前郭大噴水庭園 Front Court

共産中華60周年 チベット弾圧50周年
上野王朝滅亡1周年

「ぱんだ城」築城19周年記念企画

ぱんだ城 築城秘史

「パンダの城の作り方」

ネット上では築城11周年、
去年やろうと思ってた企画だから中途半端。
秘密基地自体は35周年。

 

 


古今東西の武芸者・武将・軍人・英雄・豪傑・志士・革命家・思想家などの石像銅像を、これでもかと並べた公園です。これ全部ゴーレムとアンドロイド、有事には動き出して三之丸を守ります。

 

 

 いったん始めたホームページは、
 ずっと存在していてほしい

なにが気に入らないって、「当然そこにあるはずのものがない」ということほど頭に来ることはないもので、こっちの生活リズムとか人生設計まで狂う。

行きつけの店は、しばらく行かなくても、つぶれないで営業しててほしいし。
愛用してるものは故障せず使っていたいし、故障したとしても、これは古い型だから生産終了ですとか部品がもうないから修理不能ですとか言わないでもらいたい。
パンダがいるはずの動物園にレッサー…(略)。

永遠に絶対なものはないからこそ、できるだけ、維持の努力はしたいもので。
およそ男が一度かかげた看板を、ひっこめるなんてことは悔しい。

また、そのくらいの覚悟でなければ、不特定多数の方々にお目にかけることができない。
いくら匿名だからって、便所のラクガキみたいなのはちょっと。
うちがブログに移行しない理由のひとつは、ブログはその場かぎりの書き流しっぽくて、永遠性が感じられないからです。
俺は一覧表みたいなものが作りたくてホームページやってるんで。

国会図書館かどこかでは、検索エンジンのキャッシュみたいに、定期的にホームページやブログを永久保存してるそうです。
だったら、なおさら、引っ込められない!
間違いの修正や、考えが変わった所の改訂を、つねに続けていきたい。

 

 10周年にやったことは、
 アドレス変更

そんなわけで昨年、このホームページも御陰様で丸10年が経過したわけですが…。
10年たてば、ネット環境の老朽化も限界になり、あらゆるものを新調しました。

たかがホームページの引越に、5か月かかりました。

回線もプロバイダも変わったので、今までお借りしてたホームページアドレスが使えなくなったこと。
作りかけや、作ってしまったものがムダにならないよう、また、仕事用システムとのかねあいもあって、古いシステムと共存しなければならなかったこと、その両者に互換性がなかったこと。
古いシステムに、物理的作業を含む延命措置を要したこと。
ついでに、無秩序だったところを体系化して、全ページを改訂したこと。

ここまでは、普通にホームページの作業です。
ここから先の部分が、秘密基地であるがゆえの問題。

 

 城ごっこではなくて、城

「この作業は、何日前から飲酒と肉食と性行為をせずに、こういう道具と材料をどういうふうにお清めして、こういう服を着て、月の満ち欠けがどうなっている日の何時頃に、こういう資格を持った聖職者の立ち会いのもとで、これこれこういう手順でやらなければならない」

「それは後から意味付けした単なる迷信だとわかりきっている、
しかし、それが武士にとって最も公式なやり方だと決まっている、
あるいは、
それが正しいという前提で組み立てられた伝統の世界に、すでに自分は参入してしまっている」

「効率で言えば、こっちを先にやったほうが早いが、この作業の前にあの作業が終わっていなければ、軍事的におかしい」

…というようなことが、たくさんありました。

こういうことをキッチリやらないと、「城」を名乗れない。

そういうものなんです、そういうことになっている。
鍛冶屋さんは、仕事場に神棚を設置して、身を清め、装束を着て、日本刀をお作りになる。
それは、鍛冶の神様なんて実在しませんよ、パジャマのまんまでガムをかみながらやったって品物は作れますよ、作れますけど、そんな作り方をしたものは日本刀と呼ぶのは申し訳ないというか、誇りが許さないわけです、そんなに安っぽくないんで、ニセモノじゃ困るんで。
心の一番根本的なところから、しっかりやらないと、いいものは作れない。

それで、たとえば紙で武者人形を作るとして、人形に持たせる刀のパーツを作るとしますよね。
そしたら俺は、厚紙を切り抜いて作った刀も、本物の刀を作るのと同じ作法で作りたいんです!

