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その流派名で本当にいいのか
という問題 2

 

 なになにナントカ

「なになに流」を、のれん分けした御弟子さんたちが、「誰々なになに流」「どこどこなになに流」などと、ちょっと違う流名にする。
それならそれで、いつでも必ずそうしてくれれば、「なんとか派なになに流」と言ったらこの御弟子さんの系統、「どこどこ誰々なになに流」といったらあの御弟子さんの系統などと区別がつくんですが(そういうことが比較的ハッキリしてる場合もあるんですが)、申し合わせて決めたものでもないようで。

こう呼び分けて区別する、というのが現在では決まっているようでも、かつて時代と地域によっていろいろに呼んだことがあって、それが、こっちの団体とむこうの団体で同じ言い方を使っていたということが多い。

 

 区別するためのナニナニ

あやかろうとして、似たようなのが後から後から作られる。
こういうの会社名でも多いですよね。「なになに(ただし現在のなになにとは無関係の別団体)」なんてのもある。

また、あんまりたくさんに分かれて、違いが大きくなると、「俺の所が本来のやり方だ、ほかの連中はあまりにも変更しすぎていてけしからん」ということで、正統、正宗、正伝、真伝、直伝、真之、本、根本、古、古流、古典派、伝統派などと、流派名や伝書名にくっつけることがある。

本当に古い流派が、その当時に、古などと付けて名乗るわけがないので、これはもちろん後世の人がつけた名前ですが、そういう場合、「古なになに流」が正式名のように見えても、実質的には、ただの「なになに流」なんじゃないかとか。

また、最近でっちあげたニセ流派が、ことさら古く見せかけようとして、なになに古流と名乗ることもよくあって、大昔に書かれたと言い張る文書に、なになに古流と書いてあったりする。

 

 みょう字流VSなにのかみ流

誰々流の誰々は、みょう字や下の名前や号や通称や受領名など、いろいろな名前が使われるから、同じ人に2つも3つもあったりする。
これに、出身地か伝承地の地名が加わることもある。

しかも、その一門の中だけでの問題ではなく、ジャンルの違うものにまで問題がまたがる

砲術の井上外記先生の場合、井上流とも外記流とも呼ばれ、それが、どちらかといえば西日本では外記流と呼ぶというんですが、青森や宮城や福島や群馬でも外記流と言っていたり、藩の公文書では一応こちらが使われることが多いようだなあというのが一応あるようでいて、そんなもん、書いた人の単なる書き癖のようでもあり。
しかも井上貫流先生が、井上流とも和蘭流とも呼ばれるから、砲術には井上さんの井上流が2つあることになり、弓、鎌、柔など他のジャンルにも井上さんがいて井上流を名乗っているし、馬術には外記流というのもある。
そもそも人名が貫流さんというのが、これだけでもややこしい。流派名が貫流という団体が、これまた各ジャンルにいくつかある。砲術だけで2つはある。

居合の片山伯耆守先生が、片山流とも伯耆流とも呼ばれるのは、居合だけをさすなら伯耆流だそうですが、片山金左衛門先生の片山流居合、名和伯耆守先生の伯耆流居合がほかにあるから、片山・伯耆どちらでお呼びしても、「居合の流派の」と言い添えても、まぎらわしいことに変わりはないし、かといって「居合で片山とか伯耆と言えば普通、有名なほうの団体だァ」などとは言いにくい。
しかも、名和先生の地域で片山先生のほうをやってる団体もある。片山先生の系統にゆかりはあるが、技法がだいぶ違っている団体もある。最近あやかって新しく作ったニセ団体も各地にある。どこが違うということを言うと、ニセ団体が正しい技をやるようになるから、ますます区別がつかなくなる。

時代がくだるほど、本流では「みょう字」流になっていく傾向があるようなないような…。
つまり、2代目以降の宗家の意識が反影しているのかどうか。

 

