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共産中華60周年 チベット弾圧50周年 「ぱんだ城」築城19周年記念企画 ぱんだ城 築城秘史 「パンダの城の作り方」 ネット上では築城11周年、
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いったん始めたホームページは、 なにが気に入らないって、「当然そこにあるはずのものがない」ということほど頭に来ることはないもので、こっちの生活リズムとか人生設計まで狂う。 行きつけの店は、しばらく行かなくても、つぶれないで営業しててほしいし。 永遠に絶対なものはないからこそ、できるだけ、維持の努力はしたいもので。 また、そのくらいの覚悟でなければ、不特定多数の方々にお目にかけることができない。 国会図書館かどこかでは、検索エンジンのキャッシュみたいに、定期的にホームページやブログを永久保存してるそうです。
10周年にやったことは、 そんなわけで昨年、このホームページも御陰様で丸10年が経過したわけですが…。 たかがホームページの引越に、5か月かかりました。 回線もプロバイダも変わったので、今までお借りしてたホームページアドレスが使えなくなったこと。 ここまでは、普通にホームページの作業です。
城ごっこではなくて、城 「この作業は、何日前から飲酒と肉食と性行為をせずに、こういう道具と材料をどういうふうにお清めして、こういう服を着て、月の満ち欠けがどうなっている日の何時頃に、こういう資格を持った聖職者の立ち会いのもとで、これこれこういう手順でやらなければならない」 「それは後から意味付けした単なる迷信だとわかりきっている、 「効率で言えば、こっちを先にやったほうが早いが、この作業の前にあの作業が終わっていなければ、軍事的におかしい」 …というようなことが、たくさんありました。 こういうことをキッチリやらないと、「城」を名乗れない。 そういうものなんです、そういうことになっている。 それで、たとえば紙で武者人形を作るとして、人形に持たせる刀のパーツを作るとしますよね。 レプリカのニセモノだからこそ、なおさら、本物以上に敬虔な気持ちで作ることによって、足りない分を補いたい。 本来、なにが目的なのか、ということです。 ここまでは、やろうと思えば、やれることです。やればいいだけだから。やればすむ。
絶対に、落城できない! 一度すべてを滅ぼして、一から新しく作り直せば、どんなにラクだったか。 昨年は、日本所有のパンダが死に絶え、臥龍は大地震で壊滅しました。 パンダが順調な時なら、シャレで落城してみせたっていいんですが、いくらなんでも、こんな時に、俺の所まで滅びるわけにいかなかったのです。 今あるものを存在させながら機能させながら、新しいものを準備してそれはまだ使わず、一瞬のうちに入れ替えて、廃止と新生を同時にやらなければならない。 それは、ファイルの作業だけだったら、やればいいだけのことです。
神仏にも、お引っ越し願う 東洋の城を作る時は、その土地の神様、五穀豊穣の神様、国家を守る神様、王家を守る神様、王家の出身地の神様、王家の御先祖様、歴代の王様、城主が信仰している神様、武の神様、その城を守る神様、その国家に殉じた方々などを、城内か城下町にお祭りします。 こういうことは、中国の古典とか、古代兵法に、昔から決まっているルールがあるんです。 やってあるんです、うちも。 知らなくてやってない箇所も多々あるとは思いますが、知っててやってないということは、ないか、あったとすれば何かほかの理由でわざとやってないんで、全体としてはツジツマを合わせてあるか、とにかく積極的にそういうことをやろうとはしている。 これが、少なくとも2系統、神道と仏教があるわけです。 うちの場合は騎士道も扱うので、さらにもう1系統です。 ところが、俺の騎士道はカトリック、音楽はプロテスタントのほうをやっていて、非常にややこしい調整が必要で、なんでそういうことが通用するかというと、そもそも俺はクリスチャンではないので、「キリスト教徒ではない者が騎士やオルガン奏者をやっていくための、さまざまな微調整」というのを加えてある。 しかも、騎士道っていうのは西洋魔術とのかねあいもありますから、キリスト教以前のヨーロッパの土着宗教や、ユダヤ教の錬金術や、なんと十字軍を通じてイスラーム文化まで混ざってる。 これらは、10年かけて少しずつ設置したので、最初から秩序だてて設計したものではないから、いろんなものが複雑にからみあっており、なおかつ、それでも問題がないよう調整してあった。 これを、爆弾処理みたいに、順番を考えながら少しずつほどいて、また組み上げるということをやらなければならなかったわけです。 さらに、まだある。
