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 コチェリギンDI-6(Д.И-6)

 

デー・イー6

(Д.И─6)

複座戦鬪襲撃機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約三六〇時粁 
372キロ?

航續時間(距離)
 約三・五時間(九〇〇粁) 
500〜550キロ?

武  裝
 固定機關銃 四 
一説には2丁。4丁ならPV-1?
 旋囘機關銃 一 
ShKAS。
 
所用ニ應ジ
 爆彈約一五〇瓩
こんなに積めないだろう。10キロ爆弾×4くらい。あるいは機銃を降ろして積んだか。

翼長 約一〇米

一、複葉ニシテ下翼稍ゝ小而モ逆鴎型ナリ 

二、I字型支柱一對ヲ有シ球形ノ同乗席覆アリ

三、胴體ハ同乗席ノ後方ヨリ急激ニ狭搾シ引込脚ナリ

 

 

スィルギェーイ・アレキサーンドロヴィチ・コチェリギンさんによる設計。
コチュリギン、コチェイギンなどと表記されていることもある。
中央設計局にいた人。一説には、パリカールパフ設計局にいた。

DI-6は、ウラヂミール・パンフィロヴィチ・ヤツェンコさんとかいう人と共同開発だという説もある。

ДИは複座戦闘機の頭文字。

 

複葉なのに引込脚というのがすごいですが、一説には世界初らしい。
逆に言うと、いつまで複葉を使ってるのかっていう。
単発レシプロ戦闘機が複座っていうのも古いですが。
上昇性能は5000メートル10秒ちょっとくらいのようです。

下翼は少し逆ガル気味ですが、実機の写真を見ると、本書の図よりもゆるやかなようです。
上翼も実際には、かすかに上反角がついてたようでもある。

後席は完全に覆われているらしい。
銃全体が外に出ていて、吹きさらしのような図も見かけます。
本書の三面図では、水平尾翼の支柱の立ち方がちょっと違うようです。

 

エンジンは、原型機には「RTsF-3(РЦФ-3)」という630馬力のものを積んだという話があるのですが、どうやら、これはサイクロンのことらしい。
サイクロンなら少なくとも720馬力くらいはあると思うんですが。
量産は「M-25」系です。700馬力くらい。

旋回機銃ShKAS×1というのが共通で、前方固定機銃は2丁のものと4丁のものがあったようです。
2丁というのは下翼にあってShKAS。
あとの2丁がPV-1というより、4丁積む時は4丁全部がPV-1で、この合計5丁積んでるやつが襲撃機仕様の武装強化型らしい。

下翼の中に機銃を設置していたという説もあるのですが、写真で見ると、とてもそんな厚みはない。
翼下に下げたんじゃないでしょうか。

 

30年代なかば(34年?)に設計を始めて、37年から配備。38年まで生産したらしい。
世の中はとっくに単葉になっており、222機しか生産しなかったのだという。
エンジンの生産が遅れ、量産が遅れ、配備が遅れた、という話もあるのですが、M-25シリーズは他の航空機には結構使われているようでもあるから、おそらく、ほかの飛行機に優先的に配分されて、この飛行機にはエンジンが回って来なかった(あんまり活躍が期待されてなかった)という感じに見えます。

 

DI-6Shという地上攻撃仕様が、翌年から20機ほど作られてます。
装甲を強化してあったという。
機銃はPV-1×4という説もあるのですが、そうではないようで。
前方固定PV-1×2のほか、機外に(一説には下翼に)PV-1×4のポッドを1基吊るしていたような感じで、旋回機銃ShKAS×1、合わせて7丁ということのようです。
爆弾は最大80キロを積んだという。
当然、最大速度は10キロ以上落ちてる。
機銃ポッドをどうやって吊ったのかがまた謎で、この飛行機って主脚がとても短いんですが。

 

結局これは戦闘機としては役に立たなかったわけです。
地上攻撃に使っても古い。

ほとんどは固定脚になおして機銃を外し、練習機DI-6bis、複操縦系統高等練習機DI-6UTIとして使ったようです。
これらは「M-25V」で、武装もあまりないので、かえって性能は上がっていたという。
 

このころから、航空戦ということの実態がだんだんわかってきたんですよね。
第一次大戦の時には独英仏ほどは本格的にやらなかったし、まだそんなに物量とか総力戦じゃなかったから、日本もソ連もノモンハン事件で初めて知った戦訓が多かった。
その最たるものは、当たり前ですが「飛んでるものは落ちる」ということです。
航空機はものすごく戦争に有益だが、ものすごく消耗するので、飛行機とパイロットを大量に生産しつづけないと追い付かないということがわかった。
各国で少年飛行兵みたいなことを大急ぎで始めました。
旧式化した飛行機でも、練習機として使えば、ないよりはマシだったわけです。

 

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