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 パリカールパフR-5(Р-5)系

 

エル─3エス又ハエルゼツド
目次ではエルゼットと書いてあったが…。

(Р─3С)

複座偵察輕爆、襲撃機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約二九〇時粁
R-5で225〜230、R-5SSSで235、R-Zなら316くらい。

航續時間(距離)
  約五時間(八五〇粁)
R-5で800キロ、R-Zなら1000キロくらい。

武  裝
 一、偵察機トシテ
   機關銃 三
  
 二、輕爆撃機トシテ
   機關銃 三
   爆弾四〇〇瓩
機銃は全部PV-1だと思うが、一説にはShKASやDAをつけたものもあったらしい。長年使っていれば、そんな機体もあったか。
爆弾は通常230キロくらい、R-Zなら最大500キロ積んだという話もあるが、その時は後席の機銃は外したのかも。

 三、襲撃機トシテ
   機関銃五-七
   爆弾二六〇瓩
機関銃が7というのは、前方に固定1、後方に旋回2、ほかにガンポッド。

翼 長 約一五・五米

一、一葉半ニシテ上翼ノミ上反角アリ

二、N字型支柱

三、冷却器ヲ操縦席ノ下方ニ裝ス

四、脚ハ固定式ニシテ数本ノ支柱ニ依リテ支ヘラル

五、車輪覆ヲ附セルモノアリ

 

(舊式ニシテ逐次第一線ヨリ退キツツアリ)

 

 

P-3Cっていうと対潜哨戒機みたいですが、Р-3С、英語表記するとR-3Sです。

 

赤軍は、建国前のドタバタの時、ウクライナへ20〜30機で爆撃して、白軍の騎兵を壊滅させ、味方の歩兵部隊を救ったことがある。
スペイン内戦の時は、政府軍の戦闘機群が機銃掃射と爆撃をやって、マドリード目前まで迫っていた革命軍を足止めする大手柄を立てた。

スペイン人にしてみれば、これから自分のものになる土地をわざわざ廃虚にすることもないんで、都市への無差別爆撃っていうのは、人民戦線も国民戦線もそれほど積極的ではなかったんですが、それでも一応やったわけです。
病院なんか爆撃して、お気の毒な無抵抗の市民を殺してみた。士気が落ちるかなと。
ところが、こういうことしても相手がますます激怒して徹底抗戦するので、まったく逆効果ということがわかった。
爆撃した兵士たちのほうが罪悪感で意気消沈した。まさに逆効果。
人には心がある、それを一番わかってない奴が、だから戦争指導者に出世できるわけで、ひどい話です。

そんなわけで、空軍はあくまでも陸軍の支援、戦場で敵兵をやっつける戦術運用、飛行機は小規模な地上攻撃に使う、という考えが主流になる。
これがスペイン内戦で得た「戦訓」として、ソ連も、じつはドイツも、しばらくはこういう考えでいくことになるわけです。
ヒトラーなんか一時期は、戦闘機不要論を言い出したくらい。
ソ連は冷戦時代になっても、かなり遅くまで、Yak-28という小型爆撃機(しかも、非常に古臭いタイプの)を使ってました。

日本はどっちみち、爆撃機の大編隊なんていう国力もなかったし、ノモンハンの敵機撃墜が面白かったために、陸軍航空隊が空戦ばかりやってて、ちっとも地上の友軍に協力しなくなっていくんですが。
うちの父も(旧日本軍の、陸軍の)地上部隊をバカにすることはなはだしいものがあって、泥くせえとか、野暮だとか、頭が硬いとか、飛行機乗りのエリート意識がとても強かったりします。
 

ましてや、昔の偵察機というのは何にでも使ったもので。
砲撃の観測もやるし、敵機とすれ違えば撃ち合うし、いやがらせ程度の爆弾も積んでいくし、要人の移動にも使うし、練習用の専用機もあんまりないから本物を使って練習もした。

 

ソ連では、24年ごろから、最初の偵察機パリカールパフR-1を1650機ほど作った。
英国の単発複葉爆撃機(胴体を太くして救急搬送用に使われることが多かった)DH-9を買ってきて、見よう見まねでコピーしたもの。生産工場はGAZ-1。
偵察機といっても、やはり何にでも使ったらしく、もちろん複座、7.62ミリ2〜3丁と、爆弾最大400キロも積んだという。
エンジンは「M-5」。
 

