←戻る 

科目標目の分類定義と、
その表記 1

 

 徒手格闘術

腰廻、小具足、捕手、組打、甲冑柔術、合気、合気柔術、羽手、白打、打拳、手搏、手縛、捕縛、当身術、活殺、殺活、体術、躰術、胎術、体拉、拉、碎、砕、武者捕り、得物捕りなどは、和、にんべんに和、和良、和合、和儀、和悦、弥和羅、ヤハラなど文字の使い方も含めて、ほとんど(柔)で一括させていただいてます。

最近は柔術という言葉を言うと、寝技のあるキックボクシング?と勘違いされたりして(実際そういうのもあるけど)、話が全然伝わらなかったりするのですが、うちの城にいらっしゃるくらいの方は大丈夫だと思うので。

たとえば、柔術といっても、敵の刀を奪って斬り付ける形はいくらでもあります。
腰廻(こしのまわり)とか小具足(こぐそく)というのは、どちらかといえば短刀術であり、戦場で最終的に組み合って敵の首をかき取るとか、本陣で甲冑を一部脱いでくつろいでる時に奇襲をくらった場合の近接戦闘とか、近代軍隊のナイフ術に近い用途です。
そこから、素手で平服の、殺さず制す格闘技術が生まれた。これが狭義の柔術です。逮捕術に近い。

だから、竹内流のように歴史が長くて内容の豊富な流派を、安易に「柔術」と呼んでしまうと、竹内流の技法のうち、柔術の部分だけしか言い表わしていないことになってしまう。
柳生心眼流(荒木系)などでは、柔術と、各種武器術を、総称して「体術」とおっしゃっているので、体術イコール柔術ではありません。しかも体術は、旧字で體術と書かなければならない理由もいろいろあるようです。

最近は協会の分類に、「柔術」とは別に「体術」という区分があって、柳生心眼流はどちらも「体術」にくくられている。
荒木流拳法は柔術に分類されずに、「その他武術」にくくられている。

…というようなことがよくあるのですが、ひとつひとつ対応していくのは無理だから(手間も大変だが、対応したくても不明なものもある)、ある程度は統一基準でくくるということをお許しください。

偉大な先人の遺産を部外者が勝手に定義することは恐れ多いのですが、なんの基準もなしに無秩序にやるのもまた失礼であり、基準を作れば例外や規格外があり、どこかの総理じゃありませんがどっちを選んだにしても反対意見はつねにあるもので、できるだけ公正を期してわかりやすい分類にしようとする熱意を見せることと、どういうふうに並べてあるか、なぜそうしたかという説明責任を果たすことだけは最低限やっておけば、どこかの総理よりはマシだろうという程度です。以下同様です。

ブラジルやオランダでは柔術が独自の発展を遂げていて、これを日本人が習うこともある。
「日本でもなく古流でもない柔術」というのもあるわけです。
これは主に戦後編で扱いますが、戦前の移民の資料もあるらしいので、見つけたら掲載します。
外国語で書かれていれば洋書編で扱います。
満州鉄道の剣道、アメリカの空手なども同様です。

講道館柔道は現在、体重別にして、日本の精神文化や武士の伝統から切り離し、もっと普遍的な体育競技になっています。
我々は陸上競技の槍やハンマーを投げるにあたって、武器という意識はありませんよね。柔道も、もはや万国共有のスポーツ「JUDO」に発展しており、世界中の人々に愛好されていて、体が大きければ有利ということはあっても、日本人だから有利ということは全くない。

このコンテンツで扱うのは、戦前の講道館ですので御注意ください。
つまり俺は、戦前の講道館を、日本固有の伝統武道とみなしております。
講道館柔道をやりつつ、御自分の流派の柔術も継承しておられる先生もいらしたし、嘉納先生が早くから開明的で国際的な方でも、時代背景としては柔道も大日本帝国の民族性や愛国心と不可分だったからです。

 

 

(相撲)は、柔術とは分けてます。
話が長くて複雑すぎるので、こちら

(拳)も、分けることがあります。
荒木流(夢仁斎系)などのように世間で拳法と呼び慣れていて柔術では違和感が大きい、剛の力をぶつけあうのと敵の力をはぐらかして利用するのは別方向である、いずれ戦後編を作る時に「投げも固めもあるが基本的に立技で打撃」という団体(とても多い)を柔術には含めにくい、などが理由ですが、たとえば俺の周囲で柳生心眼流(竹永系)をやってる人はみんな拳法ではなく柔術とおっしゃっていたりして、感覚的というか、必ずしも分けてない箇所もあります。このへんは後日また考えます。

琉球の(拳)は、(空手)にまとめます。
歴史的にも技法的にも中国武術に近く(剛柔流のようにきちんと調査をやって、母体になった中国拳法がほぼ判明しているものもある)、伝書という概念も稀薄なので。

剛法、剛身、強法というようなものは、隠し武器だったり、その流派が「柔」という言葉や文字や意味を嫌っていて柔術と呼ばれたくないという見解のものもあります。
これは柔術とは分けなければ申し訳ないと思いますが、どれがそうなのか徹底しきれないから、今のところ分けておりません。

なんとなれば、どこの柔術にも隠し武器はあり、柔術も柔ばっかりではなく、陰中の陽というか、柔の内面に剛はあり、陰の極みは陽に還るので、剛も達人ならば現象は剛でも柔を内包していると思われます。
本当の意味で柔だけに徹してるのは、非合気会で非大東流で気功併用で神社関係なんていう団体のうちのごく一部しか聞いたことがありません。

骨法、骨子術、換骨術などは、戦前の伝書を見たことがないので未収録です。見つけたら載せます。しかし定義や伝来に異説が多すぎるため、拳法とは分けます。

武田植芝両先生の系統は(合気)、忍術は(忍)として分けます。
合気に似た内容は普通の柔術にもいくらでもあり、忍術は体術中心に各種武器や思想を備えた優れた総合流派ですが、1つのジャンルになっているし、古流の柔術として扱うには異質すぎる(異質であるがゆえに特長がある)、という便宜上の区分です。

気功・呼吸・催眠術・心理学・メンタルコントロールのたぐいで合気でないものは、それ自体が現象をおこすものは(気合)精神的な教えや心構えは(心法)などとしていますが、これまた、どこの流派にもあるもので、他のページに書いたとおりキリがないからオカルトとは少し線を引いてます。

現代日常での使用を前提にするものは(護身)として別にします。
暴力から身を守って殺傷を防ぐ、体や道具の使い方は、武術をやれば自動的に身につくものですが、武術やっていない人に対症療法だけ指導するということは、武術とは性質が違うばかりか、武術側から見れば、まったく逆効果なので。

頭のいい人たちは、「護身術が必要なくなる方法」を護身術と呼んでいることがあり、これは徒手格闘術ではなく、犯罪を未然に防ぐ心得のことです。
古流武術に付属する護身というのは、道を歩く時にどういうふうに歩けとか、教訓的なものもあり、作法やオカルトにも関連していることが多いです。

また、近年では武術の宣伝や普及を目的として、護身のほかに、体操、ダンス、健康法、美容法、美顔法、ダイエット法、不良学生更正法などが、武術に付属または派生することがときどきある。本当に、なになに流と言っている。バカ丸出しみたいなのもある。
武術がらみの体操だったら戦前にもあったから、このコンテンツに収録する機会もあるかもしれません。

とにかく、想定する環境や技法などがいちじるしく異質で、しかもそれを専門にしていて、その流派がそうおっしゃっているのであれば、分けることもあります。
また、できるだけ最善であるよう、今後も改訂していきます。
他も同様です。

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送