唯心一刀流の、流派名の問題
本来の名前は、唯心流か? 時と場合によって、古藤田流、古藤田一刀流、古藤田派一刀流、一刀流古藤田派、一刀流、唯心流、一刀唯心流、杉浦一刀流、杉浦派一刀流、一刀流杉浦派、杉浦流とも呼ばれたらしいというのは御存知のとおり。 山田忠史先生によれば、俊定先生が万治3年(1660年)に唯心一刀流と名乗り始めたような感じだけれども。 一刀斎先生は、一刀流とはおっしゃらなかったとされている。 では、「一刀斎先生の系統だが一刀流とは名乗っていない流派」が、いずれかの時点で、一刀流という言葉を聞きかじって(世間がおおむねそう呼ぶので。あるいは小野派あたりが一刀流と名乗ってらっしゃるのを聞いて)、うちもナニナニ一刀流にしよう、と決めたことがあった、ということになる。 一刀流は、一刀斎先生だから一刀流というより、一刀だから一刀流なのであり、そもそも一刀だから一刀斎先生だということ。 『唯心一刀流太刀之巻』によると、唯心は一心、要するに一刀の意だという。 もしかすると、唯心流というのは仮の名称ではなく、初期段階では(一刀流という言葉が定着するまでの期間は)かなり本気で名乗ってらっしゃった可能性もあるのかも…、 俊定先生が諸国武者修行の時に一刀流の名を伏せるため、また、発明するところがあって、いったん唯心流と改称なさったが、のちに、ふたたび一刀流に改称なさったということになっている。 うちのサイトではこれに従い、唯心一刀流という言い方を標準的に使っております。 しかし、これはあくまでも杉浦系における見解。 唯心流、という流派名にした伝書もだいぶ実在している。 『武芸伝系』は、俊直先生の号が唯心だから唯心一刀流になったとしているが、綿谷先生は、そうではないという御見解。 俺みたいな凡人から見れば、号が唯心だから唯心流、唯心さんの一刀流だから唯心一刀流というのが、最も自然で、ありそうなことのように思える(ほかの流派もよくそうしてるから)、少なくとも可能性のひとつとしては、今のところ排除する理由がないと思う。 杉浦系以外の古藤田系は、流派名にトダと付ける人がいるのも気になる。
唯心一刀流と、杉浦一刀流が、別々にあったとする説 まず、普通に考えれば、杉浦一刀流は俗称に思える。『唯心一刀流太刀之巻』があるから。 古藤田系を継承したのは杉浦先生だけではないし、杉浦系は杉浦一族だけがやっていたわけではないから、杉浦系や杉浦家だけをさす言葉が必要だったはずで、そしたら俗称で杉浦流などと呼ぶことは普通にありうると思う。 ところが「杉浦一刀流」は、世間が呼ぶ俗称や、軽い意味での通称というより、かなり公認に近い別名のような印象も受ける。 『全日本武鑑』に、『江戸時代 剣道流派一覧表』として266流派をあげ(本当はもっとたくさん実在したことは百も御承知だろうが、代表的な流派ということで列記なさっているのだと思う)、ここには唯心一刀流と杉浦一刀流が両方書いてある、つまり、別の流派として扱われているのである。 調査している方から頂いた情報によると… 一時的に杉浦一刀流が正称だった時期があるか、あるいは、一部の系統では杉浦一刀流を正称にしていたとか、そういう可能性も絶対にないとは断言できない。 こまかい小技や外之物が増えていくだろうし、しかし古藤田先生のやり方は尊重してそれはそれで崩さず、杉浦家の工夫は混ぜないで別にしておくとか、それを杉浦家の内部だけでこっそり継いでいて家伝の秘密だから部外者にはあんまり教えないとか、そういうことで杉浦流とおっしゃっているのであれば、かなり深刻な話になる。 小野派も、中西派も、溝口派会津伝も、北辰一刀流も、それぞれの開祖がそれぞれ工夫なさって、独自の内容をお持ちで、理論や本数や伝授段階が違う。 もし、古藤田家の剣術を原形のまま完全に継承し続けていて、門弟も多くてこれが最も主流の唯心一刀流だとしたら、杉浦一刀流を正式名にしていたとしても、それは真の唯心一刀流ということになる。
杉村一刀流? 杉浦一心流? 杉村一刀流という表記を確かに見かけたことがある、という情報を頂いたのですが、今のところ俺には確認できません。 杉浦一心流という表記もあったらしい。これは『武芸流派大事典』にも掲載されている。
一刀流 『藩史大事典』では、笠間藩や徳山藩の唯心一刀流を、『一刀流』としか書いてない。 『江戸三○○藩武芸流派総覧』も、喜連川藩の剣術のひとつとして『唯心一刀流』を提示したそのすぐ下に、笠間藩の剣術としてあげているのが、『一刀流』『示現流』『示現一刀流』…といった具合であり、どうやら、笠間藩の唯心一刀流のことをただ単に『一刀流』として扱っている様子なのである。 資料を書いた現代の人が、そう書いただけなのか、と思いきや、そうでもない。 一刀流が複数あるなら、なになに一刀流と呼びわける必要が生じる。 ところが笠間には、北辰一刀流も、示現一刀流もあった。 つまり、唯心一刀流は一刀流の原形により近いものであるから、本来の一刀流であり、他の一刀流よりも偉いとして、ことさらにシンプルに、ただ「一刀流」とだけ名乗ったことがあったのか?
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||