褒章

メダルズ・オヴ・オナー。
金色の菊水地に「褒章」と書き、周囲を銀の桜で囲った銀メダル、裏には「賜だれだれ」と名前を入れてくれる。
綬はジャンルごとに色分け。
勲記ならぬ「褒章の記」と、略綬がついてきます。

銀無地の飾版で受賞回数をあらわし、5枚で金1枚に替える。金の飾版には、桜の浮き彫り。
チョコボールの缶詰は、社長さんがこれを意識してるんでしょうか。

ひとりで複数種類または同一種類2度3度もらう場合は、前にもらってから、だいたい5年たたないと次のをもらえない。
ヤワラちゃんは何度ももらっているので、いずれ「褒章でも金」?(飾版が)とかニュース番組で言われてます。

生きてるうちにもらうのが原則で、対象者が死んじゃった場合、遺族に杯か褒状(表彰状みたいなもの)が出ます。

天皇ではなく首相から、偉い人ではなく庶民に出すものですが、日本の場合、勲章を誰にくれてやるかは、褒章をもらった人の中から選んでいるようなところもある。
まず実務とか現場である程度は活躍したら褒章をもらって、そのあと引退し、今度は業界全体の理事とか役員をある程度やったところで瑞宝章か旭日章が出る感じになってます。

 

 紅綬褒章
メダル・ウィズ・レッド・リボン。
自分に危険が及ぶことをかえりみず、人命を救った人。
サバイバル術の世界では、「バカがたまたまバカを救う」と言われており、未然に防ぐのが本当の危機管理なのであって、自分の身を危険にさらさなければならなかったというのは、準備か要領の悪さを意味していることが多い。じつはプロでさえ危険はおかしておらず、プロは訓練によって限界が高く限界を知っているというだけであり、救助隊員も死なない範囲でやってます。
無鉄砲をあんまり誉めそやしちゃったら、実力もねえくせに強盗を取り押さえようとして刺されたとか、溺れてる人を助けようとして自分まで飛び込んじゃったとか、それもバカがひとりで死んでくれればいいが、ハイジャックに飛びかかって乗客全員が迷惑したとか、ただ脅しで持ってて使う気なかった銃を暴発させちゃったとか、二次被害ばっかり増やしてしまう。
でも、いざそうなってしまったら、やはり助けないわけにいかないし、結果的にうまくいった場合、誉めないわけにもいかないんで、一応、こういうのがあるわけです。
それに、GHQに止められてた勲章制度が復活したのは、天災のとき救助に貢献した一般市民が多くて、ほっとくわけにいかなくなったというのがきっかけになったので、これのおかげで戦後日本の勲章があると言える。
ほかに、警察や消防が出す感謝状や総監賞などがあり、そっちですませてしまうことも多い。紅綬褒章は基準が厳しいので、一人も該当者がいない時もあります。

 

 

 緑綬褒章
メダル・ウィズ・グリーン・リボン。
自主的に社会や公共のために尽くし、清廉潔白で品行方正、善行を積み、徳行を重ね、孝行に励み…というような、道徳的な偉人
って、今どきそんな奴はいないので、戦後は長い間まったく発行されなくなっていました。
そういう人がいたとしても、この手の美談を顕彰するのは、褒章を出す側の恥になることがある。国全体の倫理観が低下しまくっていて立派な人がごく珍しいとか、あるいは、おカミがちゃんとしていないから福祉や管理が行き届かず、見るに見かねて民間でやらざるをえなかったということを意味するので。
それに、欲しがりません勝つまではとは、校庭に二宮金次郎の像とか、国家が大衆をあおるのに利用されるので、いいほうへあおるにしても国民を操作してるんだから危険なことであり、いいことをするにしても庶民同士がお互い様で勝手にやるべきであって、権力が関与するものではないとも言える。
しかし最近ふたたび配るようになってきました。今後は、ボランティアに対する褒章として、どんどん発行するつもりらしいです。
ボランティアなんてことは、やるのが当たり前であり、徒党を組んでいかにもやってますなんて吹聴するものではないのだが、そういうものがありますよあなたもたまには興味もってくださいよと啓蒙しないと、ほうっておいたら、やらない人は全くやらなくなってしまっている。個人主義、自分さえよければいい、迷惑をかけさえしなければ個人の勝手、というやつです。
ついに、学校の授業や、犯罪者のつぐないとしての社会奉仕なんてことになる。やらされるボランティアなんて、ボランティアでもなんでもない。
親孝行もなにも、老人介護は、これからの時代に最も儲かる産業のひとつとして職業になっちゃってるくらいです。介護に手が回らないのは少子化してるせいですが、人手が足りないからではなくて、もはや子育ては商品なので、乳幼児は他人に預けて母親は働いているし、それが後ろめたくて母親も甘やかすから、そうでなくても一人っ子は甘やかされるもので、愛と勘違いして物だけ与えて、部屋に閉じ込めて、そんなんで大きくなった子は恩も義理もないから、同居して介護してくれるわけがないんで。
親がしつけをやる時間がないから、道徳が身につくはずもない。
これでは、自主的にボランティアをやる人や、今どき古風で家庭的な人や、当たり前のように善行を積む人には、アメ玉を配らなければならないわけです。
最近では、杉良太郎さんが、15歳から続けてらっしゃる刑務所慰問を評価されて、緑綬褒章になりました。

 

つづき 

 

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