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 パリカールパフI-153(И-153)

 

イー15・三型

(N─15.3型)
くどいようですがИです。

單座驅逐機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約四二〇時粁

415〜450くらい。

武  裝
  機關銃  四

ShKAS×4。
爆弾100キロ(最大200キロ。100キロ爆弾×2)、またはRS-82×最大8。

翼 長 約一〇米
 運動極メテ軽快

航続時間・距離と、上昇速度については言及がありませんが、740キロ、3000メートルに3分くらいのようです。

一、「イー」一五型ニ酷似ス

二、主翼ハ鴎型ナリ

三、引込脚 

 

 

I-15bisのあと作ったのがコレです。
15・3という書き方は、ほかでは見かけません。
I-153のことをI-15bisだと思い込んでる人なら見かけますが。

 

I-153は、I-15bisを改良したもの。引込脚にして、翼を短くし、さらに軽快な方向。
パリカールパフ設計局のA.J.シェルバコフさんという人が担当。
設計は38年から。まずTsKB-3ter(I-15ter)という試作機を作って採用され、38年内に生産を始めたらしい。

エンジンは1000馬力くらい。
試作は1号機が「M-25V」(「M-25B」という説もあるが、БとВの話は前述のとおり)、2号機が「M-62」、一説には「M-62R」。
まず「M-25V」で先行生産10機を作り、そのあと39年から「M-62R」で本格的に生産するようになり、40年からは「M-63(おそらくM-63R)」を載せていた。

「M-25V」を積んだI-153は、全部で69機あったという説もあるから、本格的に量産を始めても「M-25V」を積んだことがあったのかも。
「M-62R」は2802機ほど、「M-63(おそらくM-63R)」は409機ほど。

集合排気管をやめて、シリンダーごとに排気を後方に吹き出して推進力の足しにした。
I-15bisに比べて、カウリングが寸胴ではなく、くびれのある短いものになった。

 

今度はガル翼。

ガル翼は、「下方視界を確保したいので上翼を持ち上げるが、前上方視界も確保したいので操縦席付近だけは上翼を下げる(というか、なくす)」ということです。

ところが、ガル翼は視界が悪いという説もある。
つけ根の部分が前下方視界を邪魔するので、格闘や対地攻撃に使うI-15系としては困る、それが原因でパイロットがガル翼を嫌ったのでI-15bisではまっすぐにしてみたが、スペイン内戦で使ってみたらガル翼でもそれほど視界が悪くなかったので、I-153ではふたたびガル翼になおした、…というんですが、本当にそんな理由なのかどうか。

父に確認してみたところ、それは人による、つっこみ方が人によって違う、ななめ下が見えなくてもそれほど困らない飛び方をする人は関係ないが、それを気にしてしまう人は気持ちが乗らない、とのことです。

I-15bisの、至らない部分をなんとかしようとした機体がI-153です。
ガル翼に戻して大量生産したということは、「I-15系はパラソル翼ではダメだ」ということなのかもしれません。
 

スペイン内戦は、ソ連にとって、兵器の実戦テストです。
実際に使ってみて判明した欠点を、どんどん改修したはず。ドイツはそうしてます。
I-15の生産を止めてI-15bisに切り替えたのだから、I-15は何か問題だったに違いない。
それはI-16を使っていれば解決できる問題だったのかも。
というのは、I-16を投入したら一時的とはいえ優勢になった。
I-16だって、I-15の後継機です。
ところがI-16では格闘できないから、もっと軽快なI-153を作ったのだろうと思うんです。

 

I-153とI-16は、このあと毎年少しずつ改修しながら、ずっと生産し続けました。
今後この2つでいく、と決めたわけです。
そしてノモンハンでも、I-153とI-16が主力だった。

そもそも戦闘機というのは、翼が大きくて軽快で小回りがきいて格闘するのがいいのか、翼を小さくして直進が速くてスクランブル発進してヒットアンドアウェイで重武装がいいのか、っていうのはずっとありました。
この時のソ連は、I-153とI-16でやってたんでしょうね。
バイクやクルマにも、よくあるでしょ、コーナリング重視のやつと、直線(だけ)は速いやつ。

飛行機が発達すると、小回りよりも速度重視になっていく傾向はあります。追いつけないものは撃ち落とせないから。
戦後はミサイル万能論というのもあり、出逢わないうちに遠くからレーダーで見つけてミサイルを撃つなら、格闘戦はありえない、しかもアメリカは核兵器を積んだ爆撃機を迎撃することを問題にしていたから、迎撃なら速度のほうが重要なのであって、小回りは要らない、機関銃も要らないということになった。
実際は、ミサイルがいつも必ず命中するわけでもないし、視認しないで撃ってばかりいると味方や民間機を落としちゃうし、赤外線誘導や電波照射誘導ならミサイルを撃つにも後ろに食らいつかなきゃいけないし、ミサイルじゃ威嚇や警告もしにくいし、アメリカはMiG-17やMiG-21にぜーんぜんかなわなかったので、格闘性能も一応なきゃ困るということになった。
その後、ミサイルも性能が良くなり、ステルス技術も発達したので、ふたたび、重戦闘機が主流になりましたが、同時に、チャフのたぐいも確実に進歩している。
このあと必ず、電子戦の大改革ミノフスキーナントカが発明されますから、また格闘戦の時代が来ます。

