自由を失う いろいろな考え、いろいろな方法論や価値観を、比較して、見聞を広めるのもいいのではないか? そうなんです、それをやるからこそ、人に聞いてはならない。 不特定多数に聞いて、いろんな方針がごちゃまぜになると、あなたはたぶん、破壊されてしまう。 ってことは方針をひとつにしぼる、つまり、特定の指導者について、標準を持ち、それ以外は、まあ適当に聞き流すということになる。 なおさら、人に聞きにくくなる。 人様に聞くと、その答えに拘束される義務がくっついてくることがある。 「少し構えを高くしなさい」とか、ちょっと言われたことでも、従わなければならなくなる。 「君の場合は、今後、絶対に、構えを高くしなさい!」とおっしゃるからには、その先生は責任を負ってくださっている。 教わる側としては、方針を変えるなら、話を通さねばならない。 ずっと受け持ってくださる先生と、たまーに来て口を出す先生(そんなのに限って、とてつもなく偉い先生)がいるわけです。
軽く聞くという感覚 「赤ちゃんの名前を考えてほしい」と仲人夫妻に頼むからには、「あなたの案を採用しますから、名付け親になってください」という意味になる。 軽く頼んでいるから、頼み方も「お願いしてもよろしいでしょうか」ではなく、「そこんとこヨロシク」という感じ。
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「いやあ、そこまで深くは考えてないのよ〜、ちょっと参考までに、アイデアをちょうだい、候補を出して、という程度に、軽〜くお願いしたんだから」 「いいアイデアだったら採用してあげてもよくってよ、私が気に入るような答えをドシドシお寄せください♪」 要するに、自分のことしか考えていないわけだ。 よく懸賞なんかで、応募は1人1通までなのに、「たくさんの御応募お待ちしています」とか、…応募がたくさん来て喜びたいのはアンタの都合、御客様はどうがんばったって1通しか出せないのだ。 軽〜く聞くような奴には、軽〜〜〜〜くしか教えてもらえない。 この、お手軽さ、軽薄な態度、不真面目な取り組み姿勢が、すべてにおいて、危険や災いを呼び寄せる。 気がねなく、何でも聞ける仲っていうのも、いいことですよ。 ネット上で、お互いに匿名で、つきあいのない知らない人からちょっと聞くだけだから、まあいいだろう、という、それ、それがまた軽いんです。
薄っぺらい お手軽で、ちょっと気軽に、というものが、ラクチンで便利で良いものだと錯覚する、その現代的な感覚が、そもそも文明として軽薄。 生物として弱くなる。 ソフトノベルとか、ライトノベルとか(笑)
→つづき
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