73年

近所で同年代の子というと、ほかにもいたことはいたが、全部が全部、女の子だった。

東どなりの家は、無愛想な姉妹、丹羽すずめ、むく子。
どう見ても男にしか見えない顔をしていて、ビューティペアとかクラッシュギャルズみたいな雰囲気だった
(たとえが古くて全然わからんという方は、親御さんに聞いてください。以下同)。
うちの妹が毎日一緒に遊ぶので、このあと4年間くらいは、なんだかんだ俺も一緒にいることが多くて、むこうの家にもよくお邪魔した。
お互いに全裸でビニールプールに入ったこともあったらしいのだが、何ひとつおぼえとらん。
この姉妹は早くから武術をいろいろやっていた。
俺もいろいろやったが、よく考えてみると、こいつらの道場にだけは、一度も行ったことがない。無意識に避けてたのかも。

そのとなりの家も姉妹、白鳥スワ子、ぴよ子。
こっちはフェミニンな美人で、石田ゆり子さんひかりさんみたいな雰囲気、気の毒なくらい厳しくしつけられていて、頭が良くてお嬢様。
ここの姉のほうはほとんど話したこともないが、妹のほうは親しかった。
石田ひかりさんというより、高木美保さんに近い、悲しみを平気なフリしすぎて無理に爆笑してるような感じで、つねに誰かが精神的に支えていないと倒れてしまいそうな、ほうっておけない奴だった。
この人とは、上京するまでずっと交流があった。

ぴよ子ちゃんはいつも、お友達の賀茂ガー子と一緒だったので、ぴよ子ちゃんと遊ぶ時はガー子ちゃんもくっついてきた。
ガー子ちゃんは少し離れた所に住んでいて、3つくらい年下だったのだが、年齢のわりに小柄な人で、矢口真里さん似。

ぴよ子ちゃんとガー子ちゃんは、ものすごくラクというか…。
冗談で悪口を言うと、ひっどーい、まったくもうっ、とか言って、俺の肩をバシバシ叩いて笑い転げるので、一緒にいるのが楽しかった。

どうも俺は、このノリがない人とは、やっていけない体質にされてしまったらしい。

たとえば、身の上に起きた大事件を打ち明ける時に、とても恥ずかしがって言い出しにくそうだったら、俺は緊張をほぐしてやろうと思って、「どうしたの? まゆ毛を剃るの失敗した?」というようなことを言い、ここで「もともと、こういうまゆ毛なんですっ!(笑)」バシッ、と来てもらいたいのだが、これが、まゆ毛も心も繊細な猫美ちゃんみたいな人の場合、せっかく信頼して勇気をふりしぼって重大なことを相談しようとしたのに出だしを茶化されたと思って、「もういい! 話すのやめた!」てなことになってしまうのである。
寅吉なんかは、はれものにさわるように一言一句に気を使って女性に応対するが、ああいうやり方のほうがたぶんモテるのだと思う。

俺の口の悪さは自分のせいだが、この2人が、さらに悪くしたと思っている。
このホームページを見てくださっているみなさんにも、きっと不愉快な思いをさせているのだろうなあと、いつも思う。
思うなら改めろよという感じだが。

ぴよ子ちゃんとガー子ちゃんは、「将来、お嫁さんになって、こんなことをしてみたい」というのがたくさんあったようで、その準備段階として、男子なら誰でもいいから、まだ見ぬ将来の旦那さんに見立てて、代役にしてたのが、たまたま近くにいた俺だったらしい。
「こういうのって男子から見るとどうなの?」という質問が多くて、できるだけ正確に答えてやって喜ばれた。
仮想による理想世界、これも彼女たちにとっては、一種の秘密基地だったのだと思う。

俺はダーリンとかあなたとか呼ばれて、この2人に両側から腕を組まれて登下校していたのだから、我ながら生意気なガキではあったのだが、しかしホントになんにもなくて、ハタから見れば幸せそうでも、お互いに最初から恋愛対象から外されていた。
そのかわり、自分の恋人に言えないことでも何でも相談できる仲で、なんか俺はこういう「異性の親友」みたいなのが今でも多い。
これのせいで結婚できないのだろうなあとも思っている。

