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 パリカールパフI-15bis(I-15бис)

 

イー15エス・エス

(N─15C.C)
Nになってますが本当はИ。

單座驅逐機

諸元及性能
識別上ノ特徴

最大速度
 約三八〇時粁

367、370などの説あり。

航續時間(距離)
 約二・五時間(七〇〇粁)

750、770、530キロなどの説あり。

武  裝
 固定機關銃 四

PV-1×4。
下翼下に50キロ爆弾×2、最大で爆弾150キロ。
現存する機体には、爆弾架らしきもの4つという例があり、10〜12キロくらいの爆弾を4個という運用もあったのかもしれない。
RS-82×6を積んだこともあったという説もある。

上昇速度
 五、〇〇〇米
約六分三〇秒

同6.1分という説あり。

翼  長 約一〇米
  旋囘性能良好

一、一葉半ニシテ舊型ハ上翼■(鴎の旧字、區のやつ)型翼、新型ハ普通ナリ

二、I字型支柱各ゝ一對

三、脚柱ハ細キ單脚柱ニシテ覆ヲ裝ス

四、胴體ハ「ヅングリ」トシテ短カシ

 

 

I-15のあと、I-15bisという改良型が、2408機くらい生産されました。

бис(ビース。bis)はソ連兵器によくある接尾語で(イタリア軍にもあるけど)、「改」、「2型」くらいの意味。

 

設計は34年ごろから始まっていたらしい。初飛行は37年なかば。
生産を始めたのは、37年、38年、39年などと諸説あって、要するにあちこちいじくり回していて、本格的な生産が遅れたらしい。
一説には39年には生産終了だというから、「ぼちぼちは作り始めていた」ということだと思うんですが…。

現場からの要望または欠陥の指摘で、I-15からの変更箇所が意外に多かったらしいんです、それにしちゃあ性能あんまり上がってないけど。
しかも、「37年にI-15bisとI-153を中国に渡した」という珍説まである。

 

I-15bisは、上翼をほとんどまっすぐ、ごくゆるいV字のパラソル翼に変更、主翼も機首も延長。
下翼に燃料タンク60リットルを増設。
エンジンは「M-25V」、
…これを「M-25B」だとする資料が多いですが、БとВの話は他のページに書きました。
とにかく「M-25」をやめて、「M-25を改良したもの」を載せたので、性能がちょっと上がって、重量は増えたが爆弾積載量も50キロ増えた。
機体はあいかわらず木金混合。
一説には、生産終了の直前の20数機は、「M-62」を積んだという。

 

もうフランコの勝ちが決まりきっていたせいか、I-15bisは少ししかスペインに送らず、主にソ連国内に配備されたという。
スペインでは、チャトの発展型なのでスーパーチャトーと呼ばれたという。
活躍したという話は、あんまり聞きません。
完成した瞬間からすでに時代遅れだったうえに、飛ばないうちにドイツの爆撃をもらって、独ソ戦の初日に大多数がスクラップになってしまった。
中国に送った分も日本の戦闘機にあっさりやられ、日華事変に参加してたソ連の義勇兵部隊もI-15bisでは勝てないので途中でI-16に機種変更したという。

 

39年に、I-15bisTKという試験機がありました。
TK-3(なぜかKT-3としている資料もある)という排気タービンをエンジンの後ろに積んだもので、カウリング横に装置が突き出てるのが特徴。
重くなりすぎて採用されず。
これは1機だけだったらしい。試作機が数機あったという説もあるが、I-153で同様のことをやってるので、話がごっちゃになってる様子。

ほかに、I-15bisGKという試作機が1機作られ、与圧コクピットの実験機だという。

39年12月に、I-15bisはラムジェット「DM-4」の実験にも使われたんですが、翌年から、この実験にはI-153を使うようになる。

I-15bisを複座に改造して照準器を変えた練習機もあり、これはDITという名前だったという説と、DIT-2という名前だったという説があり、後者はI-153から改造したものもあったという。

 

というようなサブタイプは把握してるのですが、エスエスっていうのがわかりません。
ロシア語の「С」はガンマ系ではなくシグマ系ですから、スィーではなくエスと読み、英語のSにあたる。
もしかして、bisが、第2仕様の意であることから「ベータ型」と間違われて、それがドイツ経由で情報が入ってきて、エスツェットをSSと書いたとか?

しかし上翼が、「旧型はガル翼、新型は普通」と本書は述べてますから、I-15エス・エスというのは、I-15とI-15bisの総称のようです。
なんにせよ、こういう呼び方をほかでは見聞きしたことがありません。

 

そして、もうひとつの問題。I-152というのがあります。
I-15bisの別名だという説と、I-15bisを改修した試作機だという説がある。
後者の説では、I-15bisの後継機として38年にI-152を1機だけ作ったが、もっと優秀なI-153を生産することになったので、計画を中止したという。

あるいは、それがИ-15ССなんでしょうか。
本書は、ほかのページにbisという言葉は出てくるから、bisならbisと書きそうなものです。

 

I-15とI-153があるから、その中間的なもの(I-15bis)は、I-152と呼ばれたことがあったのかもしれません、それが正しい呼び方ではなかったとしても。

「I-15は、支那事変で零戦の餌食、ノモンハンで九七式の餌食」というような話もよく見かけるのですが、I-15bisもI-153も含めて、I-15と呼ばれたことはあったはず。
違いを知っていても、I-15シリーズという意味で、総称で、そう言ったことがあったんじゃないかと。
特に、「I-15とI-16」、という言い方をしている時は、そのI-15の中にbisや153が含まれているのかいないのか、資料をウノミにできない。

 

とにかく、本書の三面図では、カウルが長くてカウリングシャッターが描かれていて、M-25系であることは間違いなさそうだし、ガル翼ではないし、固定脚に描かれてます。
I-15ではなく、I-153でもなく、I-190でもないのは確か。

本書の三面図では、張線をだいぶ省略し、下翼を実際よりもかなり後ろにして、支柱も極端に斜めに描いている印象を受けます。

本書では、当機を一葉半だと述べているのですが、この程度では一葉半とは言いません。
一葉半というのは複葉機の下翼が小さいことですが、小さいとは、短い、上翼の半分くらいしかないということであって、ちょっとばかり細いということではない。
これ以前にソ連が使っていた戦闘機のほうが、よっぽど一葉半でした。

 

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