宇宙世紀0072年(笑)

しっかし、40歳近くにもなって、てめえの恥をネット上に出すかね普通。
年齢をサバ読んで、もっと時代がくだった所から書き始めたいのはヤマヤマだけれども、まあしょうがない。
初代様御夫妻に初めて拝謁したのが、この年の暮れだったもので。

半日ちかく並ばされて、この時はガラスごしではなく柵ごしだったらしくて、父に肩車してもらって、人々の背中の隙間から、あの動かない白黒の背中をチラッと見たという程度だったらしいのだが、ぜーんぜん記憶にない。

本当に尊いものは、はるか遠く手の届かない所にあって、その価値はこちら側が見出すものであり、見たければ一歩一歩こっちから近付いていかなければならないのだ、宮沢賢治のさらに後ろから、幸せへと向かう人の波の一番最後を、
…などと、この時点ではそんなに深いことは考えてない。たかが畜生なので。

動物なんて臭いだけで、好きでもなーんでもなかった。
たぶんタヌキの汗かなにかだと思うが、動物園のあのニオイが気に入らないので。

犬も猫も飼ったことがない。
今だったら本気でカワイイと思うが、子どもの頃は、あんなヨダレや抜毛やシモゴエをまき散らすものは不衛生だと思っていた。

自宅から東に少し行ったところに唯一の友達がいて、とても頭のいい紳士的な奴で、いつも一緒に遊んでいたのだが、聞いたこともない遠くの町へ引っ越してしまい、もう顔も名前も思い出せない。
たしか
シンイチ君だったような。すまん。
引越の朝、挨拶に来てくれて、彼が玄関に立ってた姿はハッキリおぼえているのだが、その時、友情のしるしだと言って、たしかに何かをもらったのだが、それが何だったかもおぼえてないんだから、ひたすら申し訳ない。
普通、こういう時は、こっちが何かプレゼントするのが筋だよなあ。
それから5年ほど年賀状をやりとりしたが、どちらからともなく途絶えて、もう連絡先も控えてない。
どこかで幸せになってくれているといいのだが。

なにしろ、月光仮面、赤胴鈴之助、変身忍者嵐、怪傑ライオン丸、旧日本兵の残党、日本赤軍、岡本太郎なんてのが跳梁跋扈していた時代なので(岡本先生は跳梁跋扈はしないが)、いくら俺でも古すぎて記憶が定かでないのだ。

ほかに近所で同年代の男子というと、当時はあと1人しかいなくて、これまた引っ越してしまって顔も名前も忘れたが、マサチャンとかなんとか呼ばれていた。
こいつは、友達じゃない!
最初に見た瞬間からお互いに大嫌いで、会えば必ず、つかみ合いになった。
馬乗りになって顔をグーで殴って鼻血ドバーなんてことを、したりされたりしたのは、こいつが最初。

こいつの顔も、声も、しゃべり方も、性格も、なにもかも気に入らなかった。
我ながら偏見で大変申し訳ないと思うが、本能的・生理的・直感的に、どうしても嫌いで、むこうも同じ気持ちで。
よく犬の散歩同士がワンワン吠えちゃうのがあるが、俺たちもそんな感じだったのだと思う。本能。

子どもというのは遠慮がないから、嫌いなものは嫌いだと、面と向かってズケズケ言う。
俺はこのころ、歯医者で痛みに耐えかねて、サイドテーブルに乗ってた薬品のビンを全部蹴り落としたことがある。
嫌いなものを排除するために暴力を使うのは、とても幼稚で子どもっぽいのだが、子どもだったのだから、子どもっぽいのは当たり前だ。

しかし、マサチャンは南どなりに住んでいて、同じ公園に来るから、どうしても毎日会うのだった…。
会いたくない奴に会うことは、仏教の八大苦悩のひとつであり、のがれる方法はないのである。

 

マサチャンは、スカートめくりの達人で。
ギャグマンガじゃあるまいし、どうやったらあんなに上手に布がめくれ上がるのか、いまだにわからないのだが
(俺は極力、見てない! こういう時は目をそらすのが礼儀だということくらいは、なんとなくわきまえていたし、この世界一嫌いなバカと一緒のレベルになり下がるのも、恩恵?にあずかるのも、堪えがたかったので)。

こいつと対立することは、被害に合っていたお姉さん3人組を結果的にかばう格好になった。
お姉さんといっても子どもだが、相対的に、俺から見れば成人ってくらいに年上だった。

美濃田うろ美さん。
今で言うと新垣結衣さん似、作り物みたいに目がキラッキラしてて、真顔の時でも口元がほんの少し笑っていた。
実際はそんなに美人じゃなかったのかもしれないが、たしかに近所では美人と言われて有名であり、しかも古い記憶ってのは美化してるもので。
ここらへんからは実名もおぼえているが、うちのサイトでは、だいたいいつも、こういう名前の伏せ方。
こんな名前で申し訳ない。一応それぞれ、その名前にした根拠はある。この人の家は酪農やってたんで。
この人は音楽では俺の後輩にあたり、お互いの母が親しい。
今でも道でバッタリ会う。旦那さんに先立たれて御実家に戻ってらっしゃるらしいのだ…。

ケン田うろ恵さん。
宮里藍選手似。
少し小太りで、この人だけ明るくて元気。ツッコミの達人。拍手しながら大笑いする。
あとで知ったのだが、ものすごくモテたらしい。
うちの西どなりに住んでいたが、この人の母上様というのが地元で有名な悪妻で、お隣さんとしてのつきあいがほとんどなかった。
この人の明るさは、今にして思えば、母親からの虐待のせいではないかと思う。
そしてやっぱり、この人は御自宅に居場所がなかったのではあるまいか。

スフィンくす子さん。
なぜか、顔が思い出せない。
宝塚の男役みたいにキリッとした人で、たぶん大人になれば、ものすごく美人になったと思う。
他の2人がやってることを一歩引いて全体を見ているようなところがあった。
一番優しくて、何も言わずにヨシヨシ、ナデナデしてくれることが多かった。
どこに住んでいたのかもよく知らないので、連絡つかなくなってそれっきり。

俺はべつに、このお姉さんたちのためにマサチャンを殴り倒してたわけじゃないんだけれども、むこうとしては恩にきたとみえて、それに、小さなナイト君がボディーガードしてくれるということが、お姫さま気分だったらしい。

この3人が毎日(本当に毎日)俺の家に入りびたるようになり、俺の家は2年間ほど、お姉さんたちの秘密基地になっていた。
うちの母から何かを習ったり、母が寝込んでる時は家事まで手伝ってくれてたようだ。
足がつかないというか、ほかの人には想定外の、誰も知らない場所として、俺の家はとても都合よかったらしい。

この3人と遊んだ時間が長くて、体感的には10年くらい一緒にいた気がする。
この人たちに人格を形成されたと言っても過言でない。

俺の秘密基地というのは、「俺の所が誰かの秘密基地になる」という、そもそもの発想が逆転した所から始まったのだった。
このことは、ずっと引きずることになる。

「一人きりになれる隠れ家」ではなく「ほかの人をお招きして自分の世界を見せる」、そして、「俺の城」ではなく「参謀本部の構築」、これが結果的に、軍事的にも理屈にかない、騎士道や武家の伝統にも沿う「城」の概念であり、じつはこれこそがホームページのことだったのである。

 →つづく 

 

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