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パンダも来たが、地震も来た

 

 その時、ぱんだ城は何をやっていたのか

3月4日の夜、2Gのチャットで、部屋の地震対策の話をしたばかりだった。
「今思えば、あの時のアレが」というシンクロニシティだの虫の知らせだの、後になってから言ってもしょうがないことで、どうとでもこじつけられる。

Mは、2008年から毎年、夏休みに必ず夫婦そろって仙台に出かけて、地震鎮めの加持祈祷をやっていた。
東北に5年以内に大きいのが来ると断言していたのである。
しかし俺は、あまりにもアバウトな占いだと思っていた。
三陸沖は地震の多発地帯だから、5年間もあれば、そりゃ1回くらいは大きめのもあるだろう。
未来予知というのは、ハズレた時に言い訳できるような、幅のあることしか言わないのだ。

麻美さんは神職の人たちの集まりで鳥占いの勉強会をやっていて、今年はウグイスが奇妙な動きをしている、春までに北のほうで大量の死者が発生することだけは間違いないが、それが何なのかは鳥占いではわからない、と、去年の暮れから言っていた。
地震は読めなかった、飛行機か列車の事故のような気がしていた、とのこと。

3月11日、東日本大震災。

こういうホームページをやっている者としては、上野動物園の被災状況を見てきてネット上に報告するのが、近隣住民の役割または親切というものではないか、たいした手間じゃなし、…と、人から言われて初めて、それはそうかもなと思った。

動物たちが被害を受けていないかどうか、御自分のことのように心配し、気になって気になってしょうがないという人も、たしかにいらっしゃる。
うちの掲示板の常連さんの中にもいらした。

申し訳ないけれども、俺はそこまで動物に思い入れはないんで。
地震の直後は、火災や火事場泥棒に備えなければならないから、自宅を離れるわけにもいかないし、野次馬が街をうろちょろするのは、警察と消防の邪魔。

それに今回のパンダは販促用の有料レンタル、つまり貸すほうも借りるほうも商業目的であり、俺は都民だから対価を払っているので恩も義理もない。

東日本ではパンダといえば上野だから、東北の方々の中にも、今回のパンダ来日を楽しみになさっていた方がいらっしゃるはず。
「被災して、御不自由な避難生活を送りながら、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、ねーねー、パンダさんは無事なの?と何度も聞いてくる子どもさんの、澄んだ瞳がうるんでいる、返答に詰まる父兄もまた被災者、あーあ、これはキツい、心の綺麗な人ほど傷が大きい、あー」、などと、早紀様が調子に乗って、さかんに俺をあおる。

はいはい、わかりました。
パンダはともかく、上野駅周辺の状況をネット上に出しておけば、通勤や出張や乗り換えの人の参考になるかもしれないとは俺も思った。

2011年3月12日午前10時ごろ、上野公園の様子を見てきた。

長田区には親戚が、長岡には恩師が、湯沢には同級生がいるから、地震の悲惨さは、俺も少しは知っている。
この国難の非常時に、畜生の御機嫌伺いかよ!バカバカしい!という気持ちがどうしてもあるので、自分なりの言い訳として、今朝はロードワークをしないでおいて、ジョギングがてら行ってきた。

 

 さっそく、粗大ゴミが。

 空はよく晴れていて、風もないが、少し肌寒い。
 ずっとヘリコプターの音がする。

 

 正面玄関口のタクシー乗り場。っていうか、タクシー全然来ない。
 一般道はガラガラ。
 救急車のサイレンがたびたび聞こえる。
 首都高は、まったく動いていない。渋滞ならぬ停滞。

 広小路口のほうは、恐ろしい人数。
 通行の邪魔になるといけないので、近付かないでおく。

 徒歩で秋葉原や浅草へ向かう人の流れがある。
 おそらく、そこからまた別の列車に乗るのだろうと思う。

 公衆電話の行列は3人待ちくらい。ATMは行列になっていない。

 

 都バス乗り場。
 すぐ横に大量の自転車があるのが、いまいましい。

 

 パンダ橋。
 この場所に、こんなにたくさん人がいるのを、今まで見た事がない。

 このへんから俺はもう、カメラを向けるのが申し訳なくなってきた。
 見せ物ではない。
 人々が難儀なさっているのである! こんなに多くの人が!!
 逆の立場だったら、俺だって、そんなところ撮影されたくないもの。

 

 公園口。
 サクサク歩いている人と、なにもせずに呆然と立っているだけの人がいらっしゃる。

 

 JRも東京メトロも、昼頃にはぼちぼち運転再開した。

 駅員さんが、拡声器で、謝罪と説明を何度も繰り返してらっしゃる。
 この姿を見たら、やっぱり俺は、このコンテンツを作ろうと思い直した。

 

 この人たち、ゆうべは公園内に野宿だったのでは・・・
 (上野のホテルは、どこも満室の張紙が出ていた)。

 お年寄りが多い。
 何か協力できることがありますでしょうかと、声をかけようかと思ったが・・・
 そのとなりにも、そのとなりにも、そのとなりにも同じような人が・・・。

 ここで俺はもう一度、こんなものネットに上げるのはよそうと思い始める。
 地震だから誰のせいでもないのだが、気持ちがヘコむ。

 津波に飲まれた方々の悲惨さと御無念に比べたら、電車が止まったって誰も死にはしない。
 しかし、この程度のことでも、何千人も見て歩くと、俺には重い。

 

 公園内の露店。ものすごい行列。

 人の不幸で金儲けしようというのではない。
 この人たちもまた、身の危険を承知の上で、余震の中で販売なさっている。

 この時、吉牛は臨時休業、マクドは営業していたが。
 コンビニは、弁当おにぎりサンドイッチ類が完全に売り切れ。

  

 この焼そば屋さんは、このあと帰りがけに見たら、もう売り切れていた。
 売り切れたのに、「まだある?」と声をかけてくる客が多い。
 テキヤさんは悲痛な表情で、「すみません! 終わりました御客様」
 立ち去る客の後ろ姿に、頭を下げて声をかけてらっしゃった。
 「御客様すみませんね、申し訳ありません本当に」
 御客様という言葉を使うテキヤさんを初めて見た。

 

 公園内には、中国人の大道芸が出ていた。
 雑技団のような人たちによる中国独楽。
 難しい技をやる時でも、笑顔を絶やさない。
 疲労と退屈の帰宅困難者たちが、喝采を送っていた。
 それは撮影しなかった。
 俺はもう、このコンテンツはボツにしようと思い始めていた。
 災害を見せ物にするみたいで、不謹慎なのではないかと。

 

 →動物園へ 

 

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