あなたは、軽いほうの教え方でいいのか?

「先生、この技は、どうやるんですか?」
いろいろなやり方があるかもしれないが、この先生は、長年いろいろ研究なさって、これがベストだと思うやり方をお持ちで、それが、この団体の教育方針にも、この子の特性にも合っていると判断したので、それを伝授しようと決めた。
「こうしなさい」

で、数日後にはもう忘れてしまう。
それほど熱心に質問したわけじゃないから印象に残っていない。
おぼえようという意欲が薄く、その場しのぎで、その時さえクリアできればよかっただけなので、その日のうちにメモをとるというようなこともない。

今度は、別の先生に聞いて、別のやり方を教わって、そのやり方でおぼえて、以後そうする。

その子は、「ある先生のやり方を劣っていると判定して、別の先生のやり方を採用した」という格好になってしまう、そんなつもりはなくても。
それは自由、本気で否定したってかまわないし、否定しなければならない時もあるが、それをやるならば、それ相応に、なにか理由があるとか、それを相手にも伝えるとか、嫌われたり波風を立てたりする覚悟を負わなければならない。

先生は、このように方針が統一されない状態では、教えても無意味だと判断し、腹も立つので(笑)、もう二度と、その子に聞かれても詳しくは教えてくれなくなるかもしれない。

毎年、毎年、毎年、浴衣の帯のしめ方を人に聞いてる奴とか(笑)
それは、その人にとって和服が身近なものではなく、日常の暮らしに根ざしていなくて、花火大会の時だけの特別なものなんですよね。
それはその人のライフスタイルだから、それでもいい。

そのかわり、そういう人には、難しい理屈は教えず、上達のための厳しい修行も求めず、ただ、楽しさを知ってもらうための、興味を持ってもらうための、通りいっぺんの表面的な教え方にならざるをえない。
一日体験セミナー、趣味の講座。
その程度でいいなら、それでいいけれども。

しかし、先生によっては、そうは思わない。

柔道を長く続けていくつもりはない、せいぜい初段でやめる、そのあとは受験に専念したいなどと、この子は今、思っている。
そうとわかっていても、教えるほうとしては、この道場の門をくぐってくる子は、すべて、いずれは指導員になるものと思って扱う。
やってるうちに楽しさがわかって、考えが変わって、一生続けてくれるかもしれないから。

空手は、傲慢で乱暴なままでいたほうが、試合には勝ちやすいかもしれない。
実績を出せば、道場も流行るし儲かる。
しかし、その強さは空手で強いのではなく野獣の強さにすぎない。
長い人生の中で役に立つこと、忍耐とか礼節とか謙虚とかを、長期的な計画で教えたい。
これを教えたら、この子は試合に勝てなくなり、いったんスランプになる。
それを乗り越えたら達人になるが、そのままつぶれて、それっきりやめてしまうかもしれない。
そうとわかっていても教える。
暴力的な人間を減らし、落ち着いた人間を社会に送り出したい。
少なくとも、この道場では、そういう方針でやっている。

 

剣道教室で、毎日1時間半も切り返しばっかりやらされて面白くないから、みんなすぐにやめてしまう。
残った子は、ものすごい達人になる。
というか、ある程度の段階までやらないと、やったうちに入らないから、ちょっとかじるだけであればサッカーでも吹奏楽でも、ほかのことをやったほうが今の時代には合っているし、そっちでも同じものは得られる、…という考えの先生が指導している。

となりの道場では、すぐに防具をつけさせてくれて、試合ばかりやっていて楽しい。
ところが、中級クラスまでしか伸びない。
こっちの先生は、これでいいと思っている。
努力はさせるものではなく、努力したい者だけすればいい、楽しければ必ず自分で努力を始める、上達の手段も自分で探させ自分で選ばせたい、途中でやめてしまって専門家にならなくてもいい、国民に広く経験させたい、すぐにやめてしまうよりはよっぽどいい、剣道に何を求めるかも本人に選ばせたい、底辺さえ広げればその中から達人は必ず出る、と思っている。

この違いが、5年後10年後だったらわかるが、教わっている子たちは、どんな方針で教えられているのか、まったく理解できない。

こうした問題は、とても根本的な部分なので、いろいろなことが、これに関係してくるんです。

ジョギングするのに、どんな靴がいいか、「重い靴がいい」「わざとすべりやすい靴で平衡を鍛えろ」「靴なんか何でもいいから、つま先立ちでやれ」「アスファルトを走ると故障する。できればハダシで砂浜を走れ」「下駄でやれ、足指を鍛えろ」「下駄は一本歯でなければ体術の練習にならない」「そもそもジョギングなんかするな、形をやっていれば必要な体力は全部つくように教程が組み立ててある」「医学的にはウォーキングのほうがいい」「子どもが公道を一人で走るな、車にひかれたらどうするんだ、目立つように道着姿でみんなで走って宣伝して新入部員を増やせ」とか、いろいろあるでしょう。

主体となる方針がないまま、枝葉の部分をあれこれ言っても、しょうがないことです。
ましてや、軽い教え方となると、そのうちのどれをおすすめするかは、ものすごく微妙。
これを厳密にやっていたら、誰にも、何も、教えられないし教われないくらい。

そもそも、教えるなんていうおこがましいことは無理。
ヒントを示すとか、伸びやすいように導くとか、御紹介するということはあるかもしれないが。
俺が正式に師事した先生方は、俺が選んだくらいだから、そりゃあもう最高にすばらしい人たちですが、どの人もみんな、「上達したのは君の自力、上達しなかったのは全部師のせい」というようなことをおっしゃるんで、俺みたいなぺーぺーはもう立つ瀬がない。

 

 →つづき 

 

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