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 パリカールパフI-180-2(И-180-2)か

 

イー16(ビス)

N─16(bis)
くどいようですがИです。

單座驅逐機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約五三〇時粁
こんなに出ますかね???

武  裝
  機關銃叉ハ二〇粍砲二ヲ有ス

翼 長 約一〇米
  旋囘性能不良

航続時間・距離と、上昇速度については言及がありません。本書は結構まちまち。

一、低翼單葉ニシテ「イー」一六ニ酷似ス

二、發動機部著シク突出ス

三、内方引込脚

四、主翼及水平尾翼ハ三角形ナリ又座席覆アリ

 

 

I-16bisという機種の存在が、俺には確認できません。

 

 TsKB-12
33年。I-16の原型機。33年12月31日に初飛行。
いきなり時速360キロも出したので、即採用。
エンジンは「M-22」。
試しにハミルトン3翅ペラを付けてみたり、いろいろ実験した様子。
写真で見ると主脚をスキーにしてるのは、冬期を想定したというより、テスト機の車輪がうまく出し入れできなかった場合の用心か。
カウリングシャッターは、なかったらしい。

 TsKB-12bis
34年? これもI-16の原型機だが、エンジンはサイクロンF3。
「M-22」が信用ならなかったために、保険のつもりで、輸入品を積む選択肢も検討してみたものと思われる。
「M-25B」だったという珍説もある。

 I-16Type1(ロシア語表記ではТИП1。以下同様)
先行生産型。まだ本格的な量産ではないので、この時点では、TsKB-いくつという名前のままだったらしく、Type1というのは後付けの名前らしい。
エンジンは「M-22」。
TsKB-12bisを改名したのがI-16Type1という説もある
(つまり、Type1はサイクロンを積んでいた?)
最初から「M-25B」だったという説もある。

作った時はどうであれ、ずっと後になってから付け替えた可能性を言い出すとキリがない。以下同。

いずれにしても、「M-22」では使い物にならなかったことだけは確か。

武装の有無は不明、積んだとすればPV-1×2か。

 I-16Type4
35年。最初の量産型。400機ほど作った。

Type1の改良型というより、だいたい似たようなものだったのではあるまいか。

エンジンはサイクロン。「M-22」という説もあるが、両方あったのかも。
名前が4になったのだから、Type1と異なるエンジンを積んでいたのではあるまいか。
要するに、「国産エンジンでいきたかったが非力で性能が出なかったために、あわてて外国製を輸入した」か、あるいは、「外国のエンジンを使っていたが、国産品にメドがついたのでつけてみた」か…、
ありそうなのは前者だと思う(I-15の時にも同じことをしている様子)。
武装はPV-1×2。
ShKASだったという説もある
(すでにShKASは完成していたはずだから、1機くらいは試しに載せてみようと思えばできたはず)
この年のメーデーに、モスクワで公開飛行したようだが、これが初めての公開飛行だったのかどうかは不明。

 I-16Type5
35年後半とも、36年とも。
やっと使い物になる国産エンジン「M-25」を搭載、一説には「M-25A」だという。
最高速度は445キロくらい。
カウリング形状を空力的に洗練させ、排気口が開いた。
カウリングシャッターが付いたのは、この時からだともいう。
機銃は、あいかわらず7.62ミリ2丁だが、より高性能なShKASに変更。
爆弾架を設置、100キロ爆弾×2が積めるようになったが、途中でやめて、爆弾架なしという仕様で生産するようになる。
エルロン変更。

つまり、主力戦闘機という位置付けになったものと思われる。

ShKAS×3にした機体も30機ほど生産されたとか、それはType6の話だという説もある。
スキーを履いたのもあったらしい。
本格的に大量生産。

やっとここで、ひとまず「開発した」と言える。

ことによると、この段階でI-16という名前になったのかもしれない(I-15も、この年に「M-25」を積んでからI-15と呼ばれるようになったという説がある)。
この段階で、操縦席の背中に9ミリ(一説には8ミリ)の装甲板を設置し始めたという説もある。