お姉さん3人組、御近所、母、祖母、妹…。
夕方に父が帰宅するまでは、男は俺だけ。
世界中のどこにも居場所がなかった。

 

砂遊び(実質的には、ままごと)、あやとり、お手玉、お人形、折紙、ぬり絵、ジグソーパズル、ハンカチでバナナを作るだの、おちゃらかホイだの、ずいずいずっころばしだの、軟弱な遊びばかりやっていた。
あやとりなんて、まるでのび太だが、ほかに遊び相手がいないからしょうがない。

参加しなければしないでいられたのだが、みんなが大声で楽しそうにしてるのに、俺一人では、やることもなかったので。
ゴム飛びだけは一度もやらなかったというのが、小さなこだわり。あれは往来の巷にパンツをさらす最低な遊びだと思っている。

地球のどこかでは、世界征服をたくらむ悪の組織が暗躍していて、すでに気の利いた少年たちが隊を結成して戦っているかもしれないというのに、なーんで俺だけ、こんな山奥であやとりなのかと。

結果的に俺は、ピアノを習い、占いを習い、デザインを習い、30すぎて髪を腰まで伸ばすような奴になるのだが、「古風で硬派な頑固オヤジ」という自我を積極的に構築しなければならないということを、無意識に自覚していたのだと思う。
さもないと、この生い立ちでは、オネエ言葉のオカマキャラになりかねない。それはそれで面白い人生だったかもしれないが。

俺が、男子の本懐とか、男のくせにとか、やたらと男ということに拘泥するのは、決して男尊女卑ではないのである。
のちに一緒に美術を学んだ連中のうち、服飾デザインに進んだ奴らは、ほとんど全員、オカマになった。油断もスキもない。

俺が女の価値観に染まりきらずにすんだのは、家族が古臭かったせいだと思う。

父は熊田白雲斎、母は熊田闇御前(本当はどちらも武術や書道のちゃんとした号を持っているが、このくらいで勘弁)。
星一徹と田嶋陽子教授のような組み合わせ。警官と教諭。

じつは同級生にも、遅く出来た子、親が明治生まれなんていうのがまだまだいたのだけれども、うちの父は職業軍人だったから…。
なにしろ、俺が生まれて初めて買ってもらった本は、記紀のダイジェストだった。
祝祭日には庭に国旗が掲揚されるし、神棚はもちろん靖国様。
パンダ皇室というのは、このあたりから来ているのは間違いない。

男は、自分の彼女に対して母を求めたり妹を求めたりする。
母親がインテリで老けていると、男の子は母親の女体に満足しないまま成人するということだから、年上好みのおっぱい星人になりやすいのだが、俺の場合はたぶん、お姉さん3人組が母の代役になってくれたことで、だいぶ補正されたのだろうと思う。
お姉さん3人組は、だっこやおんぶや膝枕など、スキンシップをしてくれてたので。
しかし、これはこれで、何か別の問題をかかえて成長してしまったような気もする。

自分の生きざまで生きている「つもり」になっているだけで、実際は、いろんなことに流されていて、案外、自分が選択した判断ではなかったりするのだ。
よほどしっかりした信念を持っていないと、はじき飛ばされた反動であちこちに跳ね返ったり、傷口を押さえているような作業ばかりで、ちっとも前に進んでいないことがよくある。
このコンテンツもそうなのかも。

ほかに、祖母の獣神サンダーライ子が同居していた。
これは母の母だが、ずっと母と同居していて、母が結婚した時も母にくっついてきた。
明治生まれでめちゃくちゃ硬派、ヘビースモーカー、生涯和服しか着なかった。
父も祖母にはつねに敬語を使い、上座を譲り、まったく頭が上がらなかった。
女といえども、偉いものは偉いし、強いものは強いのだ。

祖母は、事と次第にかかわらず、つねに俺の味方をしてくれた。
この人がいなかったら、こんな窮屈な家庭は、とても子どもが満足に育つ環境ではなかったと思う。
逆に言うと、この人がいたのにグレたのだから、俺の出来が悪いのは自分のせいということになる。

 →つづく 

 

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