新・機械化騎兵厩舎(改) Stables NR

上野なんちゃって御家再興記念企画(再興はしていない)

  拡大補強21世紀版
唯心一刀流を調査している方へ

伝書 伝系 流名  戸田・牧野・七本槍(関ヶ原 上田戦2) 

凡例  古藤田系 大垣 畑ヶ村 中津 尾張  秋田安東 宍戸三春
安藤対馬 小見川高崎備中松山
加納笠間真壁 喜連川) 
内藤左馬 
  湯長谷 岩村田  土方 窪田 菰野 
松平美作 
今治  牛久保牧野 長岡 與板小諸 三根山 
牧野山城 関宿田辺  毛利日向 
徳山

古藤田家 景正先生 正木先生  他流  御健在か 

このコンテンツは12年9月に一応書き終えましたが、その後、人名に誤字が見つかったり、新情報を頂いたり、ちょこちょこ手を入れております。

 


立体駐車場です。今どき、騎兵は偵察車両と同義です。情報を集めて回るぞ、という気合をこめて、この話題はここに置くことにしました。戦闘用インラインの話は1Gまたは個人配布で。流鏑馬はこちら

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業界全体ではどんな具合になっているか、他にどんなやり方があるか、その中で自分たちは何が特徴で、どっちへ向かおうとしているのか、では今の自分は何をすべきか、…ということを知るために勉強は必要ですが、それは自分の内部で勉強することであって、そんなものはノートとかメモです、公表するものではない。

しかも伝統技能の世界では、批評が禁じられております。
言われたことが当たってるかどうかにかかわらず、自分を品定めされることは、誰だってムカつくわけですね。

けなすのはもちろん、誉めるのもダメ。
他人の良し悪しが判定できるほど、そんなにおまえはわかっているのか?
たとえ目下に対してでも、特定の誰かを誉めることは、結果的に、その人のマイナス面まで肯定したことになってしまったり、その人以外の人を否定する悪口にもなる。

ましてや、「流派を語るな」というのは、原則としてある。
どの団体ではこういう理由でこうしている、というのが、結局は例外もあったり、上級段階の人しか知らない理由があったり、見た目の現象としてはそうでも本質はそうじゃなかったり、どうかすると「見せかけている」だったりして、とてもじゃないが一概に言えることではない。

確かに『五輪書』には風の巻があります、でもあれは、業界最高峰クラスの人が死にぎわに書いて、誰にも見せるな、読んだら処分しろという種類の書物であり、しかも、決して特定流派を名指しはしておらず、一般的な、普遍的なことしかおっしゃってない。

極め尽した人たちでさえそうなんだから、自分のことも満足にできない我々は、よそ様の団体の何がわかっているというのか、おこがましくて、自分よりも恩師が恥をかくし、トラブルの元にもなりやすい。

もちろん、言論の自由、表現の自由、思想の自由、知る喜び、学ぶ楽しさ、純粋な興味と好奇心、…それは全部そうなんですが、やってもかまわないことと、やればできてもやらないほうが自分が得だわなというのがある。

不義と不正は別の概念です。
たとえ現代社会の法や常識で許されることであっても、武門の価値観において許されるだろうか、武の神がこれを許すだろうか、というのがある。

個人ポームページは個人の意見感想でいいじゃん、インターネットは匿名じゃん、という御意見も、それはそうです。
流派の話を何もできないというわけではない。
相手を選んで、隠しページや隠し掲示板で、パンダ同士でほざいてる分には、まだなんとかなる。

しかし匿名でも、自分の所属を名乗るんだったら、何も言えない。
一個人の私的な意見感想ではなくなるからです。
「あの組織の人が、この組織のことを、こーんなふうに言ってやがった」という格好になってしまう。

そこらへんを調整するために、秘密基地という体裁を取ってるような次第で。

三之丸の「文庫」のように、いろんなものがあって、そのどれもが貴重な存在だ、という話なら、まだなんとかなるんです。
旧「天守」のように、正中線とか切落とか、べつに一刀流に限らず基本の基本ということであれば、まだわかるんです。

しかし、特定団体のページは極力、作りたくなかったわけです。
俺とは何の縁もゆかりもないんだもの、むこうにも失礼だし、自分の世界を構築してるところへ関係ないものを置きたくもない。

だったら全部の流派・全部の藩でコレやれよと言われそうですが。

「この武術の手がかり、何かある?」と聞かれれば、協力できることはさせてもらいますが、個々の案件はコンテンツになるものではない。

この城のページはどれも、見本みたいなものです。
つまり、ホームページ全体がホームページ(サイトのトップページという意味でのホームページ)であって、ここから、いくらでも下層があるということです。
それが、かつては隠しページだったりメールだったり、最近では各掲示板だったり、そちらのサイトにお届けのカキコミだったりするわけで。

あなたは諸国漫遊の剣士であり、遍歴の騎士であり、旅の冒険者であり、さすらいの正義の味方であり、日々、いろいろな活動をなさっていて、「なにかあった時は、パンダに援軍を頼もう」というのが、この城の本来の使い方であり、みなさんそうやって補給拠点としてお使いです。
秘密基地というのはそういうものなんです。