 I-16Type6
37年。「M-25A」にする
(同じ年、I-15はI-15bisになったが、こちらは「M-25」から「M-25A」にせず、いきなり「M-25V」をつけている…)
「M-25」系を載せたのと、機銃をShKASに変更したのは、このType6からだという説もあるが、どうだか。
爆弾架はなかった様子。
機体を中途半端に補強、これが後日、欠陥の原因になる(特に主翼)。
最高速度は440キロに落ちている。
一説には、照準器を眼鏡式から光像式に変更したとか、キャノピーを開放型にしたとかいう。
この時点では、キャノピーを開放式にしたのではなく、スライド方法が変わっただけであり、吹きさらしになるのはもう少し後だともいう。
スキーを履いたものもあったらしい。
一説には、機銃を機首1丁だけにしたとか、それは7.62ミリだったとか12.7ミリだったとか、それはずっと後になって古い機体を改修したのだとか、珍説おびただしい。

おそらく、機銃2丁ではどうにもならないことが、スペインに出してから判明したので、機体下部にShKASをもう1丁つけ加えたということであり、生産した時点ではShKAS×2だったと思う。

おそらく、この年の暮れからスペイン内戦に投入。
Type5を実戦に出して気付いた欠陥を改修したのがType6だとか、最初からType5と6がスペインに送られたともいう。

 I-16Type12(Type10にあらず)
なぜか37年。
エンジンは「M-25A」のまま。

最高速度はますます落ちて431キロくらい。
なぜか機銃はすでに4丁、そのうちの2丁はすでに20ミリになっている! 機首にShKAS×2、主翼にShVAK×2。
爆弾やRS-82は積まなかったらしい。
あまり生産されず。

Type10と順番が入れ代わっているのは、国内用と国外用で仕様が違ったか、あるいはドイツのように、「つい最近作ったものを大昔に作ったように見せかけなければならない理由」でもあったか。
新型が1つだけとは限らず、違う仕様の派生型2つを同時に作り始めたかもしれないし、新型の生産が始まっても旧型の生産ラインがただちに止まるとは限らないと思う。

 I-16Type10(Type12にあらず)
なぜか38年。「M-25V」にしたとか、「M-25B」だという説もある。

БもВも「(英語の)B」と書いている資料もあるし(ロシア人が書いたものにもある)、「Type10はM-25B、Type17はM-25V」などと、明確に、しかも並記している資料もある。わけがわからん。

最高速度は448キロくらい。
機首上部と翼内に2丁ずつ、ShKAS×4。
ここで初めて機銃が4丁になったのだろうと思うが、なぜかType12はすでに重武装。

Type10と12の、名前か生産年かエンジンが、間違って伝わっているとしか思えない。

I-16は、もともと主翼の機銃を天地逆に設置していたが、それが原因で作動不良が起きるということが(スペインに出してから)判明したので、このころ以降に生産されたものはサカサマにしていない。
RS-82が完成したので積むようになる(もちろんType10の全部が全部、ランチャーを設置したわけではない)。6本積めたという。RS-82は37年7月に搭載実験、38年1月から配備したらしい。
爆弾も積んだらしい。
スキーをつける場合も引込式になる(収納はしないが、引き付けて、密着させて飛ぶということ)。
遅くとも、この時にはキャノピーが開放型になっていなければおかしい。
この機体もスペインへ送ったらしく、スペインでは「スーパー・モスカ」、略して「スーパー」と呼ばれたという話があり、従来のものと大きく違ったのではあるまいか。

つまり、スペインに出してみて判明した欠点を、改善したヴァージョンなのだろうと思う。

これは大量生産している。934機くらい。うち250機ほどを中国(国民党政府)へ供給。
ところが、「中国むけのI-16Type10」は、37年から生産を開始していたともいう。はあ?
中国で使われたものは機銃が2丁しかなかったという話もあり、しかし座席の背中に装甲板はあったという。

