もどる← トゥーパリェフSB-2(СБ-2)の39年式、
エス・べ−3 (С.Б─3) 三-四座中爆撃機 最大速度 航續時間(距離) 武 裝 翼 長 約二〇米 20.33。 一、中翼双發單葉ニシテ發動機ヨリ外方ニハ比較的大ナル上反角ヲ有ス 二、各部共ニ著シク流線型ナリ 三、密閉式操縦席ニシテ後方射手席ハ滑動式蓋ヲ有ス 四、引込脚ニシテ速度大 五、主翼ノ形状ハ前縁ノ後退大ナリ
SB-2は、ただ単にSBとも呼ばれたようです。 試作機をサイクロンで作り、34年に初飛行。 そのあと機体設計をやりなおし、エンジンも液冷に変更、おそらくイスパノスイザ「12Ybrs」を積んだ試作機を2機作り、これを改良して、SB-2として採用になった。 量産機は、最初は「M-100」で時速393キロ。 39年にもう一度エンジンの変更があり、「M-103」で450キロのものと、「M-105」で445キロのものがあった。 この1939年式の「M-103」のほうのやつは、SBbisまたはSB-2bisと呼ばれてます。 一説には、36年以降の生産分をSBbisまたはSB-2bisと呼ぶらしいのですが。
本書に掲載されているのは、最高速度では後期型のようだし、爆弾搭載量では初期型のようでもある。 いくら日本の軍部が情報戦に疎くても、5年近く前の仕様で載せるとも思えませんから、本書のは39年式だと思います。 SB-2の改良型の後期だから、SB-3とみなされたこともあったか、そう思ってた人が日本側にもソ連側にもいたんじゃないかと。 SB-2シリーズは、急降下爆撃機仕様、雷撃機仕様、複座戦闘機仕様、練習機仕様、民間機仕様、郵便機仕様、チェコスロヴァキアでライセンス生産したものなどがありました。 SB-2シリーズは6656機ほど作った主力機で、スペイン内戦やノモンハン事件に大量に投入されました。
それとも、俺のまだ知らないSB-3という飛行機があったという可能性が、一番高いような気もしますが…。
爆撃機は、当たり前ですが迎撃されるので、なにか対策をとります。 特に戦前、高速爆撃機が流行ったことがありました。 ソ連では、これです。СБは「高速爆撃機」の頭文字。
当機を開発したのはトゥ−パリェフさんではなく、トゥ−パリェフ設計局で働いていた設計者アレクサーンドル・アレクサーンドロヴィチ・アルハーンギェリスキイさん。
もどる←
|
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||