私物と個人装備

入隊が決まって基地に入ると、教範と作業着と洗面具を支給される。

ここで、いきなり風呂や散髪する場合もある。米軍ではシャワーです。
旧日本軍では故郷を出発する時点ですでに坊主頭になってる。

着てきた服など私物を実家へ送り返す。置き場所もないし、気持ちも切り替えるため。
大きな布袋が支給されてそこへ入れることもある。
旧日本軍だと、私物は風呂敷包み1つだけ、これを荷造りする油紙など梱包材も持参してきている。
しかし、うちの父のときは学校だったせいか、寝台の近くに棚があり、筆記用具とか日記帳とか、自宅から持っていった私物の一部は入営後もずっと持っていたようなことを言ってます。

それから服装の寸法の再確認。
国と時代にもよりますが、官給品は身長2.5センチきざみくらいにサイズ分けになってる。
服が支給されてから採寸というのもヘンな話ですが、着てみないと、体に合っているかどうかがわからないんで。
ブカブカだった場合、これが合うような筋肉ムキムキの体に鍛え上げてやるから覚悟しろフフフというようなことを言われる。これはどこの国の軍隊でも必ず言うしきたりになっているらしいです。

つまり、頭数が多くて足りなかったり、成長期でもあり体格は変わるから、少しくらい寸法に合ってなくても支給されることもある。それはあとで仲間内で交換して調整する。

それから身分証の写真撮影、宣誓と入隊式、所属部隊や認識番号や部屋割りの決定、装備一式や制服(一張羅のヨソ行き)や寝具の貸与、裁縫具などの支給。銃は、まだ支給されない。

自衛隊では、服をもらって名前を縫い付けるというのを、初日にやります。

 

 身分証

身分証は、個人が持つ場合と、中隊本部にまとめておく場合とがある。

米軍などが首に下げてるプレートは、個人で持つわけです。血液型なんかも刻印されてるから、負傷した場合や、もちろん死んだ時の身元確認にも、周囲の人に手間がかからないために身につける。

もうちょっと手帳っぽいものだと、パスポートみたいなものです。氏名、生年月日、住所、本籍、原隊、異動や賞罰や階級などの日付と場所などが記録されている。ここに、生徒手帳的な、心得とかのページがついている場合もある。

また、身分証自体はカードでも、パスポート的なものに挟んで持ち歩くという場合もあるらしく、家族や恋人の写真なども挟むものらしい。

日本の場合、軍隊手牒というのは、布カバーの中に軍人勅諭や歩兵操典が入るようになった、バインダー的なものでした。

一説には、中隊本部の人事の係にとりまとめてあって、軍隊をやめるまで預けっぱなしだったという。これが敵の手に渡ると、後備役をひっぱり出してきてどこへ向けた戦力をどっちの戦場へ使い回したなんてことが、どんどんバレるから。

ところが、うちの父の部隊では、これをずっと持ち歩いていたという。特に日曜日は、持っていないと外出できなかったと言ってます。そもそも典範などは手元にあってすぐ参照できないと勉強にならないはず。

 

 員数

インズウと読みます。軍隊では、ものの数量をこう呼ぶ。必要なだけそろえることを、員数を合わせるといいます。

洗面具などの私物や、貸与されてる装備は、過不足がないか、ときどき検査があります。決められている並べ方どおりに展示して、担当下士官にチェックしてもらう。これはインスペクションといって、今では、どこの軍隊でも演習のたびに必ずやります。

昔は、寒冷地装備のないドイツ軍とか、「首から下は裸」などと言われたスウェーデン軍とか、ホームレスの集団みたいな軍隊がありましたが、そんなことではせっかくの人材を死なせるだけで、国も滅ぶということが、ようやくわかったので。こういうことをちゃんとできないなら、戦争しないほうが安上がり。

装備をなくしてしまった場合、誰かのやつを盗んできて名前を書き換え、帳尻を合わせる。
盗まれた者は、また誰かのやつを盗む。

昔の軍服は、近衛兵とか下士官が使ったおさがりを、下級兵士が着たりしたので、代々の持ち主2〜3人の名前を書き足していくように、名前の欄がいくつもありました。
しかし父の部隊では、わりと新品が行き渡っていたらしい。死装束なんだからいいもの着せてやれ、という考えなんだとか。