レプリカのニセモノだからこそ、なおさら、本物以上に敬虔な気持ちで作ることによって、足りない分を補いたい。
また、そうやって作ったならば、厚紙の刀でも、悪を討ち滅ぼし、魔を遠ざける力になりうるとさえ思う。
やりきった、という自信が、人間側の意識を変えるからです。
そういう悪ノリして本格派にこだわること自体が、やってて楽しいんです、ここまでやるか普通〜(笑)というのが。

本来、なにが目的なのか、ということです。
日本男子の成長を祝う? だったら、骨董屋で買ってきた高価な兜よりも、親戚のオバチャンがおめでとうと言って作ってくれたヘタクソな折紙の兜のほうが、元服式や端午にふさわしいではないか。
俺は、この城が、城として機能してくれないと困るんです、外ッツラのデザインだけ城に見立ててるわけじゃないんです。

ここまでは、やろうと思えば、やれることです。やればいいだけだから。やればすむ。
ところが、パンダだけに、別の問題もあったわけで。

 

 絶対に、落城できない!

一度すべてを滅ぼして、一から新しく作り直せば、どんなにラクだったか。
しかし、一瞬でも消滅したら、それは「移転」ではなく「落城して新築」になってしまう。

昨年は、日本所有のパンダが死に絶え、臥龍は大地震で壊滅しました。

パンダが順調な時なら、シャレで落城してみせたっていいんですが、いくらなんでも、こんな時に、俺の所まで滅びるわけにいかなかったのです。
「最後の砦」とか名乗ってるのは、口先だけじゃないんで。

今あるものを存在させながら機能させながら、新しいものを準備してそれはまだ使わず、一瞬のうちに入れ替えて、廃止と新生を同時にやらなければならない。

それは、ファイルの作業だけだったら、やればいいだけのことです。
古いサーバのを消すのと、新しいサーバに上げるのを、同時にボタンを押せばいい。
ざっと2万ファイル、ひとつ10秒くらいとして、55時間、毎日2時間やってりゃ1か月で終わる。
ところが…。

 

 神仏にも、お引っ越し願う

東洋の城を作る時は、その土地の神様、五穀豊穣の神様、国家を守る神様、王家を守る神様、王家の出身地の神様、王家の御先祖様、歴代の王様、城主が信仰している神様、武の神様、その城を守る神様、その国家に殉じた方々などを、城内か城下町にお祭りします。

こういうことは、中国の古典とか、古代兵法に、昔から決まっているルールがあるんです。
土地神を祭った建物は、玉座より西側にしなきゃいけないとか、いろーんなことが。

やってあるんです、うちも。
城を名乗るからには。

知らなくてやってない箇所も多々あるとは思いますが、知っててやってないということは、ないか、あったとすれば何かほかの理由でわざとやってないんで、全体としてはツジツマを合わせてあるか、とにかく積極的にそういうことをやろうとはしている。

これが、少なくとも2系統、神道と仏教があるわけです。
ほかに、どうかすると儒教なども関係するし、じつは神道には道教がかなりごっちゃになっている。

うちの場合は騎士道も扱うので、さらにもう1系統です。
城内にはキリスト教の礼拝堂を設置してる。

ところが、俺の騎士道はカトリック、音楽はプロテスタントのほうをやっていて、非常にややこしい調整が必要で、なんでそういうことが通用するかというと、そもそも俺はクリスチャンではないので、「キリスト教徒ではない者が騎士やオルガン奏者をやっていくための、さまざまな微調整」というのを加えてある。

