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 イリユーシンDB-3(ДБ-3)

 

デー・ベー3

(Д.Б─3)

四-五座重爆撃機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
  約四五〇時粁 
327〜445キロくらい。

航續時間(距離)
 約六-一〇時間(二、三〇〇-三、五〇〇粁)
3000〜3800キロ。長距離空軍仕様は4700キロ飛べたという。

武  裝
 機關銃     三
 爆 弾 
八五〇-一、三〇〇
ShKAS×3、機首1胴体上下各1。
爆弾は通常は胴体内に1000。さらに胴体下に1トン爆弾×1を吊るすなど、最大2500キロ
という説もある。ベルリン空爆の時、1トン爆弾を積んだら離陸直後に墜落したという。
海軍では魚雷や機雷も積んだ。

翼 長 約二〇米 21.44。

「エス・ベ−」中爆ニ酷似スルモ

一、低翼單葉型ナリ

二、上反角稍ゝ少シ

三、胴體稍ゝ太ク發動機「ナセル」尖頭ナラズ

四、昇降舵、方向舵ハ全部同一體ニ構成セラレ其ノ一部ガ動翼トシテ働キ分割式ナラズ

五、主翼圖形ハ前縁略ゝ直線ナリ

六、胴體頭部ヲ細長クセル新型3A型アリ

 

 

S.V.イリユーシン記念試作設計局は、第39設計局ともいう。
スィルギェーイ・ウラヂーミロヴィチ・イリユーシンさん、第一次世界大戦の時はパイロットをしてた人。
スターリンに気に入られて、航空工業人民委員(いわば航空産業大臣)に抜擢されたのを、現場で開発にたずさわっていたいからと断って、スターリンを激怒させた。
日本ではイリューシンと表記されることが多い。
原語では、たぶんエリユーシュンみたいな音かもしれない。
この設計局は、襲撃機の代名詞になった大傑作Il-2(36000機も作られた。史上最多生産の軍用機)を設計して、世界的に有名になりますが、戦後は旅客機でも成功しており、大きい飛行機も扱ってます。
ついでに言うと、イリユーシンさんの息子ウラヂミールさんは、ジェット戦闘機パイロットになり、スホーイの新型のテストパイロットを務めたりしてます。

 

DB-3シリーズは、当時の主力機です。
TB-3の後継機として作られ、機体は中型くらいですが、長距離航空軍に採用されました。
ДБは「長距離爆撃機」の頭文字。

初飛行は35年だか36年だか。
最初にTsKB-26というのを試作して、次にTsKB-30というのを36年3月に初飛行させたとか、あるいは、36年にやったのは「初の公開飛行」で、初めて一般人の前で飛行したのが36年のメーデーだとかいう。

これはトゥーポレフ設計局(設計はスホーイさん)との競作だったが、トゥーポレフANT-37(DB-2になる予定だった)は失敗作だったので、イリユーシンさんのほうが採用された。

36年から生産した初期型DB-3、38年にエンジンを変えたDB-3B、出力を向上させた長距離航空軍仕様DB-3M、大幅に改修した発展型DB-3F、38年か39年から生産した海軍航空隊仕様の雷撃型DB-3T、その水上機仕様DB-3PTというのがあったようです。

エンジンは、原型機は1号機が「ミストラルメジャー」、2号機が「M-85」。
DB-3は「M-85」、DB-3Bは「M-86」、DB-3Mは「M-87A」。
DB-3F(Il-4)が「M-88」、一説には「M-88A」、後期生産型では「M-88B」。
一説には「M-87B」を積んだものもあったという。

カウリングシャッターはついてます。

 

DB-3Fは、のちにIl-4と呼ばれる。これは話が複雑です。

DB-3Fの開発中にIl-4と改名したので、品物は同じで名前が違うだけという説。
DB-3Fには前期型と後期型があり、前者がDB-3F、後者がIl-4だという説。
機首がガラス張りでとんがっていて、エンジンが「M-87B」ならDB-3F、「M-88B」ならIl-4という説。
…などがあるんですが、これ
全部、違うらしい。

 38年? 40年?
DB-3を設計しなおして、機首形状など空力的に改善、これをDB-3Fと名付け、量産される。
エンジンは「M-88」。
DB-3Fは39年の暮れから長距離航空軍に納入していた、という説がある。

 41年
DB-3Fをさらに改修。
主翼桁を木製から金属製に変え、機銃3のうち1つをUBTに強化、乗員1名増えて4名になり、最高速度は10キロほど落ちたが、航続距離は400キロほど伸びた。
ここでエンジンを「M-88B」にして、カウリング形状も変わったという説もある。
これらの改修は、いっぺんにやったのではなく、段階的に少しずつ変わったのかもしれない。
DB-3Fというのは新旧2種類あるわけです、Il-4じゃなくてDB-3F自体が。
この新しいDB-3Fだけをさす名前がないために、ここからがIl-4だと誤解されてしまうらしい。

 42年
3月、DB-3FをIl-4と改名。
ここで問題なのは、41年の改修以前に作った旧式DB-3FもIl-4と呼ばれるのか(違う品物が同じ名前で呼ばれていいのか)ということ。
エンジンが「M-88B」になったのは42年、という説もあるが、改名した時期よりも前なのか後なのかは不明、あるいは、「M-88B」になったと同時に改名か。

…というような具合になってるようです。

とにかく本書の発行は41年だから、まだIl-4という名前はない。

 

DB-3Fは、じつはDB-3の後継機です。
DB-3の後継機候補として、イリユーシンさんはDB-3FとDB-4の2つを試作したが、比較して、DB-3Fが勝って大量生産され、DB-4は不採用に終わった。

DB-3のシリーズ全体の生産数は6784機ほど、DB-3F・Il-4だけで5256機だという。
頑丈で扱いやすいので、49年までは使われ、中国にも輸出され、旧日本軍も対戦経験があるようです。

開戦時には生産終了していたとか、40年に終了したとかという説もあるんですが、Il-4は44年か45年まで作り続けた様子。
DB-3F以外の、従来のDB-3は、41年6月までに生産終了していたということらしい。

 

というのは、従来のDB-3は、特にこれといった長所もない平凡な機体だったらしくて。
ドイツ空軍のいいエサになったらしいです。
ところが、なぜか長距離無着陸飛行に挑戦してます。
原型機2号を「モスクワ号」?とかなんとか、記録挑戦の専用機にして、38年7月にモスクワからウラジオストックへ7580キロを無着陸飛行、39年4月にモスクワからカナダへ8000キロを23時間で飛んだという。
ニューヨークへの無着陸飛行には失敗している。

DB-3Fも、本気だせば6500キロくらい飛べたという。
ソ連の公称することは、アテになりませんが。
ソ連はIFA(国際航空連盟)に加盟していなかったので、どんだけ長距離でも非公認記録なんだそうです。

41年、ソ連初のベルリン空爆は、DB-3だったという話ですが、従来のDB-3なのか、DB-3Fなのか、よくわかりません。
悪天候で1機しかたどりつけなかったという。

 

Il-4がすごいのは、木製でも金属製でも作れるように設計されていることです。
戦略物資を止められた場合、占領されて工場がシベリアへ疎開する場合、木でも作れる。

 

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