ソ連は、このころ、2機セットの運用を考えていたようで。
 高速の戦闘機でつかまえておいて、小回りの戦闘機で食う。
 爆撃機には高速の戦闘機で、戦闘機には小回りの戦闘機で戦う。
…というようなやり方。
スペインでは、ちっともうまくいかなかったようですが。
軽戦闘機、重戦闘機、どっちが偉いかではなく、どっちも使おうというのが、この時期のソ連。

複葉機時代は3機セットで矢印風に編隊飛行していたのが、このころから世界中どこでも2機セットが主流になっていきます。
1機は前だけ見て攻撃に専念し、その背後や上空の警戒は、もう1機がカバーするというやり方。

 

ノモンハンの経験からI-153が生まれたという説は間違いで、それ以前からI-153は量産を始めてます。
I-15bisをノモンハンで使ってみて、苦戦したのでI-153を出した、…という話とごっちゃになったらしい。

I-153はノモンハンで初めて実戦に使われました。39年7月からモンゴル国境に配備。

ノモンハンの航空戦は、日本の圧勝でした。
ところが、I-153は九七式戦に対して圧勝だったという説もある。
わざと着陸脚を出して飛び、I-15bisのフリをして近付いて、急に脚を引き込んで戦ったのだという。

情報がアテにならないというのは、まさに、こういうことです。
どっちも自分たちに都合いいことを言う。
日本の軍部が戦争したがっていて、先に日本が攻撃したからソ連が応戦したとか。
日本は追撃しても国境は越えずに律儀に引き返したとか、それをいいことにソ連は何度も越境してきたとか。
ソ連が卑怯なのはいつものことで、冬戦争の開戦も、戦後の領空侵犯もそうだから、ソ連の公式発表なんかバカバカしくて誰も信じませんが、旧日本軍も、大陸方面の部隊に関しては、ちょっと情報が信用ならない。

ノモンハンでは、I-153よりもI-16のほうが健闘してたようでもある。
一撃離脱しか手がないのだから、I-16のほうがまだマシということのようです。
九七式戦は小回りだけは日本一の戦闘機なので。

フィンランド軍が拿捕して使う場合、I-15系のほうを愛用し、I-16はあんまり好まれなかった様子。

 

I-153を「究極の複葉戦闘機」と呼んで絶賛するむきもありますが、冗談のつもりでしょうか。
人力車としては世界最速、みたいな話。
複葉機なのに引込脚で千馬力以上あります、って自慢なのかどうか。

究極のナンチャラっていうのは星の数ほどあるもので、究極でも何でもない。
日本人は九五式戦を、イタリア人はCR-32を、究極の複葉戦闘機と言い張ってる。

戦闘機は、複葉だろうと単葉だろうと何でもいいから、使い物にならなきゃいけません。
複葉では使い物にならないとわかった以上、単葉機に移行することが「究極の複葉機」です。
この時代、日本はもう着陸脚どころか、九五式戦そのものを引っこめている。

本書が発行された前年、零戦が初陣を飾ってます。
零戦13機が、I-15系とI-16の計27機と戦って、撃墜22、勝手に自分たちで空中衝突2、パラシュート脱出3、全滅させてやった。
中国側の主張では、33機が参加して13機を失い、撃墜できないまでも零戦4機に被弾させたことになってますが。
なんにしても、I-15系とI-16は、とっくの昔に、すでに旧式だったわけです。

 

それでも、I-153系は3437機ほど作りました。

「M-62」とBS×4を積んだI-153BS。
ShVAK×2を積んだI-153P。
余圧コクピット試験機I-153V。
エンジンを「M-63TK」にして余圧コクピットを備えた高高度実験機I-153GK。
「DM-4」を搭載したラムジェット実験機I-153DM。
一説にはターボジェット「DM-2」の実験機。
I-15bisと同じく複座練習機DIT-2に改造されたもの。
…というようなサブタイプがあったようです。

 

世間では、下翼が上翼の真下にあるかのように描いた図も見かけるのですが、写真で見ると下翼は上翼よりも少し後ろにあり、本書でもそう描いてます。 

I-153は複葉ですから、脚は横にたたむのではなく、後ろにたたんで、下翼の中に収納です。
本書の三面図では、下面図に脚は描いてありません。

 

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