スペインで後ろから撃たれてずいぶん座席を貫通したらしいし、どっちみち一撃離脱で使うのだから、以前から装甲があったとしてもなかったとしても、この時期に座席の背中を強化したのではあるまいか。

Type10はスペインでもライセンス生産しており、製造はイスパノスイザ社、ただしエンジン生産が追い付かず、アメリカからサイクロン(R1820-F54)を輸入して付けたものが多かったという。

 I-16Type15
UTI-4のこと(後述)。パリカールパフさんたち設計側での呼称。
どうもさっきから数字が飛び飛びなのは、練習機や実験機に当てた番号が抜けているらしい。

 I-16Type17
38年。341機ほど作った。
エンジンは「M-25V」のまま。最高速度は落ちまくって425キロくらい。
ここで尾輪になった、ゴムタイヤだった、という説もある。試しにつけてみたのも1機くらいはあったか。
尾橇でもサスペンションにゴムが使われるので、「ランディングギアがラバー云々」というのを「ゴム製タイヤ」などと誤訳した資料がかなりあるのではないかということが気になる。
武装はShKAS×2、ShVAK×2。
4丁のうち2丁をShVAKに変更したのは、ここからだという説もある(I-16Pのテストは、Type17の直前にやっているらしい)。
RS-82を積むようになったのは、ここからだという説もある。
しかも、Type17はRS-82や爆弾を積まなかったという説もある(笑)

「やろうと思えばやれるようになった」と「やった」は違うし、また、ソ連・スペイン・中国の機体およびスペインのライセンス生産の機体の話がごっちゃになっているために、「何年から、何が変わった」という話が、4倍に混乱しているものと思われる。

 I-16Type18
38年。「M-62」にする。
最高速度は463キロくらい。そのほか上昇性能などが大幅に向上する。
カウリング上に空気取入口を設置。スピナーが円錐型から釣鐘型に変更。
これまで固定ピッチペラVISh-6Aだったものが、このころから可変ピッチAV-1になり、以前の機体も付け替えていったらしい。
100リットルの落下増槽を両翼に各1、吊せるようになる。

I-16の増槽というのは、爆弾型ではなく、消しゴムを縦にしたような形状のものを、翼に密着させている。

機銃をShKAS×4に戻す。12.7ミリにした機体もあったという。爆弾やRS-82は積める。
ここでまた生産数が多くなる。
尾輪になったのは、ここからだという。
Type18の生産途中から尾輪にしたのだが、これ以降のものがすべて尾輪になったというわけではないのだという。
現存する可動機もそうだが、尾橇から改修した尾輪というのは、尾橇の先にち〜〜〜っちゃな車輪をつけていたりして、遠目には尾橇のままのように見えることがあり、その程度の尾輪では、不整地ではどっちみち尾橇のように土にめりこんだのを引きずることになる。

 I-16Type19
39年。機銃4丁のうち、主翼の2丁をultra-ShKASやSNにした。
爆弾やRS-82は積まなかったらしい。
これはもしかすると機銃の搭載実験のための機体だったのか、とにかく生産数は少なかったらしい。
実戦参加はしているというが、スペインに出したのか、のちにノモンハンや独ソ戦に出したのか定かでない。

 I-16Type20
順番からすると39年。
エンジン不明。ShKAS×4。
93リットルの落下増槽?を翼下に付けたというのだが、Type18の増槽では何か問題でも?

