←もどる 

 

 パンダが帰ってくる?

リンリン様の崩御で、上野のパンダは完全に滅亡したこと。
ふたたび、パンダ1つがいの貸与が決まり、しかも有料であること。
これを受けて台東区では、区内あちこちに「パンダが帰ってきます」と表示していること。
いずれも、俺は納得していないこと。

ここまでは、あちこちに書いているとおり、御存知のとおりです。

上野にパンダが帰ってくるというのは、かしこくもシュアンシュアン様の再幸でもない限り、もはや言う言葉ではない。
パンダは、「新たに、来る」のです、借り物で、有料で、都民のお金で。

滅びたものは、金輪際、もう二度と帰ってきてくれないのだ。
ここをないがしろにすると、パンダのみならず、自然保護という問題の本質が根底から崩壊する。

台東区民としては、いらないとも来るなとも言えないし、しかし、手放しで喜ぶ気持ちになれない。

俺は、この問題を解決する突破口になりうるものがあるとすれば、それは、カンカン様ランラン様が日本にお越しになったあの時代、話の原点に、それこそ回帰して考えてみようと。
あの時代のヒーローの勇姿の中にこそ、本当の答えが見出せるのではないかと思い、いい歳して、真剣に、これを観たわけです。

 → これ 

するとですね、衝撃的な事実が判明しまして。

もはやパンダの話どころではなくなってしまったので、どうしても世間様にお知らせしなければならぬと思って、日記のページに書くには長いので、こっちに書くことにしたわけです。

このDVDの題名は誇大広告ではなく、本当に、すべて!を見せていただきました。
さすが世界の円谷プロさん、ものすごく奥が深い。

 

 必殺技のひとつに「巴投げ」がある!

ギザギザのトサカのある怪獣に対して、巴投げをしている。

ウルトラなになにキックとか、ウルトラ回転なになに落としとかではありません。
ズバリ一言、「巴投げ」。
テロップで明確に、そういう技名になってる。

俺は、この歳まで、ウルトラ一族の戦技の中に巴投げがあることを知らなかった。

巴投げらしきものを使ったのは、何度か見た記憶がありましたよ。
組んで、もつれて、倒れつつ、おおいかぶさられた時に、蹴って外すようなことは。
しかし、技の名前が本当に「巴投げ」だったとは…。

どうも必殺光線を出すのが遅いなあとは思っていたが、そりゃそうだよ、講道館使いだったのだ、この人は!

しかも、ものすごくヘタクソ。
崩していない、掛けと造りがない、引きが甘い、体重を使ってない。
かなり遅く足を当て、しかも当ててる場所が異様に高くて胸の付近であり、ほとんどキック力だけで飛ばしている。

 

 

 稽古が足りない

ハヤタ隊員は最初から科特隊の隊員であり、うっかりウルトラマンが殺しちゃったので、ウルトラマンの命を共有することになったという、半ゾンビ。
おそらく空手か何か、軍隊や特殊警察でおこなう程度の格闘技訓練は受けてらっしゃるはず。

モロボシダンは、地球人に化けているウルトラセブンそのものであり、全くの宇宙人。
この人も伊達に甲冑風の姿をしておらず、戦闘のプロ。
ウルトラ一族は、宇宙警備隊という100万人規模の戦闘組織を設置しており、セブンはその一員として、宇宙の平和を守ってらっしゃる。

郷秀樹は、死んだところへ新マンの命を譲り受けることによって変身能力を得たという点では、初代マンと同じ半ゾンビだが、もともとカーレーサーを目指す市民であって、戦闘のプロではなかった。

郷秀樹の心身が鍛えられて成長していけば、新マンも強くなる。
せめて茶帯くらい取ってくれてさえいれば、あんなにピンチにならなかったし、ビルもあんまり破壊されずにすんだのだ。

 

 「背負い投げ」もしている

これまた、「背負い投げ」とテロップが出ているのですが…。
シュガロンという怪獣と戦うことになり、ナレーションによれば「格闘戦の得意な怪獣だ」とのことで。

シュガロンは、倒れている新マンにボディプレスをするが、新マンはかわす。
新マンは起き上がり、シュガロンがまだ構えていないところへ軽く前蹴りしてから、組みに行き、押して出る。
シュガロンは組まれるのを嫌って右手で大振りに殴るが、新マンがすかしたので、体が回転して背を向けてしまう。
新マンはシュガロンの右背後に密着して右腕を左手で捕り、回れ右して右手で後頭部を捕って、自分の前方に投げ降ろしている。

これはプロレスで言えば、右手は、髪の毛かマスクの後頭部をつかんで投げている状態だと思いますが。

背中と背中をつけて投げるというのは、背負い投げは背負い投げでも、裏背負いです。
大変に古流柔術的な背負い投げなんです!
右手は、自分の肩ごしに、相手の奥襟をとっている状態です。

また、劇中に登場する地球防衛組織のメカは、改めてよく見ると、初代ウルトラマンのそれよりもあきらかに古いタイプです。
科特隊は、フランス的というか、もっと先進的だった。

 

 これはですね、美学なんですよ

たしかに現代剣道では、始め!と言われて蹲踞から立ち上がりながらいきなり面を奇襲してもルール違反にはならないが、そんなんで勝ってもねえ、それはまあ2〜3段くらいまで、高校生くらいまでの剣道ですよ。
まず、お互いに構えて、気を発して、やあ!、おう!とやるもんだ。話はそこから。

柔道も、まず最初は熊のように両手を上げるもんだ。
さあ来い、どこからでも来い、そしてがっぷり組む。
俺なんぞは、たいした腕前じゃないけど、この両手を上げたポーズだけは、子どもの頃から、ただの一度の例外もなく、試合では必ずやってきたぞ。

こういうやり方をしていない限り、絶対にたどり着けない境地というのがあって、それを得るために武道をやるんで、ただの殺人術でよければもっと効率いいやり方がいくらでもある。
ウルトラマンたちも、地球の子どもたちに、正々堂々とした勇気を教えたいんじゃないだろうか。
でなきゃ、3分ギリギリまで、市街地を破壊してまで、とっくみ合いをやる理由がない。

今の柔道を見てみろよ、組まれないようにチョコチョコ牽制しあって、ちょっと組まれるとすぐ切りにいって、まるで間寛平さんの猿が池乃めだかさんの猫を攻撃する姿にそっくりだよ。
ああいうことはレスリングの試合運びであって、日本のヤワラの道ではない。

もちろん、存分に組まれたら、相手が実力を出しきってしまうが、それで負けたのなら、てめえが弱かったんだから、負けて当たり前で、それをセコい小細工で勝ったら二重に負けなのですよ。

初代ウルトラマンは、猫背のへっぴり腰で手を突き出すという、レスリング系ないしアメリカン空手風の構えをしていたが、帰ってきたウルトラマンは、もっと背筋をのばしている。

ウルトラセブンは、基礎ができていないうちから、万能武器を与えて、道具に頼る癖をつけてしまう。

つまり、「帰ってきた」とは出処進退の移動のことではなく、「芸風が古式に回帰しつつあるウルトラマン」の意だったのではあるまいか、というのがこのページの趣旨であります。
お読み頂きありがとうございました。押忍。

 

←もどる 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送