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新選組の羽織は、本当に
浅葱色だったか? 1

 

  浅葱だと伝えられている

新選組の羽織は、地は浅葱(あさぎ)色で、
袖と裾にダンダラというか入山型というかギザギザ模様を抜き、
背中には誠の文字を白抜きしていたようです。

永倉先生の『新撰組顛末記』に、浅葱だと書いてある。

 

  浅葱は水色ではない

新選組の羽織の色は、明るめの水色というイメージですよね。
観光地の土産でも、時代劇でも、こんな色でしょう。
これがまた、全然関係ねえのに浅草寺周辺でも売られていて、
俺はイヤでも毎日見かけるんですけどね。

また、このくらい薄い水色が、世間一般には
「浅葱」だと認識されているようです。

■このくらい

しかし、俺が知る限りでは、浅葱はもっと緑に近い、濃い色です。

浅葱は「薄めのネギ色」という意味ですから、緑っぽいのは当然としても、
どういうわけか、あまり薄くない。

■このくらい

俺は日本画の師について15年、デザイン屋になって20年、
学生時代には服飾デザインも少しやりましたが、
浅葱というのは、大日本様のパート1の216か、同2の2579、
パントンで3415C、
アミは(よほどのことがない限り俺は10パー単位で指定ですが)
最低でもC90M20Y30、
これがC100M30Y60くらいでも、まだ浅葱という感覚です。
マンセルでは色相2.5Bから9.0Gくらい、
明度4.3〜5くらい、彩度6.5〜8.8くらい。

これがどういうことかというと、
浅葱と呼ばれている色はかなりいろいろだが、
どちらかといえば青じゃなくて青緑かほとんど緑
パステルカラーではなくクッキリした濃さということです。

 

  昔の色だから

色は、地域と時代によってニュアンスが違うものです。

スマルトとかインディアンイエローとか貝殻虫とか、
いろんな事情ですたれたり、原料や染め方が当時とは違ったり、
現存していてもあせていたりするんで、

当時どのくらいの色を、どのくらいの濃さで使って、そう呼んでいたかは、
よくわからない。

しかし、そう言っちゃ話がオシマイだから、
色の話にもう少しおつきあいください。
後述しますが、新選組の羽織があんまり薄い青だと、大問題になる。

 

  浅葱は本来、薄い黄色

平安時代初期は、アサギは「浅黄」と表記してました。
『延喜式』では、薄い黄色を浅黄と言ってます。

それが、鎌倉時代に入ると緑っぽい色をさすようになったらしくて、
『海道記』に
『草の緑染なして浅黄をさらせり』とある。
露草か何かで染めたんだと思いますが。

そして遅くとも江戸時代初期には、「浅葱」という表記が文献に出てくる。

青っぽい色を「黄」と書くことに抵抗があったからでしょうが、
しかしその後も、現代に至るまで、
青っぽいアサギでも「浅黄」という書き方をする例がかなり多い。
黄と葱が併用されてるわけです。

これは江戸時代の人もまぎらわしいと思っていたらしく、
槙島昭武『書言字考節用集』、本居宣長『玉勝間』、
喜田川守貞『守貞漫稿』、いずれも、
青っぽいアサギをあらわすなら「葱」の字が正しいという見解です。

 

 →つづき 

 

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