その「なにか」をあんまり限定してしまうと、大垣の郷土史の城とか、杉浦氏の城とかいうことになってしまう。

ところが、この流派だけは、ホームページを始めて以来、お問い合わせを頂くことが圧倒的に多く、というか、唯心一刀流を調べてらっしゃって、この城にたどりついたとおっしゃる方が多い。

しかも、いい人が多い。
どこの流派にもイヤな奴はいますよ1人くらいは。でも、この流派に関しては、へんな人が来たことが一度もない。

 

そのたびに、同じことを聞かれ、同じことを答えるのが面倒で、伝書リストだけは三之丸に常設するようになりました。

というようなことを書いて出しておいたら、以前お問い合わせくださった方から、面倒とのこと御迷惑をおかけして申し訳ありませんみたいな丁重な御口上を頂戴して、大変恐縮だったんですが…。

「ここを参照してくれ」ですむものを設置しておいたほうが、1回ですむから、俺にとってラクだというだけのことです。どうか御放念ください。

ところが、人間の欲というのは際限がないもので、「もっと情報ねーのかよ、なければ取ってこい、ケチケチするな(大意)」とのお叱りを受けまして、ガルフ陛下、あんたのことです(笑)

わかりやすくひとまとめにして、ネット上に置けば、何かのお役には立つかもしれないが、その作業をやるのがどうして俺なのか、ほかに手のあいてる人いらっしゃるだろというのが、いまひとつ必然がない。

しかし2010年の築城祭は、旧「天守」資料集の全再編でした。手間は一緒。
ならば、これだけは普通のコンテンツにしようと思ったわけです。
「P」や1Gのバックナンバーや、関連ありそうな話を、今後できるだけ、ここへ移植していきます。

というわけで、このコンテンツは、なりゆきで、作るべくして作りました。
誓って言いますが、
この流派だけが特別に偉いとも珍しいとも思ってないのは事実です。
偉いし珍しいけど、この流派だけではない。

このコンテンツには、おそらく膨大な間違いがあります。
解釈のことではありません、歴史をどう解釈するかは人様の自由であって、バカ殿の代表格の家綱公なんて俺は理想的な君主だと思うし、池波先生は田沼政治の長所を絶賛なさっていた。右翼の人から見れば尊氏公なんぞは悪役に決まっているわけです。
問題なのは、解釈の元になる基礎データ。

藩の話は、特にお断りしないものはほとんどすべて、雄山閣出版『藩史大事典』が情報源ですが、なぜなら、俺が知る限りこの本が最善だからですが、この本でさえ、内容が本当に正しいのかどうか俺にはわかりません。
歴史というのは、なんの根拠もない俗説が定着しちゃっていることが多すぎる。

しかも、俺なんぞがやっていることはシロートの浅智恵であり、資料の扱い方ひとつにしても手法から学術的な研究になっておりません。
ただし、このコンテンツの
修正と加筆は続けていきます、いったん出したからには。

ところで、この話題はどうして車庫に置いてあるのか、不謹慎だ、と思われるかもしれないので、唯心一刀流の名誉のために書き添えます。

ここはもともとバイクとチャリと戦闘用ローラースケートの隠しページだったんですが、系列ごとの暴走族対策とか、奥義「渚のステップ」とか、7本目見返り美人シャシャシャシャシャーとか、ママチャリで武道具を運ぶ完璧な方法とか、台車ダウンヒルとか、猫車手楯術とか、悪ノリを加筆したせいで、流鏑馬以外は別々のコンテンツに分割されてしまった。

城のくせに厩舎がない、でも厩門はあるという、おかしな状態が、10年近く続いていたわけです。

城には馬小屋が絶対必要です。
騎士道では「馬無くして騎士にあらず」と言い、本多家には「馬の乗り降り自在でない者が当主になってはならない」という家訓があり、与力は古くは寄騎と書いて1人2人ではなく1騎2騎と数えることになってます。

騎兵と騎士は違います。しかも、乗馬する者が、乗馬のまま戦うとは限らない。

騎士道のことは二之丸でやってるし、なにか騎馬にちなむ話題があったらここに置こうと思っていたんですが、守城しかも山岳戦で要塞砲による迎撃を想定してる所には、戦術機動の需要がなかったわけですね。

大砲の長いものは、戦前の水準でも12万メートルくらい届きます。上野から水戸を撃ち抜けるのに、兵糧持って出かける必要がない。水戸までチャリで日帰りしましたけどね俺。
守るのは、この上野山です。

それで、急に思い出したことがある。
子どもの頃、友達2人と一緒に、地元の古流の先生方を訪問しては、聞き取り調査をして、社会科の授業で発表したりしてました。
明治生まれの先生方がたくさん御健在だった。
その時、友達の御母堂がいつも送迎してくださるのが、本当にありがたかったんです。
農家の方で、農作業の服装のまま、おそらく御仕事を中断して、運転してくださった。
純粋に興味を持って調べようとしている者には、無条件でつきあってくださる、無償の御厚情。
その人は、「私、こんな格好だから」などと言って、我々の用がすむまで、何時間でもクルマの中で待っていてくださった…。

このコンテンツを車庫に置いたのは、「どうして自分の時間を割いてまで、こんなページ作らなきゃならないんだ? バカバカしい」と思ってきたら、その人を思い出そう、ということです(今もちょっと思ってるんだけど)。

 

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