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伝書に書き込みをするか!?

 

 秘伝書の別の楽しみ

まともな武士は、敵に包囲されて城が落ちるときに、名刀を敵に届けたり、布団にくるんで敵陣に投げてから、城に火を放って切腹するなんてことをやってます。名刀が焼けて、刃の焼きがダメになるのを惜しんでのことです。

名刀は時代を超えて伝えていくものだから、自分は仮に預かっているにすぎず、自分一代でダメにしては、今までの持ち主に対しても、後世の人々に対しても相済まぬという考えです。だからこそ名刀というのは、それだけでつまらない喧嘩を買わずに忍耐させる力がある。事実、国宝になってるような名刀には、まったく作ったばかりのように傷ひとつないものがあります。

どうかすると刀身に所有者名を象嵌しちゃう人がいます。有名な大先生ならば、かえって骨董価値を増やすのでしょうが。俺はジャケットや袴に名前を入れないくらいです。人に譲るときに悪いから。

本は、飾ってないで読まないと意味がないから、どんどん読んで、手あかも折り癖も日焼けも煙草の煙もつけてしまうけれど、アンダーラインする気にはならないし、蔵書印も入れてません。

ところが、他人がやってる分には面白い。

贈呈だれだれ様と著者が書き入れた本が、新品で古本屋に出るというのは、どういう人間関係なのかとか。
いつでも稽古に来なさい、と電話番号と口伝を書いた手紙が挟まっていたこともあった。
前の持ち主が、本文にない内容をいろいろ書き込んでいたり、付箋を貼り付けて補足していることもある。
誤植をなおしてくれているのは、すごくありがたい(誤植じゃないのに、なおしてあることもあるが…)。
巻末の見返しに、感想文が書いてあったこともあった。内容からすると某有名大学の教授さんで、この本に出逢って私はどうたらこうたらと、次に読む人へのメッセージになっていた。はあ? もしかしてこの人は、古本屋に出す本には全部こういうの書いてるのか…。

 

これは『劒術論』。せっかく活字にせず原本の写真凸版なのに、そこへ書き込んじゃって…。何か気の利いたこと書いてあるかと思えば、本文をただ抜き出してインデックスにした頭注。そんなこたあノートでやろうや!
せめて青いペンだったら、対応のしようもあるのだが。
しかし、先達がどこを重視していたかは大変勉強になる。前の持ち主さんは、試合で動じないことと後進の指導に御執心だったようです。

 

これはうちの父が使ってた『劍術教範』。父は何も言わずいきなり鉄拳をふるう大雑把なタイプですが、打突は大きな声を出しましょうという部分に定規まで使ってチマチマと線を引っ張ってるのが笑えます。
俺は最初、父から習っていましたが、どうしてもお互いに親バカと甘えが出る。少なくとも一時期は別の師につくべきです。

 

これは昭和10年発行の『孫子』に挟まっていたもので、「双葉山 昭和十三年一月」とある。双葉山さん本人が書いたとすれば、ちょうど綱取の頃ですよね。揮毫の下書きのような印象を受けます。

双葉山は明治生まれ最後の横綱で、相撲界初の紫綬褒章。数々の苦難を努力で克服し、連勝につぐ連勝、よく身を慎み名誉を求めず、引退後は理事長にもなって角界の改革に貢献した英雄です。

古本は汚いと言う人もいるけれども、武術関係に限っては、前の持ち主のぬくもりが伝わって来ることが苦にならないばかりか、うれしくさえあり、自分もこの本を持つに恥じぬようがんばろうと、そして、自分もしかるべき後継者を育て、この本を託したいと思うわけです。

 

しかし、初心者用の教本は話が別ですよ!
こちら 

 

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