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ぱんだ城が、2つ同時に パクリ対策のために構築した、呪術的戦略攻撃システムがある。 「ぱんだ城」をマネした「偽ぱんだ城」には、自動的に呪いがかかる。 しかも、絶対に誰にも解除できないように工夫して設置したために、設置した本人たちにも解除できない。 そのこと自体も大変ですが、それは「落城してはならない」ということと両立しにくいことばかりでした。
そもそも、時代おくれ 上野がああなった以上、このホームページはもう役割を終えた。 こんなに面倒なことをやっても、手間のわりに意味がないのではないかと。 B29の焼夷弾で一面の焼け野原になった上野に立ちつくし、御遺体とガレキの片づけから始めた人々の偉大さにはとうてい及びませんが、その何万分の1かの気持ちで、俺が涙目で移転作業をしている時、「ここでレッサーパンダ城に改装するっていうのはどう? 絶対ウケるよ!」と何度も言われました。ううう。
このコンテンツは、 どうして、そこまでこだわるのか? パンダはともかく、秘密基地の運営は俺のライフワークみたいなものです。 私には帽子とコートと拳銃しかなかった、というようなことを言う私立探偵がときどきいますが、つまり、普通は俺ぐらいの歳であれば、株式会社をおこし、家庭を築き、道場を運営し、ピアノ教室を開くだろうに、俺は、この程度だということなんですが。 今までの秘密基地の歴史をまとめたコンテンツを作ろうという構想は、数年前からありました。 「まだネットに上げていない、作りかけのコンテンツ」のひとつとして、書き始めてもいました。 この城は、万世幾久しく未来に向かっていくものだったはずであり、懐古趣味の自分史みたいなことは、なんだか軟弱っぽくて。 この案はボツかな、と思っていたんです。 ところが、「どうして学校の中で輪宝と十文字槍の戦闘が起きるのか?」「内輪ネタが多くて鼻につく。日記に出てくるのがどういう人たちなのか説明せよ」、というような御質問が以前から時々あって、一体どこから御説明したものかと。 ひとまず1、2、4Gに連載してたんですが。 『普通の人の生活というのは、毎日毎日、繰り返し同じことが行われている。事件らしい事件は起こらないわけですね。歴史に残るような事件というのは一切起こらない。したがって、何十年かたつと、何が何だか全然わからなくなってしまう。毎日毎日見たり聞いたり、たくさんの情報が入っているのですけれども、毎日毎日同じですから、そのこと自体珍しいとも不思議だとも思われないわけです。あの当時の人々にしてみれば、それが日常の状況なので、そのことを書き記そうとする人もいないし、またそこで売っていたものを丹念に調べてみようという人も、なかなかいないわけです。』 それで、去年の暮れに、10周年記念のコンテンツとして出すつもりでいたのですが。 「自分で自分の伝記を書いていいのはヒトラーと池田会長だけ」 それ以降は、今も毎日(だいたい毎日)、歴史が進行中なわけで。 ネット上には、もっと頭のいい人の、御立派なサイトがいくらでもあるだろうに、この城を訪れてくださる方おひとりおひとりが、今この瞬間にも、この城の歴史を築き続けてくださっているとも言える。 いつもありがとうございます。
秘密基地に関して、 当初、国史編纂室みたいな施設を新築しようと思ったんですが、書き始めてから方向が変わってきまして。 いろいろ振り返ってみると、当時気に入らなかった奴もすべて、なんらかの影響を俺にくださっていて、彼らがいなかったら、この城は建ちませんでした。 だから、このコンテンツは隠しページ「C」の跡地に置きます。 「C」(現存流派全網羅)は、「D」(全流派秘伝書)と統合して、現在は「文庫」になっております。 隠しページ「K」(プロフィール)をどかして、「L」(一刀流全奥義と猫)その他を置いたのが、「大天(新)」。
凡例 このコンテンツだけは、敬称をつけるもつけないもテキトーにさせてもらいます。どうせ匿名だ。 俺の世代だと、「丸出だめ夫」とか、あと杉浦先生の猿飛佐助あたりから受けた影響が強く、「許してくだ斉藤由貴」などと、意味もなく人名のように会話するという冗談が、当時本当におこなわれていたわけです。 それと、先生方を動物に見立てるのはあまりにもふざけすぎ、とMや寅吉に言われまして、故人も多いので、各方面の師のことは後日、別のコンテンツを作ることになりました。 現在、1G4Gに来てくださってる方のうち、運営に関係していない方も、なるべく割愛させていただきます。 有名人で言えば誰に似ている、という話をつけてありますが、これは外観しかも雰囲気のことであって、なおかつ主観しかも遠い記憶のうろおぼえであり、実際はそんなにハンサムでもなかったりします。
→いつも前置が長すぎて堪えられん、と思ってらっしゃる方は、こちらへ。
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