しかも、騎士道っていうのは西洋魔術とのかねあいもありますから、キリスト教以前のヨーロッパの土着宗教や、ユダヤ教の錬金術や、なんと十字軍を通じてイスラーム文化まで混ざってる。

これらは、10年かけて少しずつ設置したので、最初から秩序だてて設計したものではないから、いろんなものが複雑にからみあっており、なおかつ、それでも問題がないよう調整してあった。

これを、爆弾処理みたいに、順番を考えながら少しずつほどいて、また組み上げるということをやらなければならなかったわけです。

さらに、まだある。

 

 ぱんだ城が、2つ同時に
 存在してはならない

パクリ対策のために構築した、呪術的戦略攻撃システムがある。
特に強烈なものばかりを選び抜いて、大量に設置してある。

「ぱんだ城」をマネした「偽ぱんだ城」には、自動的に呪いがかかる。

しかも、絶対に誰にも解除できないように工夫して設置したために、設置した本人たちにも解除できない。
この呪術が発動したままで、移転作業をしなければならなかったわけです。

そのこと自体も大変ですが、それは「落城してはならない」ということと両立しにくいことばかりでした。

 

 そもそも、時代おくれ

上野がああなった以上、このホームページはもう役割を終えた。
そもそもHTMLによるホームページというものが時代の役割を終えた、
世間様はとっくにブログだ

こんなに面倒なことをやっても、手間のわりに意味がないのではないかと。
もう廃城にしようかと、一瞬だけですが、何度も考えました。

B29の焼夷弾で一面の焼け野原になった上野に立ちつくし、御遺体とガレキの片づけから始めた人々の偉大さにはとうてい及びませんが、その何万分の1かの気持ちで、俺が涙目で移転作業をしている時、「ここでレッサーパンダ城に改装するっていうのはどう? 絶対ウケるよ!」と何度も言われました。ううう。

 

 このコンテンツは、
 今までの、秘密基地の歴史

どうして、そこまでこだわるのか?
それを御説明するのが、このコンテンツです。

パンダはともかく、秘密基地の運営は俺のライフワークみたいなものです。
一人暮らしも、自営業も、キーボードのセッティングも、自分をカスタマイズしていくことも、結局は秘密基地なのだと思う。

私には帽子とコートと拳銃しかなかった、というようなことを言う私立探偵がときどきいますが、つまり、普通は俺ぐらいの歳であれば、株式会社をおこし、家庭を築き、道場を運営し、ピアノ教室を開くだろうに、俺は、この程度だということなんですが。

今までの秘密基地の歴史をまとめたコンテンツを作ろうという構想は、数年前からありました。
自分としても、うろおぼえなので、一度きちんと整理しておきたかった。

「まだネットに上げていない、作りかけのコンテンツ」のひとつとして、書き始めてもいました。
しかし、こんなの読んで面白がる人もいないだろうし、もっとほかにやることがたくさんあるだろうと、水軍は一体どうなったのかと。

この城は、万世幾久しく未来に向かっていくものだったはずであり、懐古趣味の自分史みたいなことは、なんだか軟弱っぽくて。

この案はボツかな、と思っていたんです。

ところが、「どうして学校の中で輪宝と十文字槍の戦闘が起きるのか?」「内輪ネタが多くて鼻につく。日記に出てくるのがどういう人たちなのか説明せよ」、というような御質問が以前から時々あって、一体どこから御説明したものかと。

ひとまず1、2、4Gに連載してたんですが。
寅吉が俺の家まで殴り込みに来て、うちの母がヨーグルトを投げつけて追い返した話を、聞かれるたびにいちいち話すのかと。
ここを参照してくれ、で済むようなものがあると便利だなあと思いました。

