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索引の流名ならびに伝系の表記と、
近似団体の相互位置関係 2

 

 母体か、参考程度か

AとBの流派を学んだ人が、のちにCの流派を学んでCの宗家を継いだ場合、あるいはCだけ教授してるCの宗家が個人的にAとBも極めていた場合、AとBは、Cにどのくらい取り入れられているのかという問題もあります。
最初に習った流派に満足できなかった、破門された、みずから脱退したなどで、一切捨てて別の流派を習いなおしたというような場合、前の流派が本当にまったく影響していないのかとか。
無眼流(三浦系)なんかは18の流派から免許をもらい、宝蔵院流なんかは40人以上の師について、研究し尽してから御自分の流派をおこしている。2つや3つの流派を習ったなんてことは全然珍しくない。
しかも、技法はどの流派からも平均的に取り入れている(ように見える)のに、そのうちのひとつを特に重視したような流名を名乗っていたりすることもある。

俺の現代武術のほうの師が、一人一流派、人の数だけ癖と理屈はあるもんだ、ということを言ってますが、画一的指導の否定と伝統の継承は微妙な問題なのでだいたい、おおよそ、でしか区別しきれません。

 

 門人じゃないのに知っている

幕末になると交流がさかんで、他流の道場を回って御指導いただくという「死なない他流試合・武者修行」が可能になる。それが、どのくらい技術の交換があったのか。試合しただけなのか、一時的とはいえ師事してるのか。
試合しただけでも、一手御教示願うって言いますからね。手取り足取り教わらないにしても、むこうの御厚意で、めったに見せない秘密の技をくらわしていただき、体験させていただくだけでも、教わったとは言える。それが長期逗留や、何度もかよった場合、その流派を習ったうちに入るのかどうか。

藩校や講武所や武徳会のような総合組織だと、もはや流派の閉鎖性があんまりない。

現代でも、必ずしも入門していなくても、教えを頂ける機会がある。誰でも参加できるセミナーがあって、いろんな流派をちょっとずつ習えることがある。
古老にお話を聞きに行っただけなのに、口で説明してもわかりっこないわ、ちょっともんでやるから表を1本おぼえて帰りなさい、なんて言ってくださることもある。
現代剣道の道場なのに、常任理事クラスの先生がその地域に伝わる古流を戦前からやっておられて、帰りぎわに希望者だけ残って教えていただけるなんてことがあり、あるいはもっと大々的にやっていて、若手が大会の前座で演武を披露するなんてこともある。
中国武術の道場なのに、大東流や柳生心眼流を教えていただけることもある。
運転免許の合宿に行ったのに、そこにすごい先生が来ていらして、毎日稽古をつけていただいたなんてこともある。じつは昔の流祖も、たまたま流れてきた旅の武芸者を引き止めて師事したとかで、そんなに何年もかけて習ったわけではない場合がある。
ある程度やってる人同士だと、意気投合して秘伝を交換しちゃうなんてことが、ホントはいけないんだけど、じつは大昔から普通にある。

 

もしかしたら、この程度のことでも、「若い頃に習った流派のひとつ」に数えちゃってる開祖もいたのかもしれません。
習ったのは事実なんだし、それがその人にとって大きな契機や啓示になったのなら、少なくともウソではない。

 

 経歴詐称

この人はこの流派を習った・習ってないということが、本流側と分派側で公式見解が違うということもよくある。
状況証拠や、第三者的な記録資料から、はっきり答えが出ているものもありますが、わからないものもある。
わかっていても、それを言えば、どちらかの側をウソつきだと批判することになってしまう。

日本の武術が世界一すばらしい理由のひとつは、誰も傷つけず丸くおさめるところですから、すでにナアナアになっているものをわざわざほじくり返して争いを生み出すのは武の道から少し外れており、バカどもと同じレベルに自分を下げてまでムキになって争うのはみっともないという空気があります。

敬愛する開祖以来の歴代先師、栄光と伝統のある名門団体、その名誉と尊厳を不正に傷つけられているのだから、正統派側の関係者さんたちのお怒りは至極ごもっとも、御不満もあるでしょうが、このコンテンツでは、やや世間一般的な歴史観でやっております。
他の場所では、俺も言うべきことは言っておりますので。
それに、俺が知ってる程度のことは、俺が言わなくても、武術にたずさわっている方なら誰でも、
いずれ必ず知ることになるはずです。

 

 順不同

現代仮名50音順のつもりですが、順番が違っていたとしたら単なる間違いであり、他意はありません。
藤原をフヂハラとか、大岡をオホヲカとかは、当時はそれが正しいうえに、転訛や誤字当字の原形をつきとめる手がかりとして無視できない要素ですが、このページでは引きやすさを優先させてください。
現在は『広辞苑』ですらハナヂをハナジとしていますが、この程度なら区別しております。アズマはアヅマ、イズミはイヅミ、イズモはイヅモなど。

本当は、井や猪はヰ(ゐ)、円や遠はヱン(ゑん)、いずれもワ行です。
古神道が使う万葉仮名は、ヤ行にもイ・エがあり、ア行のイ・エとは区別し、じつは発音も違います。
このへんのことは、言霊や真言の極意に直結していて、じつは武術の奥義にも関連があるのですが、二之丸で扱います。

そのほか、謙信公と信玄公の官位の差で越後流は甲州流より上席にするとか、高野先生と中山先生の著書は並べないとか、そういうことも純粋な敬意であり武門の慣例であるからには、他の場所では俺もそうしてますが、ここではお許し願います。

同名は、50音順、画数の少ないもの、有名なものから不明なもの、古い武器から新しい武器など、そのつど、いろいろに並べてますが、優劣一切ナシで並列とお思いください。
画数といってもどこまで旧字か、佐々木は姓名判断では佐佐木の略とみなすし、あまり気にしておりません。

 

 →つづき 

 

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