もどる←
(小目次)
俺もこれをインデックスとして使いますので、このページから飛んでください。
もちろん、原文にはアンダーラインはありません。
「注意」もなにも…。
この半年前、有名なレンドリース法が連邦議会を通過してます。
ドイツと戦っている各国に、武器弾薬燃料食糧その他、部品やら原料やら資材やら、アメリカが供給するという話。
ソ連に適用されたのは41年10月1日から。
これはリースです、貸しただけ。
しかし、その費用を戦後アメリカがソ連から返してもらったかどうかは、謎だという。
冷戦で話し合いがつかないまま、ソ連が勝手に滅亡してしまった。
ソ連が欲深くてズル賢くてけしからんということも、戦後に資本主義の強敵になるであろうことも、うすうすわかりそうなものですが、どういうわけか、このころのアメリカ世論はソ連に対して好意的だった。
ソ連は、この時点で、ポーランドやバルト三国やフィンランドを好き勝手に侵略しているにもかかわらず、このあとドイツの旗色が悪くなるまでは、ソ連への手助けに反対するアメリカ人はほとんどいなかったという。
ドイツをやっつけることのほうが切実に重要だったんでしょうか、もっと重要なのは兵器産業の儲けでしょうけど。
エアコブラが4924機だか4773機だか4719機だか、キングコブラが2421機、P-40が2631機だか2097機だか、A-20が3125機だか2908機だか、いろいろ合計すると14795機だか18700機だか、アメリカの飛行機をソ連に融通してやった(運ぶ途中で撃墜や撃沈されたり、戦後に返還した機体もあったらしく、正確な数字がよくわからない)。
この品揃えは、不良品や余剰在庫や2級品です。あんまり高性能なものはくれてやる気はなかったらしい。
しかも、戦時生産だから省略型廉価版。
それでもソ連機なんぞよりもずぅぅ〜〜〜〜〜っとマシ(特に、工作の精度、信頼性の高さ)、しかも設計がソ連軍の使い方にちょうど合っていたので、大好評だったという。
英国からも、ハリケーン2952機、スピットファイア1340機だか1331機だか、等々、ソ連に供給しました。
チャーチル卿は、共産主義も嫌いだがナチスドイツはもっと嫌いだったので、41年6月に独ソ戦が始まると、8月にはイランを蹴飛ばして補給ルートを切り開き、9月にはハリケーンをソ連に届け始めた。
米軍も、モスキートやスピットファイアなど英国製の飛行機をもらって使ったりしました。
こういうことは輸送の問題等もあるわけで、本国には有り余ってる物でも、前線では不足していて、友軍に融通してもらったりとか。
極端なことを言えば沖縄戦の末期には、バカをやめろ、生きろ、というビラと共に、食糧を、米軍が旧日本軍に空中投下で補給してくださっていた…。
ところで、この表の並び順も思想が出てます。
本書では、米英ソいずれも戦闘機のたぐいを真っ先に書いている。
航空兵力の陣容というか規模を言う時に、昔は爆撃機を筆頭に言うことが多かったらしく、それは大型でもあり、高価でもあり、攻撃力でもあったからで、特に陸軍ではそんな感じでした。
そして、爆撃機の次には偵察機が言及されるもので、数が多いし、これが本来の軍用機だから。
戦闘機なんてのは最も末尾で、「戦闘機とその他の補助機」などという言い方なんです普通。
シューレンブルク大使の報告なんかも、そういう順番になってる。
ドイツ、イタリア、ソ連などは、戦闘機よりも爆撃機を優先的に配備したがる傾向がある。
要するに、爆撃機が戦艦、偵察機が巡洋艦だとすれば、戦闘機というのは魚雷艇みたいなものなんですね、格式が。
軍用機の本来の仕事は、人や物を運ぶこと。
観測者、偵察員、要人、爆弾、空挺部隊、補給物資などを、積んで飛ぶことです。
戦闘機は、本来の仕事を邪魔する者を排除するためにあるのであって、いわば空のゴミ掃除、露払いであり、敵が航空機を持ってないんだったら永遠に戦闘機に用はない。
この時代なら、対空砲も、まだ出番はあった。
ところが、いつ頃からか(おそらくインメルマン、リヒトホーフェンなど撃墜王が活躍したあたりから。日本ではもちろんノモンハンあたりから)、戦闘機こそが花形みたいな考えが、だんだん増えてきた。
特に日本では、軽快なのが好きだし、小さいのしか作れなかったから…。
富嶽はもちろん、深山連山も未完で終わりましたからね。
小兵力士が大国アメリカを背負い投げするようなイメージもあったんでしょうか。投げと言わず、出足払いくらいなら。そうでなきゃ宣戦布告しないだろうけれども。
もどる←
|