「私は流祖の親族だ。我が家には、流祖以前にも家伝の武術があったし、流祖以降も達人が出ている、その全体の総称である。この流派は我が家のものであり、今後も子孫が代々宗家をやっていく。だから、みょう字流」

「流祖の子や弟から習った連中は、たとえ同族でも亜流にすぎない。七光り、世襲議員、親族企業なんてのは形骸化して腐りやすい。私は赤の他人だが、流祖から直接習っているから、内容が正統だ。だから、そのみょう字の人なら誰でもいいってわけじゃなくて、流祖だけに限定して、なになにのかみ流」

…というようなことで使い分けていれば簡単なんですが、本人たちもいろいろ、世間もいろいろに呼んでいたりする。

また、「なになにの守」っていうのも、世襲してることがよくある。
ちゃんと朝廷から叙勲されて、父と同じ官位になる場合もあれば、あの人の息子ということがわかりやすくて世間に通りがいいから、単なる通称で勝手に名乗ってる場合もある。勝手に名乗っていたのが、のちに叙勲されて、そのとおりの地位になることもある。

ということは、2代目以降の人たちにとって、なになにのかみ流というのが、どんな気持ちで、どんな意味で言っていたかが、まちまちなようで。

 

 家伝

戦闘を代々やってきた家には、ノウハウが蓄積する。漁師でも大工でも、家業にしていれば、父から子へ伝わる技術はありますよね。
それが、ものすごく画期的なやり方で、業界スタンダードになるほどの大発明の場合もある。
誰でも思いつく程度のコツだから、いちいち流派と言うほどでもない場合もある。

その家系に、ものすごく優秀な有名人が出る。
あるいは、自分には他人と違う特別な価値があるのだという自信や思い込みの激しい人が出る。

すると、「なになに流」と言い出すか、世間がそう呼び始める。
その時点で、その人が流祖になってくれればいいが、
何百年も前の先祖にさかのぼって初代と数えることもよくある。
たしかに技術は流祖以前から伝わってきたのだし、歴史が長いほうがかっこいい。
その流派ではそういう見解なのだから、まじめに先達を崇拝しているものを、他人がとやかく言うことでもない。
しかし、そんな大昔の人のことはサッパリわけわからなくて、伝説もあやふや、まちまち。

そんなにすごい内容が自宅に伝わっていたのなら、それをやってりゃいいのに、なんであんたは他の流派の先生についたんだ? あんたのやってる武術は、あの先生がやってることをパクっただけじゃないか、いや、似てる部分もあるが似てない部分もある、その似てない部分がオリジナリティだと言い張っているが、それはどう見ても「正しく理解できずに途中で挫折する者が、『こっちのほうがいいんじゃないか?』と勘違いしがちなダメなほうのやり方」だ、見る人が見ればバレバレだぞ、ということもある。

それでいて、2代目社長が腐るのを防ぐため、ある一定の時期に父の元から離して、別の先生に預けて修行させるということも、たしかによくある。
で、その御世話になったヨソの先生が全然違う流派で、皆伝をくださったら、むこうの流派がこっちの流派に取り入れられたことになるのか、ならないのか。

試合で決め手に使っている必殺技が、じつはその団体にはない技で、他団体(ひどい場合だと他ジャンル)の先生から教わったもので、だからこそ、珍しくて意外なのでよく効くとか。
螺旋フックやカカト落としが、もともと空手にあった技か?というくらいのことは調査できても、この薙刀の技法は明治時代に他流試合をやってる時にあの流派からこの流派へ取り入れたんじゃないか?というようなことは、ハッキリしなかったり、ハッキリさせちゃいけないようなこともあるらしくて。

行事で披露する技術が、じつはその団体の教程にはないもので、珍しいからやってみせているが、その人はそこの指導者から習ったわけではなく、昔どこか別の所で身に付けたことを参考までに余興で大会プログラムに入れているとか。

 

 →つづき 

 

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