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 いつまでか、これも難しい

大垣伝の古藤田一刀流は、現存しているという話は聞かない。
いつ失伝したのか、いつまで伝承されていたのか。

笠間と違って、大垣は情報が少ない。
どうして弥兵衛先生以降の古藤田家に関する情報がないのか。
俺が持ってないだけで、持ってる人は情報を持ってるのかもしれないけれども。

別冊歴史読本36号(19巻7号)/読本シリーズ7『日本伝承武芸流派読本』新人物往来社1994では、62ページ『中条流系』で、作家の中井一水氏が、
『また、古藤田家は幕末にいたるまで、一刀流刀槍の師範として、槍術をも教授したが、これは一刀流兵法の古風を継承したものとして、刀術をもっぱらとした小野派一刀流とは対照的であったといえよう。』
と書いてらっしゃるものの、根拠が書いてない。

小野派の名誉のために補足しときますが、槍術を併伝するのが必ずしも偉いとは限らない。
どんな武器にも応用できる剣術とか、槍術を無効にできる剣術とか、そういう方向もあるかもしれないじゃないか。
そもそも笹森先生のとこは居合やら大長刀やら、キリスト教圏との比較文化論まで、かなりいろんなことをおやりになってます。

 

 古藤田先生は、外他流または新外他流だった、とする説

「御本人は生前にそう名乗っておられなかったが、後世、そういう流派名になった」ということは、どこの流派にもよくある問題なんで、またかという感じだけれども。

俊直先生のお弟子さんに、外他市兵衛俊勝先生と、土屋清右衛門先生がいらして、それぞれ、外他一刀流、新外他流ということになっている。

外他俊勝先生がおやりになったから、外他一刀流なのか。
一刀斎先生またはその師が、外他さんだったから、外他一刀流なのか。
俊勝先生は、ほかの苗字だったのが、外他流を習ったから外他姓を名乗ったのか。

土屋先生のほうは…。
まず外他流があって、それを継いだ人が新外他流で、その新外他流を土屋先生が継承なさったのか。
今まで外他流だったのを、土屋先生から新外他流なのか。
いずれにせよ、新外他流があるからには、それ以前に外他流がなければおかしい。

『張藩武術師系録』は、一刀斎先生は新外他流であるとする。
事実がどうであれ、そのほうが尾張藩は鼻が高い、なぜなら、尾張藩は新外他流を召し抱えていたから。
トダセイゲン先生は、トダさんだけに、外他流かもしれない(それが正式名称かどうかはともかく、トダがどんな当て字で書かれるかはともかく、世間からは「トダさんの流派」と呼ばれることはあるだろう)。
その弟子の一刀斎先生は、後世の人から見れば、外他流か、新外他流か、新しい名前(一刀流など)で呼ばれるかもしれない、なにしろ御自分で流派を名乗らなかったようだから。
流れとしては自然ではある、本当かどうかはともかく。

『唯心一刀流太刀之巻』は、一刀斎先生は外他流だと明言している。
一刀斎一代は外他流と号す。然るに一刀斎世に秀たる術にて、周く諸国に名を顕す。世人呼で「一刀が流」と云。之より自から流儀の称号となると云々、』
事実がどうであれ、
(杉浦系の)唯心一刀流では、そういうことになっている。

流派名を名乗る時に、直接の師の流派名を頂くか、師の師の流派名を頂くか(…好きな方を選べるかどうかはともかくとして)、直接の師への敬愛と謝恩を優先するものか、伝統に敬意を払いたいし古いほうがカッコイイと思うのか、一概にはわからない。
もちろん、他の弟子がどれかの流派名をすでに継いで名乗っていて、選択の余地がなかったとか、ことさら自分たちの流派名の由来を後付けで美化する、という可能性も考えなきゃいけない(唯心一刀流がそうだったかではなく、どの流派の場合でも一般的な考察の手順の話)。
同門の外他さんという人が外他一刀流をやっているからには、杉浦さんは外他ナントカ流にしにくいであろうことは、話の順番はともかく可能性としてはある。

もちろん、カネマキ先生が何人いらしたか(そのうちの一人以上はトダセイゲンとも名乗っただろう)という話は、また別だけれども。

 

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