旧日本軍の場合、裁縫具などこまかいものは、麻袋という白い小さな巾着に入れていました。将官を迎える時に吹くラッパのメロディに合わせた、「麻袋の中、洗濯バケ、靴バケ…」とリストアップしていく歌になっていました。

 

 員数外

足りなかった場合のために、隊の備品として確保しておく分です。

人数分の物を支給しても、なくす奴がいる。物を大事にしないバカの分まで余分に支給するとキリがなくて補給が成り立たないし、余らせておくと横流しして換金するバカまで出てくるので、ちょうど、または、少し少なめに支給するものらしい。

なくした奴のみならず、その同僚や上官も、ものすごく叱られることになります。そこで、なくした時のために少し隠し持っている。
だから、ますます少ししか支給されなくなる。

その分、どこかで足りないわけだから、他の隊や、備品倉庫から盗んできたり、帳簿をごまかしたりして、予備を用意しておくわけです。

高高度に上がったり、偵察や特攻する場合、軽くするためや、必要がなくて、装置を外して離陸することがあるため、機関銃や無線でさえ、非公式な予備があったと父が言ってます。

 

 擬人化謝罪

旧日本軍では、道具の手入れが悪い者は、大声で道具に謝ったり、その道具を持って謝りながら兵舎を何周も歩いて回らなければならないというのがありました。

特に銃には菊紋が刻印されているので、陛下からお預かりしている物という意識があり、とても大切に扱った。
べつに菊紋なんかなくても、道具を大切にしない奴がいい仕事できるわけがなく、命がけの仕事ならばなおさらです。
銃は、バネをちぢめたままにしておくと負担になるし、暴発の危険があるので、手入れが終わったら、雷管を叩く部品が待機ではない状態に解放してやる。

また、靴にぬれた泥がついたままとか、ソールに小石がはさまったままなんていうのも、革がいたむ。

と、わかっていても、つい忘れてしまい、上官に見つかって、まず殴られる。
そして、「あなた様をお休め申し上げず、自分一人だけ休んでしまい、大変申し訳ございませんでした」とかなんとか、道具に対して謝らなきゃいけないわけです(笑)

だけど、こういうことやっていると、薬莢1個でも国民の血税だという意識が養われ、危険防止の意味でもとても都合がいいんだとか。

また、靴を首にかけて各部屋を回って、「自分は軍靴様の手入れが悪くて中隊を回っております。どうか気合を入れてください」と言って、各部屋で殴ってもらう、というのもあったらしいです。

うちの父は、この手の話を聞くと大笑いする。
そういうネチネチしたのは歩兵の世界の話だ、俺のいた所ではそんなのなかった、徴兵で新兵ならともかく、航空部隊でそんなことやれば士気も落ちるし飛行機も落ちる、とのことです。

 

 酒保

基地や軍艦の中にある売店です。嗜好品と日曜雑貨を売っている。米軍や自衛隊ではPXと呼んでます。

自衛隊の場合、自社ブランドというか、基地でしか買えない激安品が多数あって、隊員の家族なら買える。

戦争で国が極貧状態になっても、軍人には優先的に物資が回されます。だから、羊羹とか煙草とか、実家に郵送することも多い。

ここで買った菓子などを、宿舎のほうへ持っていって、食べたい時に食べるということは、禁止されていたりする。

飲み屋のようなスペースになっている場合、古参兵のたまり場だから新兵は出入りしにくいし、1年目くらいの兵がおしるこなんか食うのは生意気だという空気があって、食えば食えるが遠慮するものなのだという。復習や懲罰で休憩時間もよくつぶれるから、買いに行ったとしても売り切れだったりする。
だから、戦友が買っておいてくれる。ある程度の階級になれば、取り置きしてくれる。

コンドームも売っている。旧日本軍では「ハート美人」という銘柄だったという。

しかし戦争末期には、酒保なんてものは廃止されてしまった、もはやそれどころじゃないわ、と父が言ってます。

 

つづき 

 

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