『普通の人の生活というのは、毎日毎日、繰り返し同じことが行われている。事件らしい事件は起こらないわけですね。歴史に残るような事件というのは一切起こらない。したがって、何十年かたつと、何が何だか全然わからなくなってしまう。毎日毎日見たり聞いたり、たくさんの情報が入っているのですけれども、毎日毎日同じですから、そのこと自体珍しいとも不思議だとも思われないわけです。あの当時の人々にしてみれば、それが日常の状況なので、そのことを書き記そうとする人もいないし、またそこで売っていたものを丹念に調べてみようという人も、なかなかいないわけです。』
(東京都江戸東京博物館編『江戸東京学の現状と課題 明治維新期を都市民はどう生きたか』1997、松平誠先生『生活文化をとらえる方法 - ヤミ市の調査と博物館展示- 』)

それで、去年の暮れに、10周年記念のコンテンツとして出すつもりでいたのですが。
移転作業だけで手一杯だったのと、どこまで書いていいのか、いろんな人におうかがいを立てなければならず、築城祭に間に合わなかったわけで。

「自分で自分の伝記を書いていいのはヒトラーと池田会長だけ」
「おまえはそんなに大物か」
「自叙伝を出すのは人気がなくなった証拠」
「あとで恥ずかしくなって絶対後悔する」
「痛い」
「私の歳までバレる」
などと、各方面から大反対にあったのですが、あくまでもホームページを始めるまでの話です。

それ以降は、今も毎日(だいたい毎日)、歴史が進行中なわけで。

ネット上には、もっと頭のいい人の、御立派なサイトがいくらでもあるだろうに、この城を訪れてくださる方おひとりおひとりが、今この瞬間にも、この城の歴史を築き続けてくださっているとも言える。

いつもありがとうございます。
御客様の御多幸を祈るということだけはもう、基本に据えていきますんで。

 

 秘密基地に関して、
 御世話になった方々の御厚情に
 感謝するコンテンツにしたい

当初、国史編纂室みたいな施設を新築しようと思ったんですが、書き始めてから方向が変わってきまして。
なんだか、
「ダメ学生ブラックリスト」みたいになってしまった。

いろいろ振り返ってみると、当時気に入らなかった奴もすべて、なんらかの影響を俺にくださっていて、彼らがいなかったら、この城は建ちませんでした。
感謝します、今だったら。

だから、このコンテンツは隠しページ「C」の跡地に置きます。
設計段階から、ここが、わが城の英雄広場だからです。

「C」(現存流派全網羅)は、「D」(全流派秘伝書)と統合して、現在は「文庫」になっております。
流派別索引の色分けと、1G4Gのネタになってる画像が、「C」のなれの果てです。

隠しページ「K」(プロフィール)をどかして、「L」(一刀流全奥義と猫)その他を置いたのが、「大天(新)」。
「K」の代わりになるものが、「I」(芸術資料室)を改装した「内調(新)」と、このコンテンツということです。

 

 凡例

このコンテンツだけは、敬称をつけるもつけないもテキトーにさせてもらいます。どうせ匿名だ。

俺の世代だと、「丸出だめ夫」とか、あと杉浦先生の猿飛佐助あたりから受けた影響が強く、「許してくだ斉藤由貴」などと、意味もなく人名のように会話するという冗談が、当時本当におこなわれていたわけです。

それと、先生方を動物に見立てるのはあまりにもふざけすぎ、とMや寅吉に言われまして、故人も多いので、各方面の師のことは後日、別のコンテンツを作ることになりました。
どっちみち音楽のことは3区でやるつもりでした。

現在、1G4Gに来てくださってる方のうち、運営に関係していない方も、なるべく割愛させていただきます。
御迷惑がかかるといけないから。

有名人で言えば誰に似ている、という話をつけてありますが、これは外観しかも雰囲気のことであって、なおかつ主観しかも遠い記憶のうろおぼえであり、実際はそんなにハンサムでもなかったりします。
「しいて言うなら誰(を崩したような感じ)」「ちょっと似ている(ような気がする時もある)」の略です。

 

 →いつも前置が長すぎて堪えられん、と思ってらっしゃる方は、こちらへ。 

 

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