 I-16Type24
39年。最初は「M-62R」、途中からは「M-63」で生産。
最高速度は470キロくらい。
機銃はShKAS×4。爆弾やRS-82は積める。
一説には、プロペラを変更、酸素マスクを搭載、より大型の増槽が使えるようになる。
無線は普通に積んでいたという説もある。
主翼を再設計、金属張りの翼になり、エルロンとフラップを改修。
一説には、今まで共用だったエルロンとフラップを分けたのだという。
今まで左側にしかなかった昇降ドアを、右側にも設置。
尾輪にしたのは、ここからだ、と主張する人が意外に多い。どんなに遅くとも、この時の改修では尾輪になっていると思う。
これも生産数は多め。スペイン内戦の戦訓の集大成か。

 I-16Type27
39年。なぜか「M-62R」に戻る。
ShKAS×2、ShVAK×2。おそらく爆弾架なし。戦闘機としての生産らしい。
生産数は多くない。
ここでいったん生産終了したらしい。

 I-16Type28
39年。ふたたび「M-63」。最高速度は463キロくらい。
ShKAS×2、ShVAK×2。おそらく爆弾架なし。戦闘機としての生産らしい。
この年、春にスペイン内戦は終わったが、すぐノモンハン事件がおこる。
秋に第二次世界大戦が始まったので、生産を再開したのだという。
しかし生産数は多くない。

いずれにせよ、Type27と28は、同じ思想で生産しているように見える。

 I-16Type29
40年。これも「M-63」。
最高速度は470キロくらいだというが、もう少し低かったらしく、少なくともタイプ24よりは低下しているという。
I-16は最初は1トン程度の機体だったが、このころには2トン近くなっている。
機首おそらく上部にShKAS×2、機首下というか胴体下にUBS×1。
主翼に機銃がなくなったので、主翼にはふたたび爆弾やRS-82(×4または6)を付けるようになり、一説には機銃ポッドも搭載できるようになる。
落下増槽×2とRS-82×6を下げるのが一般的だったという。
無線が「標準装備」になったのは、ここからだという。それなら、これ以前にも試しに積んでいる機体がちらほらあったとしてもおかしくはない。

ノモンハンの戦訓が反影した改良型は、このへんからではなかろうか。

650機ほど作った。これが最後の本格的量産らしい。

 I-16Type30
41〜42年、一説には40年。
これも「M-63」。Type28または29とだいたい同じものらしい。

 

 TsKB-12P、改名して、I-16P
20ミリを積めるか試した実験機。
主翼に積んだという説と、機首に積んだという説がある。いろいろあったのかも。
とにかく積めたので、これ以降、積むようになる。

 I-16Sh
襲撃機仕様実験機? それにしては機銃は、7.62ミリ。
装甲を追加したらしい。試作のみ。

 I-16TK
排気タービン実験機。Type10を改造。エンジン後方にTK-1(なぜかKT-1と書いた資料が多い)という排気タービンを設置。
カウル上部に空気取入口を増設、プロペラは可変ピッチ。
数機あったという説と、1機のみという説がある。
高度8600メートルで時速494キロを出したという。

 I-16SPB
空中母艦搭載機仕様。Type5から改造、主翼構造の強化と、引込脚の空気圧作動。
37年7月に初飛行。
一説には、Type24を改造した急降下爆撃仕様もあったらしく、エルロンの一部をエアブレーキに変更していたという。
これをズベノーと呼ぶ人もいるが、ズヴェノーは飛行機の名前ではなく、パラサイトプレーンのプロジェクト名。
ズヴェノーのページを御覧ください。

 UTI-1
複座練習機仕様。Type1を改造。

 UTI-2
複座練習機仕様。Type4を改造。固定脚。57機。
36年に使われ始めた。

 UTI-4(I-16UTI)
複座練習機仕様。Type5を改造、引込脚。約100機。
使い勝手はI-16とそれほど変わらなかったという。
I-16UTIというのは、別名らしいのだが…。

 I-16UTI-4
UTI-4の一種らしいが、Type4を改造、固定脚、武装なし。

 I-16UTI-10
UTI-4の一種ではないと思うが、Type10を改造、引込脚、武装あり。

 Jung-28A
中国で作ったUTI-4。
37年秋からソ連は中国を支援、中国空軍にI-16を送ったが癖のある機体で操縦しにくく、翌年UTI-4も少し送ったが、足りなかったという。

