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 トゥーパリェフTB-3(ТБ-3)のM-34系

 

テー・ベー5

(Т.Б─5)
俺は、これがTB-3だという前提で書いてます。

七-九座重爆撃機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約二五〇時粁
200〜288キロくらい。「M-17F」ではかなり遅いはず。

航續距離
 約一、八〇〇粁
こんなに飛ぶかね。960〜1350くらい?
一説には2470キロだというが。
北極へ行った時は、24000キロを飛んだという。

武  裝
 機關銃 六-七
 爆 弾 
二、〇〇〇
DA×6。最終生産型では連装3、単装1、計7丁。
少なくとも機首と胴体上部と尾部に銃座があった。
「M-17F」の時は尾部銃座がなく上部に前後につけたとか、7.7ミリ8丁だったとかいう。
爆弾は、通常2200とか、最大4000とも6000以上とも。

翼 長 約三六米 一説には39.5とか41.82とか。

(運動鈍重ニシテ逐次第一線ヨリ退キツツアリ)

一、四發型ノ大型機ナリ

二、低翼單葉ニシテ胴體ハ著シク細ク太サ尾部ニ至ル迄大ナル變化ナシ胴體ノ後端ニ銃座アリ

三、脚ハ固定脚ニシテ車輪ハ大ナルモノ各ゝ一箇ナリ

四、速度竝ニ行動鈍重ナリ

 

 

どう見てもTB-3なんです、コレ。

TBの5っていうのがよくわかりませんが、3の後期型あたり?
これもやっぱり、「M-17」と「M-34」ではだいぶ違うので、呼び分けていたのか。

TB-3の後継機はTB-7(Pe-8)のはず。
それとも、やっぱり、やっぱり俺の知らないTB-5という飛行機が実在したんじゃないかとも思うんですが、それにしても、どう見てもTB-3なんです、これは。

 

TB-3は、V12の4発。
試作段階ではカーチス「コンクァラー」や、BMW「IV」を積んでみたらしいです。
量産型では最初は「M-17F」、生産機数の約半分410機ほどがコレ。
のちに「M-34R」、「M-34RN」、「M-34FRN」、「M-34FRNV」などで生産した機体もあったらしい。

初期のものには尾部銃座がなく、車輪も複輪だったようで、本書に掲載されているのはだいぶ後期型です。
最終生産型は37年。
37年に中国に渡された機体が、初の実戦参加だったそうです。
 

G-2という名前の輸送機仕様もありました。
もっと優秀なTB-7が配備されると、TB-3は役割を終え、G-2ばっかりになったらしい。
そのうちの80機は武装を外しただけ、ほかに50機はエンジンを「M-17F」にして機体を補強もしたという。

37年、北極点に科学観測基地を設置するため、学術探検隊20名とその資機材を、アビア・アルティカ号以下4機のG-2で極点付近まで運び、これが「北極に着氷した航空機」の世界初らしいんですが、いくらなんでも長距離仕様に改造してあったはず。

 

軍用機の黎明期っていうのは、空軍の効果があんまり重視されませんでした。
ま、せいぜい偵察でもしてろと。
自分が今までやってきた得意分野を否定されることになるから、ほかの兵科の人が反発したんですね。
航空機では絶対に軍艦を沈められない、爆弾を落として1発でも軍艦に当てられるもんならやってみろ、ヘルメットもかぶらずに甲板に立っててやるから、というようなことを米軍の上層部の人が言っていた。
軍事に限りませんが、時代が大きく変わっていく時期だったわけです。
日本では騎兵無用論が起きて、騎兵部門の偉い人が将来に悲観して自殺したりした。

ましてや、戦略爆撃なんてことは、最初はまったく理解されませんでした。
爆撃機の戦略運用を予言した最初の人は、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(タイムマシンとか透明人間とかを書いたSF小説家)だという説があるくらいで、この時はまだまだ荒唐無稽な夢物語の範疇だった。
イタリアではジュリオ・ドゥーエ少将、英国ではヒュー・モンチャード・トレンチャード空軍参謀長、アメリカではウィリアム・ランドラム・“ビリー”・ミッチェル准将など、これ飛行機に詳しい方だったら絶対に知ってる名前ばかりなんですが、それは今でこそ航空界の巨大な偉人だけれども、当時としてはそういう先見の明のある人たちが戦略空軍の重要性を主張しても、出る杭は打たれる式で、なかなか受け入れられなかった。

