帯なのか、それ全部が大日本帝国なのか、ハッキリしてなかったみたいです。
昭和5年は、軍服の大改正もやってます。昭5式。そのあと支那事変の経験を生かして、また大きなモデルチェンジがある。この時期っていうのは、明治大正とやってきた近代化がひとまず一段落して、わが国が今後どうしていくかをいろいろと新たに模索してたみたいです。

 紀元二千六百年祝典記念章
建国2600年記念の式典の関係者に配ったもの。
章は円形のアルミ青銅メダル、表に菊紋と三殿と皇居、裏に「紀元二千六百年祝典記念章昭和十五年」。
綬は空色地に紅の細線8本。
「日本国」の「天皇家」というのは7世紀から、その原形になった王朝は6世紀から、継体天皇や祟神天皇よりも前の方々を含めたとしても3世紀末から、大和政権が統一する以前の倭国、邪馬壹国、豪族連合、九州王朝なんてのを日本国に含めたとしてもせいぜい2千年の歴史しかないんだけれども、どうせイエス様だって紀元元年生まれじゃないんだから、日本も神武天皇御即位を元年にした「皇紀」というウソ年号をやっていたわけで。武術界では、いまだに年賀状をこれで表記してる先生方も多いです。
旧日本軍の、九十何式なんていう名前の付け方も、みんなコレの下2ケタくらいであらわしてたんですよね。
それがキリのいい所であれば、お祝いしないわけにもいかないんで、歌が作られたりもした。海軍で言う零式、陸軍で言う百式なんてのがコレです。
こういうことは、史実かどうかということは、それを言っちゃあオシマイというか、そう思いたい人たちはそれはそれでいいじゃん、ということになっている。
イスラエルでは紀元前3761年に天地創造があったとか、ローマは紀元前753年に狼少年が建国したとか、朝鮮では神様と熊の間にできた子が紀元前2333年に最初の王になったとか、北朝鮮では1912年にすべてが始まった(金日成の生誕)とか、国ごとにスタート記念の年というのがあって、それを元年として独自の元号をやってることがあります。
イスラム教圏では、ムハンマド様のメディナ聖遷を元年にしたヘディラ紀元を使います。
東南アジアなどの仏教国では、御釈迦様入滅を紀元とする仏暦が使われてます。

 

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