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 先意流の剣術

正木先生は、剣術は古藤田一刀流、薙刀は先意流を修行なさった。
そしたら、
先意流の剣術部門は、どうだったのか。

先意流は、神道流から出ている。
神道流なら、薙刀をやるなら剣、剣をやるなら薙刀が、自動的についてくる。
少なくとも信田先生は、神道流剣術をおやりになってるはず。

そもそも薙刀は、「どうすれば刀よりも有利か」ということを追求してきた武器だから、剣術を知らずにやってる薙刀はありえない。
現代武道のナギナタでさえ、異種戦をやる人がいまだにいらっしゃる。

女薙刀ならば、鎖鎌や小太刀しか付属しないってことはあるかもしれないけれども、武士が薙刀をやるのであれば、武士なので両刀を帯びている。

正木先生は、大垣藩士としてお生まれになって、御幼少の頃から古藤田一刀流をおやりになっていたのだろうと思う。
先意流を学ばれたのは23歳から。
いくらなんでも、23歳になるまで剣術を未経験なわけがない。
先意流の剣術に満足できないので一刀流を習ったということではなく、一刀流を習ってから薙刀にも手を広げたということらしい。

『撃劒叢談』巻之三に、
『一、美濃大垣侯の臣にて名高き正木太郎太夫(原文ママ)利充は、一刀齋景久の高弟藤古田(原文ママ)勘解由左衛門と云者の孫彌兵衛俊定門人也、劒術を以頗る人にしらる、又先意流長刀(原文ママ)の奥義を極て劒術と併せ傅ふ、』
とある。
剣術は一刀流系をよくお使いになるが、先意流薙刀も併伝、というニュアンス。
実際はどうであれ、世間からはそう見られていたということ。

 

 尾張には、伊藤先生がいらした

尾張の先意流は、薙刀、剣、槍、小太刀、鎖鎌を含む内容で、尾張藩士の伊藤直之進景的先生は、そのすべての科目において師範だったという。

あるじゃないか、先意流剣術。

もしかすると、尾張藩の先意流は、正木先生の先意流と関係あるのだろうか。

尾張なら、大垣から近いと言えば近い。
〜之進というのは正木流っぽいし、景〜というのは一刀流っぽい御名前ではある。

先意流小太刀っていうのが、どこから来たんだか、よくわからないが。
一刀流に小太刀はある。

尾張藩には、新外他流もあった。
古藤田家の剣術を受け継いだ新外他流と正木一刀流が、同じ藩で共存していたとすれば、それは特殊なことなのか、べつにどうってことないのか、このへんのニュアンスがまたよくわからない。

 

 先意流と、一刀流と、正木先生の剣術が、尾張で併伝されていたフシがある

名古屋大学附属図書館蔵の高木家文書には、
 
『先意流一刀流稽古道具法則書』
 『先意流薙刀関係書類』
(9通)
 
『先意流薙刀并一刀流剣鎗諸術御相伝誓約之覚』(文化8年。1811年)。
 『正木太郎太夫作文之写』
(宝暦壬午年。12年のこと。1751年)
 『正木太郎太夫利充名士工夫製作之二十刀目録』

なんてのがある。
なぜか「太郎太夫」だが(原文でも)。

先意流の薙刀と、一刀流の剣・槍・その他が、1冊の中にひとまとまり。

一刀流の槍術というのは、かなり古い一刀流である可能性がある。
それこそ、古藤田先生の頃の。

先意流薙刀と、正木先生の剣術が、同じ場所、高木さんちに伝わっていた。

もし、尾張藩の先意流が正木先生の先意流ではなかったとしても、先意流をやってらっしゃる人は正木先生に興味は持つだろうから、なにかしら参考にしたりするのだろうとは思う。

 

 もしかして、尾張藩の先意流は正木先生を通している?

あくまでも可能性のみの仮説の、概念
(こういう系図が実在するわけではありません)。

神道流
 ┣━その他
 ┗━
先意流
(薙刀、剣、鎖鎌)初期の先意流。
    ┃

    ┗━━━━━━━━━┓
一刀流           ┃
 ┣━その他        ┃

 ┗━古藤田系       ┃
    ┗━━┳━古藤田系 ┃
       ┣━外他系  ┃
       ┣━土屋系  ┃
       ┣━杉浦系  ┃
       ┣━その他  ┃
       ┃      ┃
       ┗━━━━━━┫
              ┃
        正木先生(併伝)
        先意流
(薙刀、その他)
        正木流
(薙刀。先意流系)
        正木流(鎖鎌。先意流系)
        正木流
または守慎流(万力鎖。独創)
        正木一刀流
(剣。槍も? 古藤田系)
        源流(居合)
        変離流(槍、遠当。独創)
              ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━┛

 ┃
 ┃ 
正木先生の武術のうち、どれかを組み合わせたものか、単体。
 ┃
 ┣━正木流
(薙刀、鎖鎌、万力鎖)
 ┣━正木一刀流
(古藤田系。剣)
 ┣━
先意流(これが尾張伝?)
 ┃
 :

正木先生は、源流居合もおやりになっていた。
槍と遠当(目つぶし)の流派「
変離流」の、開祖でもある。
万力鎖を考案なさって、これは正木流とも言うが、「
守慎流」という名前もある。

正木流に全部を含めないで、それぞれに別の流派名をつける。
「この流派ひとつ習えば、何でも取り揃えている」ではなく、「私は複数の流派を極めている」という方向。

そして、お弟子さんは必ずしもそれを全部おやりにならない。
剣術だけ、薙刀だけ、鎖鎌だけ、万力鎖だけ、あるいは、そのうちの2つ3つだけ習ったり。
全部習ったとしても、そのまたお弟子さん、さらにそのまたお弟子さんとやっていくうちに、全部は習わない人も出てくる。

現在、正木流の鎖鎌術だけが水鴎流居合に併伝され、万力鎖・鎖鎌・居合が江戸町方十手術と併伝されている。

もし、正木先生の剣術その他を継承なさった人が、その技法群を「先意流」と総称してらっしゃった場合、その剣術は、先意流という名前なのに内容は古藤田一刀流系?

 

 その他の地域の先意流

正木先生の先意流は、香取先生に師事なさったあと、師の師のそのまた師からも、直接習ってらっしゃるという。
こういうことが可能であれば、ほかにも先意流のお弟子さんがたくさんいらした可能性が高い。

二本松藩も先意流を採用していたが、これは「長刀」と表記するという。
彦根藩では
仙移流という薙刀を採用しており、先意流の末流だという。
土佐では、藩に採用されていないが、
専意流という薙刀があって、これも先意流の末流だという。

 

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