自由を失う

いろいろな考え、いろいろな方法論や価値観を、比較して、見聞を広めるのもいいのではないか?

そうなんです、それをやるからこそ、人に聞いてはならない。
それは、人がやってるのを見て学び取るもので、人をつかまえて質問しちゃあダメだ。

不特定多数に聞いて、いろんな方針がごちゃまぜになると、あなたはたぶん、破壊されてしまう。

ってことは方針をひとつにしぼる、つまり、特定の指導者について、標準を持ち、それ以外は、まあ適当に聞き流すということになる。

なおさら、人に聞きにくくなる。
師がおっしゃることと全然ちがうことを言われた場合、迷いが生じて、師を疑い出す。

人様に聞くと、その答えに拘束される義務がくっついてくることがある。
「これだけは絶対にこうしなさい」と言われないものは、なるべく、こっちの好き勝手にできる部分を残しておいたほうがラクなんです。

「少し構えを高くしなさい」とか、ちょっと言われたことでも、従わなければならなくなる。
指導者もそこは気を使っているので、「構えを高くするのもひとつの方法です」「私はそういう時は構えを高くしてみたらうまくいきました」というような言い方で、使い分けている。

「君の場合は、今後、絶対に、構えを高くしなさい!」とおっしゃるからには、その先生は責任を負ってくださっている。
そこまで深く考えず、いばってるだけの、テキトーに命令する先生もいるが、そういう先生は、その程度の先生として扱われることになる。

教わる側としては、方針を変えるなら、話を通さねばならない。
「先日は貴重な御忠告を賜りましたが、今、○○先生から、あの技を課題にしろとのお話がありまして、しばらく構えを低くしてみたいのですが、おかしいでしょうか」
「そうか、じゃあ○○君の言うことに従いなさい」
面倒くせえ(笑)

ずっと受け持ってくださる先生と、たまーに来て口を出す先生(そんなのに限って、とてつもなく偉い先生)がいるわけです。
それだけに、先生方も、よほどのことでない限り、人様のお弟子さんには口出ししない。
見ておぼえろ、見て盗め、ということになる。

 

 軽く聞くという感覚

「赤ちゃんの名前を考えてほしい」と仲人夫妻に頼むからには、「あなたの案を採用しますから、名付け親になってください」という意味になる。
それで採用しなかったら、「人様の時間をムダに消費したばかりか、恥をかかせた」という格好になる。

軽く頼んでいるから、頼み方も「お願いしてもよろしいでしょうか」ではなく、「そこんとこヨロシク」という感じ。
それで先方がまじめに対応してくださっているのに、「やっぱいいや、いらない」とくる(笑)

 

「いやあ、そこまで深くは考えてないのよ〜、ちょっと参考までに、アイデアをちょうだい、候補を出して、という程度に、軽〜くお願いしたんだから」
…ということであれば、それは、そういう人たちだけでつきあっていくしかない。

「いいアイデアだったら採用してあげてもよくってよ、私が気に入るような答えをドシドシお寄せください♪」
てめえの無能力を棚に上げ、人様をアゴで使い、気に入ったものが得られないと機嫌が悪くなる。

要するに、自分のことしか考えていないわけだ。
こういうことは、言動の端々に、心の醜さが露出する。

よく懸賞なんかで、応募は1人1通までなのに、「たくさんの御応募お待ちしています」とか、…応募がたくさん来て喜びたいのはアンタの都合、御客様はどうがんばったって1通しか出せないのだ。
「今これを御覧の、あなた! あなたからの御応募をお待ちしています」とか、なんかほかの言い方があったのではないのか? この違いは、人柄から出てくるのだ。

軽〜く聞くような奴には、軽〜〜〜〜くしか教えてもらえない。

この、お手軽さ、軽薄な態度、不真面目な取り組み姿勢が、すべてにおいて、危険や災いを呼び寄せる。
ましてや、武術とか呪術とか軍事とかでは、とても話にならない。

気がねなく、何でも聞ける仲っていうのも、いいことですよ。
しかし世の中には、そういうことでは得られない情報や、そういう扱い方をすると危険な情報も、あるということです。

ネット上で、お互いに匿名で、つきあいのない知らない人からちょっと聞くだけだから、まあいいだろう、という、それ、それがまた軽いんです。

 

 薄っぺらい

お手軽で、ちょっと気軽に、というものが、ラクチンで便利で良いものだと錯覚する、その現代的な感覚が、そもそも文明として軽薄

生物として弱くなる。
自動的に衝突を防止してくれる機能を電車や自動車につけたら便利かって、それは念のための補助ならいいが、自動装置があるから安心だ、と思って人間が危険に注意しなくなってしまったら、その機械が作動しなかった時どうすんの?…って言うと、「二重につけて、故障しても予備が働く!」って、アホの2段重ねになっていたり。

ソフトノベルとか、ライトノベルとか(笑)
ノベルがソフトでライトでどうすんだよ? じゃあ書くなよ。
また、そんなのを書いてる奴に限って、小説という事にことさら高尚で高級なイメージを持って、特別に偉いことをやっているとうぬぼれていたりするのだが。
平易で読みやすくして間口は広げても、底なしに深い話を書いてやろうという気はないのか?
昔の芥川賞作品なんか、まず大衆娯楽として面白く、しかも文学的にも精神的にもめちゃくちゃ深いじゃないか。

 

 →つづき 

 

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