そのあと、R-1を改良したR-3という偵察機があったという説が、まずひとつ。

もうひとつは、R-1を改良した試作機は2でも3でもなくR-4という名前で、R-4は27年に試作したが採用・量産はされず、R-4に爆弾が積めるようにしたR-5を量産したという説もある。

 

パリカールパフR-5(Р-5)は、当時よく使われていた偵察機です。
主翼が長いのが特徴。エンジンは「M-17B」。
一説には28年に初飛行して29年から配備、30年ごろ本格的に作り始めて、ざっと5000機、派生型も含めれば7000機くらい作った。
木製合板に羽布張りで、古臭すぎて、かえって生産しやすかったのだという。
ノモンハンで最初に落ちたのもR-5です、九七式戦でやっつけた。
旧日本軍が、この飛行機を知らないはずはありません。
スペインにも出して、スペインでは「ナターシャ」と呼ばれました。
ナターシャはナターリヤの愛称で、ソ連によくある女性名。

 

R-5の襲撃機仕様で、R-5Sh(Р-5Ш)というのがあります。
前方固定PV-1×4、後方旋回DA×2、爆弾最大500キロまたはPV-1×4の機銃ポッド1基。
Шは「シャー」です。シと読む人はあっても、エスとは読み間違えないと思う。

また、35年ごろに改良型として、R-5SSS(Р-5ССС)、または単にSSS(ССС)と呼ばれたものがある。
前方固定ShKAS×1、後方旋回DA×1、ShKAS×4の機銃ポッド1基。
エンジンは「M-17F」。
СССがスリーエスみたいに呼ばれたとすれば、本書の「3エス」の正体かもしれませんが。

 

そして、R-5を大幅に改良、というより、ほとんど設計しなおした、R-Zというのがある。
R-Zetとも表記されます。キャノピーが追加されていた。
国家航空機工場(いわば生産ライン側)で開発し、35年から生産を始めて、1000機あまり作った。
エンジンは「AM-34N」。
前方固定、後方旋回ともShKAS×1(後方旋回は2丁つけたものもあったという説もあり)、爆弾最大500キロ(またはPV-1×4の機銃ポッド1をつけたという説もあり)。

なんと大戦末期まで使い続けたらしいんです。
ソ連というのはとにかく国土が広くて、ほかの飛行機に出会う確率も少ないのか、旧型でも偵察や連絡には使えたらしい。

スペインでは「ラサンテ」と呼ばれた。
俺はスペイン語もできませんが、ラサンテはたぶん、地面近くを低く飛ぶ姿がまるで家畜が草を食ってるようだぜとか、そんなような意味のようです。

 

ほかに、民間機仕様のPR-5bis、郵便機仕様のP-5、水上機仕様のR-5a(MR-5)、雷撃機仕様のR-5Tというのがあったらしい。

 

ところで、R-5のはずの飛行機が、どうして本書ではR-3なのか、という話。

R-Zetは、原語表記では、Р-Зетです。拡大します。
Р-Зет
これは数字の3にしか見えないわ。
「ゼー」なんです、ゼータガンダムとかのゼータにあたるもので、英語ならZに相当する。
さらに、次の小文字の「イェー」と「テー」を、e・th みたいな発音に勘違いした人が、たまたま福島あたりの御出身で、いや俺も福島県に住んでいたから福島の女性がどんだけ美人かよく知ってますが、おやおや阿藤さん100エーカーの森に途中下車ですかみたいな訛りの人だったとすれば、「さんエチュ」、うまくすると「さんエシュ」くらいにならねえものかな、なったらいいなというくらいですが、これはあくまでも根拠のない個人的な妄想です。

少なくとも、本書の三面図はR-Zです。
垂直尾翼も三角で、下翼もだいぶ後ろ気味に描いてあります。

つまり、本書が述べているのは、R-5とR-Zの2種類ではなく、おそらくR-Zだけであり、R-Zの名前を2種類あげている、ということなのだろうと思います。

 

三面図では全体的に、実際よりも太めに描いてるようです。
車輪覆は、三面図にあって、右ページのイラストにない。
当時の写真を見ると、やはり車輪覆はあまり使っていないようです。スキーの場合もある。

 

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