ずっと時代がくだって、東京大空襲と北ヴェトナム絨毯爆撃をやらかしたカーチス・エマーソン・ルメイなんて、軍人としてはものすごく優秀だけれども、民間人まで皆殺しにしろなんて考え方は、いくらアホの米軍といえども内部から反対意見が出た。

 

にもかかわらず、どういうわけか、空中艦隊みたいなことが流行った時期がちょこちょこと、泡のようにあったわけです。
ソ連では、トゥ−パリェフさんのTB-1が25年に初飛行。
「戦略爆撃隊」という名前の、はっきりと戦略で爆撃な隊が、36年に設立されてます。

ソ連では、ワシーリー・ウラヂミローヴィチ・フリピン将軍が、空軍の戦略運用を提唱した。
ところが、この人もやっぱり大粛正をくらったようで、ソ連の飛行機はますます戦術運用の地上襲撃ばかりやることになり、そんなことだからいつまでたっても時代遅れの旧式を平気で飛ばすことになる。

 

TBいくつって、家内制国際救助隊みたいですが、ТБは「重爆撃機」の頭文字。
いわゆる巨人機というやつで、当機も最初はユンカースみたいな波板。

TB-3は、初飛行が30年、生産は32年から37年、818機だか819機だか生産されました。
どんだけ金持ちなのかっていう。
金持ちってやつはだいたい、金の使い所がヘンテコですけどね。

日本では、九二式重爆は6機だけで、もちろん実戦投入もしなかった。
というか、ソ連がTB-3を持ってるから、軍事バランスとして、しかたなく、日本も九二式重爆を保有して対抗したわけです。

うちの父は九二式重爆の写真を見ると毎回、見た瞬間に、ウワッハハハと笑います。
ダッセェ〜!ということです。
戦前の軍人から見ても、このたぐいは古いんです。作った瞬間から使い物にならなかった。
飛んでいるというよりヨチヨチ歩き。
遅いことが、勇壮で荘厳だとか、爆撃照準が正確でよろしいとか、勘違いしちゃうくらいに幼稚な感覚。
子ども番組に登場させる架空のメカならともかく、庶民の血税で買う品物ではありません。

日本では、特に陸軍では、何ごとも軽快なのが好きなんで、爆撃機も短距離で積載少なめでいいから高速にして、戦闘機に食われない、早く到達するということを重視してました。
重爆が双発だったり、宙返りできたりするんですよね、日本では。
英国なんかはたくさん積みたがるようですが、どんだけ爆弾を積めたとしても、鈍重ということは先手を取りそびれて役に立たないまま落とされるってことを意味する。
アメリカでさえ、爆撃機はずいぶん落とされてます。それが、千や2千は落とされてもびくともしない、想定内、まだまだたくさんある、っていうくらいに飛ばすのがアメリカなんですけど。

この時代は、対空砲がまだ通用してました。
ノモンハンでもそうだったけれども、地上から撃たれるほうが、敵機に後ろを取られるより怖かったという。
いきなり撃たれるので、対応しようがないからです。
もうちょっと時代がくだると、戦闘機でも上がれないような高高度を重爆が飛ぶようになります。
しかし、この時代には、足の遅い大きな飛行機を飛ばしても単なるマトなので、高価でもあり温存したがって、あんまり使わなかったりします。

 

TB-3も図体が大きいだけでどうにもならない飛行機なので、独ソ戦の時にはもう、後方での輸送くらいしか使い道がなかった。

ただ、積載量(だけ)はあるので、グライダーを引いたり、胴体下に軽戦車や装甲車をぶらさげてみたり、主翼下にI-16をぶらさげてみたり、空中空母のような、アニメに出てくる合体メカみたいなことをやりました。
ズヴェノー計画のページをごらんください。

 

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