もどる← 

 ベリーエフMBR-2(МБР-2)

 

エム・ベー・エル─2 

(М.Б.Р─2)

三座偵察、輕爆飛行艇

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約二五〇時粁 
200〜275キロくらい。

航續時間(距離)
 雷撃 五時間(九〇〇粁)
 偵察 一〇時間(一、八〇〇粁) 
無理無理(笑)。「M-17」系で650、「M-34」系で1150キロくらい。

武  裝
 機關銃 二-三
ShKAS×2(機首1、胴体上旋回1)。
 爆弾 四〇〇瓩
通常300、最大500キロ。一説には通常500の最大800だとか、300も積めないとか。
 魚雷 七〇〇瓩
まじっすか。機銃を外しても魚雷が積めたかどうか。

翼 長 約一八米 19.0。

一、上翼、單葉ニシテ發動機ハ胴體上方ニ更に脚ヲ以テ固定シ推進式ニシテ特異ノ外貌ヲ呈ス

二、左右翼中央下面ニ固定シ小浮舟各一ヲ裝ス

三、各部共ニ直線感ノ多キ飛行艇ナリ

四、主翼ハ上半角ヲ有シ水平尾翼ハ比較的小ナリ

 

 

ソ連の飛行艇の代表的なもの。ベリーエフさんのデビュー作。トゥーポレフさんとの競作に勝った成功作。
一説には32年に設計を始めたとか試作機が完成したとかで、32年5月に初飛行、33年1月から34年2月まで試験、34年から量産。

МБРは、「海軍短距離偵察機」の頭文字。

MBR-2は、機体は全木。合板。
単純で頑丈で、作りやすく惜し気がないので、40年頃まで、約1300機(一説には1365機とか1470機とか)作った。
戦後も長く使われ続けました。

 

原型機はBMW「IV(F)」、量産は初期生産分は「M-17B」。

35年から本格的に量産したのは、「AM-34N」だか「M-34B」だか「M-34NB」だか「M-34NM」だかを積んでいた。
機体の一部(構造部)を金属化したともいう。
この時からはМБР-2bisと呼ばれたらしい。

そのあと「M-103」を載せた試作機もあったようです。

民間むけ(アエロフロート用)に、「M-17B」の乗客6人の旅客機MP-1、貨物用のMP-1T、「M-34」系にした発展型の貨物用でMP-1bisというのもあったらしい。
MP-1は魚群探査に70年代まで使われたという。

 

「M-17」の時とされる写真では、垂直尾翼が角ばっていて、銃座が吹きさらしです。
本書の図では、丸っこい垂直尾翼に鳥籠銃座なので、掲載されているのは後期型のようです。

 

推進式は、それほど特異なことでもありません。
波がかぶるのがイヤでしょうし。

本書では、実際よりも機体を小さく思っているようですが、魚雷を積めると言ってる。
そりゃあね、その時だけ、一番できのいいエンジンをものすごくチューンして、いい燃料いれて、なるべく小柄な乗組員を選んで、じつは2人しか乗ってなかったりして、気象条件のいい時にチンタラ飛ばして、「魚雷が積めることを証明した!」っていう実績だけ作って、でも現場では、誰も運用してなかったりとかね、もし本気で積めたとしても、まだ魚雷の性能が低くてどうせ不発になるから、貴重な航空機は偵察に使っていて、戦闘は主砲で普通にやっていたりとかね、そういう感じではないでしょうか。

 

 もどる← 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送