 ?
現場で一時的なことかもしれないが、Type6をベースにした練習機があったらしい。
I-16-6と称する写真に、練習機として使われているためか主脚が固定状態、などと解説がついているものがある。
Jung-28Aの話もそうだが、練習機は足りてなかったのではあるまいか。

 I-16I
 I-162

 I-163
 I-164
 I-165

 I-166
 I-167
いずれも、「M-88」を載せた発展型らしいが、計画のみ。

 

これだけしか俺にはわかりません。
トンデモな異説が多くて収拾つきませんが、だいたい、こんな流れ。

「従来型」と「改」に2分するとしたら、エンジンがM-25系でなくなるType18以降を「bis」とするのが妥当だと思うんですが、実際はどうだったんだか。
そもそもI-16の後期生産分を、I-16bisと呼ぶのかどうか。
もう一度言いますが、本書は41年に出た本です。

密閉型コクピットは遅くともType6以前であり、20ミリを積むのは早くてもType12以降です。

もちろん、作った後で改修することもあるでしょうし、ボロクソに被弾したものから部品を取り合って修理したり、古い機体に新しいエンジンや違う武装が載っていたり、実際はものすごくいろいろな機体があったと思います。
また、このころの飛行機は、そういうことが簡単にできるくらい、手作りに近いところがあった。

 

本書に掲載されているものは、I-16よりも洗練されてます。
仕様の変更なんてもんじゃなくて、外観が大いに違う。
横から見るとLa-5に似てるくらいですが、もっと胴体が短くて、座席が後ろにある。

とにかくコクピットがかなり後ろです。しかも密閉。
機首が長くて細め、胴体も横幅が細めです。

主翼がどん臭い逆三角形なのは、I-16に少し似てますが…。
I-16の主翼は、翼端とつけ根部分が別構造のような感じなんですが(実物を見ても切り返しになっていて、本書の図でもI-16はそう描いている)、にもかかわらず、このページの図ではそうなっていません。
フラップらしきものは描かれてます。

そして、カウンリングシャッターが描かれてます。
空冷なのだから、I-17ではありません。機首も翼も、I-17ほどは細くないんです。

本書の図では、キャノピー後部でガラスが垂直に終わって胴体につながっていて(ミーグなら、ここは斜めになるはず)、主脚が1本棒ではなく、尾橇のようです。
側面図と下面図にはプロペラが描かれているのですが、前者は下が短く、後者は短かめに左右にあり、どうやら三翅のようです。ますます、ただのI-16とは思えない。

これがまったくのI-16だとすれば、38年以降であることは間違いないと思うんですが。

エンジンはI-16とは違うものを載せている印象を受けます。
イラストではカウルが角張っているのですが、三面図では少し丸みがあって、スピンナーも大きめ。

おそらく、I-16の後継機として作られた飛行機であり、I-16とは違うのではないかと。

 

これに当てはまりそうな飛行機としては、I-180の2号機です。
俺には、これくらいしか思い付きません。

I-180は、ラーヴァチュキンみたいな丸っこい細身の機首をしてるんですが、2号機だけは全体的にI-16に近く、ずんぐりしている。
右横から撮った写真というのが現存しており、全体的に白っぽくて、これだったら、カウリングシャッターやキャノピーが、あってもなくても、あると勘違いするのかもしれない。
I-16よりも主翼を延長しているから、横幅10メートルならばピッタリ。
高度5850メートルで時速540キロを出したことがあるというから、いい線だと思うし。

I-180-2は、初飛行が39年の4月19日または27日、そのあと、メーデーや空軍記念日に公開飛行もしているから、これが外国人の目に止まれば、本書の出版に間に合う。

 

I-180のことは、I-18のページに書きます。

 

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